私は心しかもっていない。その1 |
若い人へ。
そもそも生きることはとても大変なんだよ。
嫌なことも厄介なことも、どんどん押し寄せてきます。
でも、
簡単に絶望したり、死をもてあそんではいけない。
私たちはどうしても、脳の機能から
嫌だったことや悲しいことばかりが記憶にのこります。
でも楽しいことも、面白いことも、嬉しいことも
あったはずです。
人生はいいこと半分、悪いこと半分で
残念ながら、いいことや楽しかったことは
すぐ忘れてしまうのです。
人間の脳の宿命として
ほおっておいたら、
脳の記憶の中は嫌なことだらけになってしまいます。
しかし、その嫌なことを修正して、
ふたたび元気になろうとするのが
前頭葉という脳です。
つまり私達の脳は、動物から進化して人間になるとき
嫌なことも、厄介なことも乗り越えて前へ進むという脳を、
動物の脳の後に獲得して
人間になったのです。
動物の脳は感情ばかりの脳です。
そして人間の脳は考える脳です。
感情世界にばかり生きてはいけませんよ。
考える世界に生きないと。
そして後は行動することです。
行動しては考える。
これが人間です。
ガラス絵の作家故児玉房子さんの本の中に
「私は心しかもっていない」という言葉が
あります。
人間は誰もが<心>しか持っていないのです。
人間が所有しているのは
<こころ>だけです。
だから人間なのです。
心とは崇高な、いかにも人間らしい働きです。
心は使い果たした後、死とともに消えていきます。
心は使われるために存在するのですよ。
それは前進するためにです。
心を粗末に扱ってはいけない。
そのこころを垢だらけにしたり、
泥水だらけにしてはいけない。
そして、
簡単に絶望してはいけない。
なぜなら
絶望とは倒錯した快楽です。
※絶望とは、
自己承認要求が裏返った
自己執着です。
心は生きるために、人間が作り出した機能です。
そしてどんな人間も、
いかなる人間も
心しかもっていないのです。
※心以外のものを持っているというのは幻想です。
人間は何も持たずに死ぬのですからね。
同時に
生きるために様々なものを所有するのも
幻想です。
それは自分の不安をカムフラージュするための
幻想です。
始めのこころは真っ白で
何も書かれていません。
ただそこに<あなた>という存在、
祝福をもって生まれてきた存在が
あるのですよ。
祝福とは
いかなる人間も生き抜けるように
自家発電できるように
心を与えられている。
どんな赤ん坊も、
母親の暗い産道を頭で突きながら
この世へと躍動しながら生まれてきます。
そこから自分を書いていくのです。
そして嫌な記憶こそは
それを乗り越え、克服するためにこそ、
記憶されていくのです。
今日はとりとめもなく
書きましたが、
頑張って生きましょう。
皆様ありがとうございました。
「MIZUTAMA」3号あとがきを更新いたしました。
思えば大変面白い内容であったかと思います。
読んでくださった方々に、こころより御礼申し上げます。