理性の、優しい感情(まなざし)で自分を包み込む。 |
自分になにかあった時、
理性の、優しい感情(まなざし)で自分を包み込んでごらんなさい。
特になにか辛いことや、深く落ち込んだときなどに、
そういうやさしい理性の感情で、まあ、いいか~と包み込むのです。
理性の優しい感情とは
決して同情や憐憫などの●感情(情動)の感情とは違いますよ。
また、メシア症候群の人の同情的な感情でもありません。
そうではなく、
いわゆるこころが動いたり、高ぶったりする感情から
覚めている感情で、
そこにあることを、優しく見ている自分です。
生きることは、いろいろな事に直面しなければならない。
だから、
自分に起きたことや、そこにある現実を
そのまま、
こんなものだろう・・・と受け入れている感情です。
つまり、逆らわないで、そのまま見ているのだけれど、
でも、●優しい感情で見ている。
感情(情動)の感情はこころが揺れ動き、
エネルギーが上下しますが、
理性の感情は、心が静かなまま、エネルギーが動かないので
頭の中が落ちついています。
こころがざわざわ動くことなく、
静かな眼差しで優しく、
自分も他者をも
見るのです。
※特に他者に対してこういう感情でみると
自分の中にある、対立や対抗の感情が
薄れてきます。
現実はトゲトゲしていて、騒がしく
さらに、いつも忙しく追い詰められてしまいます。
しかし、そういう中でフ~っと立ちどまり、
頭と肩の力を抜いて、
自分の●今のそのままをそれで良しとするのです。
まあ、世の中で言われている
<ありのまま>というのがこのことだろうと思います。
しかし私は、この世間的な<ありのまま>ということには
大いに疑問をもっています。
<ありのまま>とは
今起きていることを<ありのまま>に見るということであり、
そのあとは、それに対処していく●努力が必要です。
今起きていることに対して、
感情で反応しない、或は自我で相撲をとらない。
しかし
起きていることは冷静にちゃんと見て、受け入れる。
そして、いくばくかの時間の経過のあと
自分が落ち着いたら、
そこから、また始める、或はそこから
●次を生き始める。
しかしまあ、理性の優しい感情を以て、
自分も他者をも包み込んでしまうと、
人はほおっておいても、
自ずから、またそこから歩き始めます。
※ずっと書き続けていますが
人間はいつも前進するベクトルの中で生きているのですね。
まずは、自分の中にある、
理性の優しい感情の<床>を
見つけることだと思います。
※<床>とは自分のそういう立脚点です。
「MIZUTAMA」3号あとがきを更新いたしました。
思えば大変面白い内容であったかと思います。
読んでくださった方々に、こころより御礼申し上げます。