シリーズ ・優れた人間になろう!その5、非凡なるのは家康か? |
家康がいいですね~。
弱虫で、戦嫌いで、優柔不断なくらいに慎重です。
家康がほんとうにこんな風であったかどうかは別として、
この家康をみていてふっと閃いたことがあります。
それは信長にしても、秀吉やその他の武将にしても、
彼らは本質的に、戦うのが好きではなかったか、ということです。
つまり彼らは男の闘争本能である<喧嘩好き>であり、
そういう男性性が大いに優先された時代が
戦国時代ではなかったかと思うのです。
ちなみに武士が台頭する以前の平安貴族社会では
死刑の執行が一つもありません。
死刑の執行は武家社会になってから頻繁になりました。
平安時代もどちらかというと女性性がつよい時代ではないかと
私は考えています。
その反動で武家社会が成立し、
さらにその終末的な戦乱として
戦国時代があるのではないかと思います。
個性的で非凡だと思われている信長も、
その本性は<喧嘩好き、闘い好き>でギラギラしています。
先般の大河ドラマ「真田丸」の真田幸村にしたって
いつも、相手に一泡吹かせてやろうという<喧嘩好き>です。
そういう中で家康は、どこか女性性が強く、闘争心に欠けています。
こうしてカメラを引いてみると、
闘争心ギラギラの男たちこそがスタンダードであり、
信長も秀吉も真田幸村も、
その意味では、スタンダード、つまり
普通の男たちなのです。
信長の度を越したオシャレ好きには、
彼にも女性性がはいっていると思いますが、
しかし一方では権力好きで、支配欲が強く、さらに
癇癪もちで、狂気すれすれの●境界線人間でもあります。
秀吉にしても同じです。
そして秀吉が朝鮮出兵をしたのは、おそらく
信長の世界制覇の夢がベースにあり、
その時代はまさしく、
西欧諸国が植民地をもとめて、世界制覇海へと繰り出したのと、
一致します。
信長も秀吉もその眼は世界制覇へとむいていおり、
自己の覇権を夢見ますが
それに比べて家康はオランダだけを窓口に残し
鎖国をはじめてしまいます。
秀吉はバテレン追放で終わりですが、
家康はキリシタン禁止で、
徹底的に<キリスト教>を禁止するのです。
つまり家康の目は世界の覇権へと向いていなかったのです。
むしろ、日本の内側をどのように整えていくか、という
守りの中で、世界と向き合おうとしました。
家康は世界への覇権ではなく、
日本のアイデンティティーを基盤に
日本の内側の最構築をはかったのです。
つまり物事を
●感情的に見ないで、
●構造的に見ているのです。
こういうことを考えながら私は、
はて、非凡なるのはどっちのほうかしら?と
考えたのです。
つまり<男の闘争心>ということからから見ると、
信長も秀吉も、その周辺の幸村はじめ他の武将たちは、
みんなその括りの中にいますが、
家康だけがフレーム外です。
※物事を俯瞰してみるためには
いったん括りの外にでないと
その全体は、見えません。
つまりその時代の男達が、
外へ外へ意識を向けるのに比べ
家康だけは異なる風景をみていたのではないでしょうかね~。
信長は好奇心が強く、新しいものが大好きで
ちょっと見ると個性的で独創的に見えますが、
自分を神とするまでの超越を夢み、
しかし、感情を剥き出しにして、その分脇が甘く、
光秀に殺されてしまいました。
秀吉も権力をにぎったものの、
その後、権力と淀殿に狂い、常軌を失い、
彼の死後、それも崩壊してしまいました。
この二人に共通するのは
彼らの脳が、
闘争心と支配欲を裏づけにした、
自己の拡大志向をしていたということです。
●脳はその偏りがどんどん強化されていきます。
※どこかで自分の偏りに気づかない限り
脳はその偏りをドンドン強化していきますが、
気づくことによって、取捨と付け加えることで
また全体性を取り戻していきます。
そのふたりが敗北していくのを眺めながら
家康が何を考えていたか。
※秀吉は日本統一を果たしましたが、
しかし彼が存命中に、もうその内部での崩壊が
はじまり、彼はそれに気づきませんでした。
同時日本の外界では、世界の植民地化がはじまっている中で
家康は何を考えたのでしょうか?
私の眼からみると、信長も秀吉も、まあ、その周辺の男たちも
<男>という範疇を越えられない男たちでしかありません。
信長だって、彼の自己修飾をはがしたら、
もしかしたら弱い男が出てくるかもしれません。
気が小さいからイライラするのですからね。
彼らの目は、戦うという<男の闘争心の範疇>から一歩も出ていません。
それにおいては、ただの男でしかありません。
それに比べ家康はソイツらからは外れています。
<戦わない>、むしろどうしたら
●同じ土俵に立たず、戦わないで済むかということを
考えて忍耐しました。
家康だけが<男の闘争心の範疇>から一歩出て
そこに<女性性の守りと育み>の世界を付加しています。
つまり彼だけが日本という国のシステム化を考えたのではないかと
思います。
そこには、既にあるものを育み(女性性)
ある世界、既にある基盤をつかって、
日本がそれまでに歴史の中で築いてきた自己世界と、
文化のその上に何を構築するか、という優れた考察があったと
思います。
だからこそ、彼は西洋のキリスト教の文化を徹底的に禁止し
排除しました。
それは一見保守的で消極的守りのようにも見えますが、
むしろ頭脳プレーです。
家康も海外の情報を集めており、そのうえでの
判断だと私は思います。
江戸時代の300年近い平和の社会の基には
そういう家康の世界全体を俯瞰しての発想があったと思います。
ただそれが300年のうちに慢性化して崩れ、
維新によって西洋化がはじまり、
その延長上に今の日本があります。
そして残念なことに日本も世界覇権へと乗りだしてしまいました。
その結果惨敗して今の日本があります。
信長、秀吉そしてその周辺の武将たちが纏っている
その意匠を引っ剥がして見てみると
そこには男の本能である、
<戦好き>と<闘争心>と<権力好き>で括られる男たちが、
見えてきます。
そういう括りにおいては、彼らは凡庸そのものです。
そういう中にあって、
弱く、女々しい家康こそが非凡であったのではなかろうかと
思います。
弱虫で、本当は戦嫌いであった家康と
昨日書いた羽生名人とには
共通のことがみえてきます。
それは彼らの脳が突出することではなく、
常に全体を俯瞰しながら、
<全機>していることです。
そこには勝ち負けではなく、
もっと大きな地図が見えてきます。
つまり、対立ではない、世界です。
家康の場合は、秀吉からも意地悪く、江戸地に追放されてしまいます。
そこはまさにゼロ地であり、
むしろマイナスからの出発(国造り)でもありました。
しかし全体を見ている人間にとって
マイナスもひとつの要因でしかありません。
※マイナスがプラスの裏側です。
そして、非凡とは、
●平凡を知りつくした後に、生まれてくる才能ではないかと
私は考えています。
おそらく、羽生さんも家康も、
そういう人ではないでしょうかね~???
次回はこのシリーズの最終回として
<優れている人間>とはについて
考察していきたいと
思います。
ウエブマガジン【MIZUTAMA】より、
皆様ありがとうございました。
今、4号に向けて準備中です。
どうぞご期待ください。