シリーズ 親を捨てて、自立へと旅立つ!その2 |
これから書くことは
決して親を誹謗したり攻撃したりしているのではありません。
残念なことに
家族というのは、不可避的に
●人間の闇を共有してしまうのです。
人間のエゴや甘えや依存が
家族の中では自制されず
野放しにされてしまいがちなのです。
また親と言えども、
親としての教育的な自覚に至るには
親があまりにも若く、未熟です。
そういう中で、
親と子に
どういう歪みが生じるかを書きますので、
もしかしたら親として読むのが辛い人もあるかと思います。
でもね、頑張って読んでいただけると嬉しいです。
親とはなにか?
親とは生まれた子供を慈しみ育てる、
ここまではいい、
しかし
親が自分の死後も
●子供が雑草のように逞しく生き伸びてゆくために
どう生きたらいいかを教える。
または
いつも自分の背中を見ている子供たちに
●親自身が前をむき、
逞しく自分の人生を切り開いていくかを
身をもって教える。
という
●親としての意識と自覚をもっているかというと
もう
これが本当に少ない。
むしろ、
親自身がどう生きたらわからず、
親自身が子供の精神状態ままで
親自身が子供に依存している親の
なんと多いことか。
親自身が自分の精神形成と感情のコントロールに向き合い
親自身が自分の弱さと戦い、
自我の欲望や小児的感情を克服し
更に次々と起きる、
人生の難題や人間関係のトラブルを
<解決>し乗り越えていくということが
できていないのである。
そういう親が子どもに何をするかというと
子どもを所有し、
子どもに甘えで自分の感情のはけ口にし
さらに子供に依存して
自分のために子供を使ってしまう。
自分のためとは、
自分の自信のなさやコンプレックスを
自分では克服せず
その代理を子供に委託し
子供を使って
自分の自己実現をしようとするのである。
その典型の親は
子どもをお稽古事に漬からせたり、
子どもの尻を叩いて勉強を迫って良い成績を求めたり、
子どもの出世を夢見たりする。
自分の劣性や貧しさを棚に上げて、
子どもを幻想化して
子供に期待を掛け
子どもが
●その等身大の自分でいることを、ゆ・る・さ・な・い。
身勝手な親の多いことです。
※私もそういう親に育てられたので
今は誰からも期待されたくないと
思っています・・・苦笑!!
そういう親に育てられた子供の心の中は
傷だらけになる。
それでも、
それでも子供は、いつも
親の期待に応えたいと思って
生きている。
子ども達のこころは
親を喜ばしたいと思っている。
しかし親は
子どものそういう素朴なこころや
純真な心に
無意識に付け込んでしまうのである。
全部がそうではないが
そういう親のなんと多いことか…。
※そういうことをしてはいけない
という自覚を持たない限り
親はついつい、うかうかと
子供の心に踏み込んでしまう。
さらに愚かな親は
子どもと自分が
●一心同体のような錯覚に陥り
自分の感情=子供の感情のように子供と一体化して
自分の怒り、不安、嘆き、愚痴を
子どもの中に放り込む。
まるで子供が自分の受け皿のように
時にはゴミ箱のように。
それらを子供の中へ、
子どもの感情のなかへと
吐き出して、受けとめさせてしまうのである。
そしてけなげな子供ほど
親を案じ、親のゴミ箱としての自分を
親に差し出してしまう。
親のゴミ箱を引き受けた子供の心の中には
何の根拠もなく、自分が被害をうけたのではないのにも
かかわらず、
人間不信や、
人間嫌いや、
常に他人と対立するトラブルメーカーの自我が
棲みついてしまう。
その子供たちが大人になって
どれほど苦しむか、或は
苦しめられるかなどは
親はまるで気づかず
子どもを犠牲にしてしまう。
ここでは親を責めたり攻撃したりしようとしているのではない。
そういう親に育てた子供である<あなた>が
生きることに苦しみ、
過去ばかりに引きずられたり、
他者との摩擦や
自己ダメージに陥るのは
当たり前であり、
しかしそれは
<あなた>のせいではない。
子供時代の親及びそれに類する人間のとの間でおきた
残念な記憶は、そのまま
その人間の人生をも支配し、
他人との在り方までその記憶が規制してしまうのです。
先般もこのブログで
どんな人間も真っ白で生まれてくると書きました。
だから<あなた>も、本当は
<あなた>の真っ白なキャンバスを持っているはずなのです。
<あなた>の真っ白なキャンバスこそ人間の尊厳であり、
本当はそこに何を描き、何を創り出していくかこそ
人生の課題であり、生きることの
醍醐味なのです。
苦しい人はまずは、
自分はダメな人間でも、ゴミ箱でもないことに
気づいて欲しい。
自分は本来真っ白でであり
嫉妬や妬みや他者否定もみんな
自分に刷り込まれてしまったものであり、
本来の自分が望んだものではないことを
しっかりと思いだしてください。
本来の自分はどうであったかを知るには
まず
●自分に聞いてみることです。
自分はどんな人間でありたいかと
自分に、聞いてごらんなさい。
それが<あなた>だと思います。
次回は
●どのように記憶が構造化されて行くかを
書きます。

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まだ咲いているよ!!
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