2017年 11月 16日
自分と世界を編集していく!その1 |
昨日、ぼんやりテレビをみていたら、
小池百合子都知事がえらく批判されていました。
でも、もともとこの人がそれほど聡明でもなく、
そして、いつも力のある人にすり寄り、
自分では何も積み上げて来ていないのは
明白であったのに、
そういう彼女を幻想化して持ちあげたマスコミの
いい加減さも批判されるべきでしょうにね~・・・苦笑!
ただ今日から書こうと思っていることの
反面教師としては、格好の例ですので、
そこから入ってみます。
小池さんが言っていたことに<止揚>という言葉があります。
まあ、彼女はその言葉の深い意味も知らず、
表面的につかってしまったのでしょうが。
<止揚>とは相反するものや矛盾するものや対立するものを
高次元で統合していくという言葉です。
※もとはヘーゲルの弁証法哲学の言葉です。
ところが、
相反するものや矛盾するものや対立するものは、
それぞれが、
その●フィールドと●エネルギーをもっていますから
そうは簡単には統合できません。
そこに起きる衝突やねじれや取捨やジャンピングなどの
●プロセスを経ながら、
それらが次第に編集、統合されて行くということです。
そしてこの場合、
それらを統合する前段階としての
●整理し、
●編集する能力の高さが、問われるのです。
小池さんは、こういう様々なプロセスを経ながら、
時間の経過とともに、
それが●整理され、●編集され、
最後に●統合されて行くには、
●大変な手間と努力と時間が必要であるということを
思いもつかず、
※つまり、これまでもそういうことをしてこなかったからこそ
言葉に短絡させることができたのでしょう。
安易に短絡させて、言葉の表面イメージだけを
使って、みごとに、
編集もできず、統合もできず、
最後はうっちゃらかしたということですね。
ただね、
これまで脳と心のことを書いてきましたが、
私が次に書こうと思っていた、
自分の脳を
●どのように編集してつかいこなすかということにおいては
ちょうどいいモデルになりました。
逆に能力があるということは
●脳の作業としての編集や統合ができていくということです。
これからは、そのことについて書いていこうと思います。
では、はじめに、この前のシリーズでも書きましたが、
自分とはちょうど自分というカプセルに入っているようなものです。
遺伝的に獲得した反応体系と
後天的に獲得した生存データーを駆使して
人間は、外界をシュミレーションしながら
推測、解釈しては、結論を出し、
そのだした結論で現実対応をして生きます。
だから外界の事をいつも推測しては、結果を得え、
その得た結果を更にデーター化しながら
次を推測、解釈していく、ということの連続の中に
私達の心という現象が生まれているのです。
だから心とは永続的なものではなく、
常に変化しているとも言えます。
さらに、脳は如何に、
私という生命体を生かすかを優先し、
外界から得た感覚情報や推測情報と過去の記憶とを
連鎖させ、脳全体と連携させながら得た結論で、
その小さな窓から手を出して、外界世界とつながって生きます。
※脳全体の世界から言うと、外界や他者との接点や
共有性はほんの一部です。
ただその時、遺伝情報の偏りや
生育環境から得る情報の偏りなどで
脳の中が偏っていきますから、
どうしても、自分とは違和のあるもや異質なものを
疎外してしまいます。
多くの人はそういう脳の限界のなかで
そのまま生きてしまいますが、
そうではない優れた人々は
※優れたひととは、主観的世界と客観的世界の双方を
俯瞰的に把握できるという人のことを私は言います。
自分にとって違和なものや異質なものや、
異例なものや異人な人こそを
自分に取りいれ、
自分の世界で編集し、
そして更に大きな世界へと統合していきます。
※統合とは、
この例でいうと、
脳が取り入れた後、
自動化してしまうことです。
そういう風にしながら、
すぐれた能力が生じてくるのですね。
そして
自分の脳が編集能力を獲得していくには
最低の認識及び自覚として
世の中とは、世界とは千変万化の多様性がうごめく世界であり、
その中で、自分を生かすためには
まず、自分という人間が
自分がどのような
●特殊性と●個別性を持っているかの●自覚が
必要です。
※心理的にいうと自他分離ができているかどうか・・・です。
自他の分離ができていない人は
この世や他者を自分と同質の塊のように錯覚してみてしまいますからね。
そういう自分の特殊性と個別性をベースに
自分の小ささや狭さを視野に入れた上で
ものごとを観察し、考察していくのですね。
その時二つのことを視野に入れて考えることが必要です。
ひとつは自己世界を豊かにしていく。
そのためには、
小さな自分の世界に固執せずに
広く、深く、密度も濃く、大きく自分を延ばしていく。
そしてもう一つは、その自分の世界で生じる能力を
実現していく方法を獲得していく。
どのように●現実的に●実現していくかの方法はなにかを、
考えるということです。
さて今回、
私は自分の持つ文化の延長上に
私のブログを読んでくださる読者がいると考えています。
その上で、これまでとはちょっと違う
世界をどうみていくか、現実をどのように理解するかを
書いてみようかと思います。
ただ
書けるかどうかは
全く自信がありません・・・・トホホ!
でも
書いてみましょう!

