2018年 01月 12日
私の仕事、その8、時代の不安とどう向き合うか!その4 |
近年<発達障害>ということがいわれ出した。
しかし私は人間はみんなどこか<発達障害>ではないかと
思います。
つまり、人間の脳は誰もがどこか偏っているからです。
特に大人社会には、偏った人間がわんさかいる。
それにしても
<発達障害>の<障害>というのは、
何に対して<障害>なのだろうか?
うちの孫でも長女(4歳)は、あまり他者に興味を示さず、
自分に都合があるときだけ私に寄ってきます…笑!
反対に自分を飾ることや、
色の綺麗なものやカッコいい物大好きで、
敏感に反応します。そして
自分が関心を持つことだけには恐るべき記憶力で、
ドンドン突っ込んでいく。
長男(10か月)は人に興味津々で人なつっこく、
高速ハイハイをしながら私の方へ突進してくきます。
彼はきっと社交上手な男になるでしょうし、
何でもかんでも、かじっては試している。
彼はこの世のいろいろに、
好奇心満載です。
発達障害の障害とは、
社会に適応するために障害があるということで、
では
適応している子供のとは、
どんな子なのでしょうか???
例えば
はきはきと物分かりがよく、
大人の事情を忖度し、
大人や周囲を困らせないということなのでしょうか?
うちの孫などはおそよ適応しようなんて思ってもおらず、
いつもゴーイングマイウエイですけど・・・。」
社会に適応するとは
●社会(集団)の統制を乱さないということで
社会とはもともと統制を乱すヤツを好まないのです。
では社会に適応して
社会のカテゴリー内で統制を乱さない、とは
つまるところ、
社会のフレーム内で、
ルーチンに生きるということで、
だから社会の統制を乱すヤツの中から、
天才が産まれてくる・・・笑!
大人社会には、
他人には頓着しないで、自分優先の人間がうじゃうじゃいるし
自分のことばかり話す人間など山のようにいる。
反対に他人や周囲に忖度ばかりして気を使い
自分がない人間も、わんさかいる。
どだい人間の世界はちぐはぐや、
ヘンテコワールドなのです。
なぜなら、それはそれぞれの脳が
それぞれに偏っているからです。
それに
粒ぞろいの社会なんておもしろくなんともないし
不揃いでいろいろ変化に満ちているからこそ
そこで反応がおき、創発がおき、
優れたものや新しいものが生まれてくる。
創造の根源はカオスであり、
そこは暗黒で未形のものが泥のようにある中から
やがて有形のものが立ち現れてくる。
それが閃いてこそ、アイデアが浮かび
可能性がジャンプする!!
昨日も書きましたが、
脳のことが解析されてくると、
ホントにこの世の認識がコペルニクス的な開眼へと
変化せざるを得ない。
ただ脳の解析は大変有意義だが、
反対にAI産業の発達はもしかしたら
脳の劣化を産むかもしれないと、
私は危惧しています。
まあ、これもあまりにも単純すぎる図式かもしれませんが、
人間の脳は遺伝子によるデフォルトに
育成過程の学習と体験がプラスされながら
さらにそこから脳が発達していきます。
たくさんの体験知を自分の中に蓄積して記憶し
それを何らかのコード化していく中で
人間の客観性や、複雑性に対応する能力が
育っていきます。
主観的世界と客観的世界がバランス良く機能していくことこそが
人間にとっても、
人間社会にとっても
大変重要なのです。
つまり個人が生きるためにも
社会が存続していくためには
人間の理性=客観性こそが重要であり、
そういうことも含めて
人間の脳も体もその人間を生かすための
センサーだらけなのです。
脳も内蔵も筋肉も骨も皮膚も
みんなそれぞれのセンサーを持ち
それを働かせて、私達の命を保全しているのです。
だから脳で思ったことを、
●体で体験する、
反対に
●体で体験したことを脳が分析、考察するということも
大変重要です。
それらが脳のデーター蓄積になり、
脳の連鎖反応のシュミレーションがより
高度に、複雑になっていく鍵となります。
単に観念だけの世界でバーチャルに蓄積するのではなく、
体を使い、
外の世界とでの体験とがすり合うことによって生まれる実感を
伴いながら
その観念の正当性や現実性を獲得できるのです。
しかし一方では、
AIやIT社会の発達は、人間の行動体験、社会経験知を
奪いかねない危険があります。
もうすでにそういう懸念が現象化しはじめています。
つまり面倒なことや厄介なことや、
時間や手間がかかることを
ロボットやAI機能が代理してくれることが
もしかしたら、
人間の細小で繊細な体験を奪い、
脳の繊細な神経回路が発達しない可能もあります。
繊細なことや複雑なことが理解できずその分、
脳が劣化し、
ほんとうは複雑に深く考察したり、
認識しなければならないことを
いとも簡単に安易に結果だけに短絡してしまう脳、
或は理性で処理しなければならない重要なことを
感情レベルに短絡させて処理してしまう脳など、
そういう単純な脳をもった人間を
量産してしまう可能性があります。
経験知や体験知がたりないほど、
不安は多くなり、またその解決も獲得できません。
脳空間の広がりや深さには、
体験や経験の多さや、知識量の多さなどが必定で
また常に自分の脳世界を相対化する作業に
熟知していることなどが必須です。
そういう思慮深い人間がたくさん生まれることこそが
人間も人間世界をも平和に持続させるカギになると
私は考えます。
だから、私はIT,及びAI世界に若干の不安を抱いてしまうのです。
脳が劣化すればするほどトラブルも多くなります。
脳の短絡は、感情と結びついた強迫観念を産みかねません。
そして文明のバブルです。
過剰な文明のバブルが今起きかけていると
私は思うのです。
過剰な情報の氾濫
過剰な物質の氾濫
過剰な便利さ
過剰な欲望の達成、
過剰な人工物の氾濫
過剰な延命医療
などなど。
人間はどこまでいこうとしているのかな~!
