智に働けば角が立つ、その1 |
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、
安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、
詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、
越す国はあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
「草枕」の冒頭で漱石はこう書いている。
そして山道を登りながら漱石も思案している。
漱石40に差し掛かかろうとする時である。
その頃私も世間を前に、
この先どういう風にこの世の中と付き合うべきかを、
思案していた。
その頃というのは、
私が能勢広カメラマンと偶然出会った頃
いまから9年前である。
自分の中にある世の中への色気、
つまり、自分を表現して世の中及び世の人々に承認されたい、
という色気と
反対に、
もうそろそろ、そういうものをさっぱりとあきらめて、
自分の内的世界のみの世界で隠棲しようか
ということの狭間で、
迷いながら考え続けていた頃である。
自分の内的世界とは、
大好きな良寛や道元の世界で
それは世俗をすてて深山の中で
自分の魂のみとと向き合いたいという世界でもあり。
しかし私はそれを願望しながらも一方では、
だからこそ巷の真っただ中にいなければ、
それは単なる忌避だけに終わるとも、
考えており
どうしたものじゃろう?と思案していた。
そしてそれからしばらくして
能勢さんと村上さんが作った映画
「流・ながれ」に出会ったのである。
この映画を見ての衝撃は大きかった。
そして、
あゝこれだな~と確信した。
映画の中で
ふたりの老人が
無心に水棲昆虫や河原の花に
心を注いでいく。
映画を見終わり
水棲昆虫の調査を続ける齋藤先生には、
積極的で意欲的な学者のエネルギーを感じた。
一方のカワラノギクに心を注ぎこむ吉江老人には、
エネルギーよりむしろ
その精神世界の中にあるあきらめの覚醒が
小さな滅びへの愛情へとなっているように思え、
その姿に
私の中にあった隘路に光が射したように感動した。
誰にも知られない。
そんなことなど意に介していない。
ただ眼差しは、小さな枯れそうな、可憐な花にのみ
注がれている。
その可憐な花の奥には
端正に正座し佇む吉江老人の自分が
翳のように居る。l
自分の人生をその花を通して
吉江さんは、何をみているのだろうか。
ただそれは
もう荒々しい海ではなく
凪の風が吹いている。
いいなあ~。
いいなあ~。
私の世界にもいつか凪の風が吹くようにと。
私は偶然に能勢カメラマンと村上監督という
ふたりの青年との出会い
彼らのその映画で
吉江さんの人生に触れ、
そこから
それから私の最終章の
新しい人生が始まりました。
そして吉江さんの姿は
私の中にまだ滓のように残っていた
通俗的な欲求と自己イメージを洗い流してしまいました。
その次に私はこの二人の青年と共に「真艫の風」という
映画を製作しますが、
そこでも私の属性(俗性)を大きく剥ぎ取り
覚悟をさせるようなことが起きました。
それは次回書きます。
つ・づ・く!!
※これは余談ですが、能勢さんは監督でもありますが、でも
私は能勢カメラマンと書きたくなる。
能勢カメラマンという言葉の響きが私は好きで仕方がないのです。
それはカメラマンという職人的響がいいのと、
能勢さんのカメラの腕とセンスに、
キラキラ光るものを感じているからです。
だから私はいつも能勢カメラマンと書きたくなるのです・・・笑!
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こちらは少々過激です・・・笑