皆様ありがとうございました。
「MIZUTAMA」3号あとがきを更新いたしました。
思えば大変面白い内容であったかと思います。
読んでくださった方々に、こころより御礼申し上げます。

小池百合子都知事がえらく批判されていました。
でも、もともとこの人がそれほど聡明でもなく、
そして、いつも力のある人にすり寄り、
自分では何も積み上げて来ていないのは
明白であったのに、
そういう彼女を幻想化して持ちあげたマスコミの
いい加減さも批判されるべきでしょうにね~・・・苦笑!
ただ今日から書こうと思っていることの
反面教師としては、格好の例ですので、
そこから入ってみます。
小池さんが言っていたことに<止揚>という言葉があります。
まあ、彼女はその言葉の深い意味も知らず、
表面的につかってしまったのでしょうが。
<止揚>とは相反するものや矛盾するものや対立するものを
高次元で統合していくという言葉です。
※もとはヘーゲルの弁証法哲学の言葉です。
ところが、
相反するものや矛盾するものや対立するものは、
それぞれが、
その●フィールドと●エネルギーをもっていますから
そうは簡単には統合できません。
そこに起きる衝突やねじれや取捨やジャンピングなどの
●プロセスを経ながら、
それらが次第に編集、統合されて行くということです。
そしてこの場合、
それらを統合する前段階としての
●整理し、
●編集する能力の高さが、問われるのです。
小池さんは、こういう様々なプロセスを経ながら、
時間の経過とともに、
それが●整理され、●編集され、
最後に●統合されて行くには、
●大変な手間と努力と時間が必要であるということを
思いもつかず、
※つまり、これまでもそういうことをしてこなかったからこそ
言葉に短絡させることができたのでしょう。
安易に短絡させて、言葉の表面イメージだけを
使って、みごとに、
編集もできず、統合もできず、
最後はうっちゃらかしたということですね。
ただね、
これまで脳と心のことを書いてきましたが、
私が次に書こうと思っていた、
自分の脳を
●どのように編集してつかいこなすかということにおいては
ちょうどいいモデルになりました。
逆に能力があるということは
●脳の作業としての編集や統合ができていくということです。
これからは、そのことについて書いていこうと思います。
では、はじめに、この前のシリーズでも書きましたが、
自分とはちょうど自分というカプセルに入っているようなものです。
遺伝的に獲得した反応体系と
後天的に獲得した生存データーを駆使して
人間は、外界をシュミレーションしながら
推測、解釈しては、結論を出し、
そのだした結論で現実対応をして生きます。
だから外界の事をいつも推測しては、結果を得え、
その得た結果を更にデーター化しながら
次を推測、解釈していく、ということの連続の中に
私達の心という現象が生まれているのです。
だから心とは永続的なものではなく、
常に変化しているとも言えます。
さらに、脳は如何に、
私という生命体を生かすかを優先し、
外界から得た感覚情報や推測情報と過去の記憶とを
連鎖させ、脳全体と連携させながら得た結論で、
その小さな窓から手を出して、外界世界とつながって生きます。
※脳全体の世界から言うと、外界や他者との接点や
共有性はほんの一部です。
ただその時、遺伝情報の偏りや
生育環境から得る情報の偏りなどで
脳の中が偏っていきますから、
どうしても、自分とは違和のあるもや異質なものを
疎外してしまいます。
多くの人はそういう脳の限界のなかで
そのまま生きてしまいますが、
そうではない優れた人々は
※優れたひととは、主観的世界と客観的世界の双方を
俯瞰的に把握できるという人のことを私は言います。
自分にとって違和なものや異質なものや、
異例なものや異人な人こそを
自分に取りいれ、
自分の世界で編集し、
そして更に大きな世界へと統合していきます。
※統合とは、
この例でいうと、
脳が取り入れた後、
自動化してしまうことです。
そういう風にしながら、
すぐれた能力が生じてくるのですね。
そして
自分の脳が編集能力を獲得していくには
最低の認識及び自覚として
世の中とは、世界とは千変万化の多様性がうごめく世界であり、
その中で、自分を生かすためには
まず、自分という人間が
自分がどのような
●特殊性と●個別性を持っているかの●自覚が
必要です。
※心理的にいうと自他分離ができているかどうか・・・です。
自他の分離ができていない人は
この世や他者を自分と同質の塊のように錯覚してみてしまいますからね。
そういう自分の特殊性と個別性をベースに
自分の小ささや狭さを視野に入れた上で
ものごとを観察し、考察していくのですね。
その時二つのことを視野に入れて考えることが必要です。
ひとつは自己世界を豊かにしていく。
そのためには、
小さな自分の世界に固執せずに
広く、深く、密度も濃く、大きく自分を延ばしていく。
そしてもう一つは、その自分の世界で生じる能力を
実現していく方法を獲得していく。
どのように●現実的に●実現していくかの方法はなにかを、
考えるということです。
さて今回、
私は自分の持つ文化の延長上に
私のブログを読んでくださる読者がいると考えています。
その上で、これまでとはちょっと違う
世界をどうみていくか、現実をどのように理解するかを
書いてみようかと思います。
ただ
書けるかどうかは
全く自信がありません・・・・トホホ!
でも
書いてみましょう!

「MIZUTAMA」3号あとがきを更新いたしました。
思えば大変面白い内容であったかと思います。
読んでくださった方々に、こころより御礼申し上げます。

by denshinbashira
| 2017-11-16 09:27
| 賢い生き方!
|
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