揺らぐ世界その2 |
どのようにお伝えしたらいいかが
なかなかむずかしく
四苦八苦してかいたら
最後には脳がおかしくなりました・・・笑い!
そして今朝
ふっとわかりやすい言葉が浮かんだ。
つまりは
◎循環する
ということが大切なのです。
●揺らぎとは、循環の中での、余裕があり、遊びががあり
そういうふり幅のなかで
・神経が揺らぎながら,
・休息を得ながら
・考察をしっかりして
ものごとを進行させるということです。
脳が反応し、そこからの指令で
ホルモンが流れ
それに従って気分や思いが浮かび
それに反応して体が動てゆく。
という脳と体の循環がうまくいっていると
自分全体が安定し、ストレスが少ない。
しかし
現代のように都会では絶えず
脳が無用にかつ不毛に刺激され
本来は脳が刺激されたものを
今度は
体が体験や経験を通して体得し、
体得したものが
脳のデーターとつながって、
実感と臨場感を伴った
自己データーになっていく。
というその
脳と体との循環と統合が
●著しく疎外されているのが
現代の都会の現実です。
つまり脳データーが
体の実感をつかまないまま
バーチャルな情報のまま
脳に蓄積してしまい
脳神経はそれに降り繰り回されている。
このことは脳の電流の回転速度が
どんどん加速されて
それ自体は悪いことではない。
つまり脳の性能が上がり頭の回転が
良くなることでもあるからね。
それが体の体験とのバランスがとれていれば
いいのだと思います。
しかし、その回転速度に体がついていかない時は
脳が先行し、
体が空回りして
かなりのストレスになると
思います。
一方田舎では
都会で起きている
世界経済と戦わなければならない経済の現場の
<リアル情報と刺激>には対応しなくてもよく
置きざりにされている。
(助成金行政のつけでもあります)
その分刺激も少なく、緩くなり、
脳の回転速度も遅い。
だからどうしても、
考えるということがアナログ感覚から抜け出せず
現状維持からなかなか進まないで停滞し
その分経済も停滞してしまう。
しかしその分
脳の回転のペースがゆるい分
体はゆったりとして
ストレスも少ない。
そういう都会と田舎(地方)との
脳と体の使い方というか
存在の在り方の違いが
二極に分裂しているように
私には思える。
こういうことを理解してもらえるのは
なかなかむずかしい。
誰もそういう風には考えないだろう。
しかし
この二極分裂が進むと
都会と地方の二つともがおかしくなっていく。
都会はどんどん脳の加速の中での分裂的病理がおきていくし
田舎(地方)もどんどん限界集落化の連鎖になっていくと
思います。
つまり私がお伝えしたいのは
都会と地方とが
うまく連携し
双方が上手に循環できるような
そういう発想をしなければならない。
ということです。
●都市も田舎も
双方が余裕があり、遊びがあり
お互いが交流し合い、シェアし合いながら
生きのびてゆく。
ということです。
ほんとうは
誰か
あたまの聡明な政治家が
このことに気づき
都市と地方の双方を止揚できるような
●産業政策を打ち出していくのがいいんだけれど
まあ、いないでしょうね~・・・。
でも
なんでもそうですが
ものごと行き詰まり
すべてがことごとく崩壊したときこそ
根本的な原理を見直そうという動きが出てきますので
そこまで行った時には
みんな
気づくでしょう!

気づけるといいね!