この過剰さは、どこかでバブルがはじけ
なにか大変なことがおきるのかな~???
私たちは文明にどこまでつれていかれるのかな~???
これからの時代の不安をどう向き合うか、ということを
連載で書き始めた時
私はテーマの大きさと考察すべき範囲のだだっ広さに
どうしたもんかな~と困りましたが、
なんとか少しずつ書いてゆくことができました。
次回は最終回として、
私の不安を払拭するには
何をしたらいいかを
考えてみます。
つづく


しかし私は人間はみんなどこか<発達障害>ではないかと
思います。
つまり、人間の脳は誰もがどこか偏っているからです。
特に大人社会には、偏った人間がわんさかいる。
それにしても
<発達障害>の<障害>というのは、
何に対して<障害>なのだろうか?
うちの孫でも長女(4歳)は、あまり他者に興味を示さず、
自分に都合があるときだけ私に寄ってきます…笑!
反対に自分を飾ることや、
色の綺麗なものやカッコいい物大好きで、
敏感に反応します。そして
自分が関心を持つことだけには恐るべき記憶力で、
ドンドン突っ込んでいく。
長男(10か月)は人に興味津々で人なつっこく、
高速ハイハイをしながら私の方へ突進してくきます。
彼はきっと社交上手な男になるでしょうし、
何でもかんでも、かじっては試している。
彼はこの世のいろいろに、
好奇心満載です。
発達障害の障害とは、
社会に適応するために障害があるということで、
では
適応している子供のとは、
どんな子なのでしょうか???
例えば
はきはきと物分かりがよく、
大人の事情を忖度し、
大人や周囲を困らせないということなのでしょうか?
うちの孫などはおそよ適応しようなんて思ってもおらず、
いつもゴーイングマイウエイですけど・・・。」
社会に適応するとは
●社会(集団)の統制を乱さないということで
社会とはもともと統制を乱すヤツを好まないのです。
では社会に適応して
社会のカテゴリー内で統制を乱さない、とは
つまるところ、
社会のフレーム内で、
ルーチンに生きるということで、
だから社会の統制を乱すヤツの中から、
天才が産まれてくる・・・笑!
大人社会には、
他人には頓着しないで、自分優先の人間がうじゃうじゃいるし
自分のことばかり話す人間など山のようにいる。
反対に他人や周囲に忖度ばかりして気を使い
自分がない人間も、わんさかいる。
どだい人間の世界はちぐはぐや、
ヘンテコワールドなのです。
なぜなら、それはそれぞれの脳が
それぞれに偏っているからです。
それに
粒ぞろいの社会なんておもしろくなんともないし
不揃いでいろいろ変化に満ちているからこそ
そこで反応がおき、創発がおき、
優れたものや新しいものが生まれてくる。
創造の根源はカオスであり、
そこは暗黒で未形のものが泥のようにある中から
やがて有形のものが立ち現れてくる。
それが閃いてこそ、アイデアが浮かび
可能性がジャンプする!!
昨日も書きましたが、
脳のことが解析されてくると、
ホントにこの世の認識がコペルニクス的な開眼へと
変化せざるを得ない。
ただ脳の解析は大変有意義だが、
反対にAI産業の発達はもしかしたら
脳の劣化を産むかもしれないと、
私は危惧しています。
まあ、これもあまりにも単純すぎる図式かもしれませんが、
人間の脳は遺伝子によるデフォルトに
育成過程の学習と体験がプラスされながら
さらにそこから脳が発達していきます。
たくさんの体験知を自分の中に蓄積して記憶し
それを何らかのコード化していく中で
人間の客観性や、複雑性に対応する能力が
育っていきます。
主観的世界と客観的世界がバランス良く機能していくことこそが
人間にとっても、
人間社会にとっても
大変重要なのです。
つまり個人が生きるためにも
社会が存続していくためには
人間の理性=客観性こそが重要であり、
そういうことも含めて
人間の脳も体もその人間を生かすための
センサーだらけなのです。
脳も内蔵も筋肉も骨も皮膚も
みんなそれぞれのセンサーを持ち
それを働かせて、私達の命を保全しているのです。
だから脳で思ったことを、
●体で体験する、
反対に
●体で体験したことを脳が分析、考察するということも
大変重要です。
それらが脳のデーター蓄積になり、
脳の連鎖反応のシュミレーションがより
高度に、複雑になっていく鍵となります。
単に観念だけの世界でバーチャルに蓄積するのではなく、
体を使い、
外の世界とでの体験とがすり合うことによって生まれる実感を
伴いながら
その観念の正当性や現実性を獲得できるのです。
しかし一方では、
AIやIT社会の発達は、人間の行動体験、社会経験知を
奪いかねない危険があります。
もうすでにそういう懸念が現象化しはじめています。
つまり面倒なことや厄介なことや、
時間や手間がかかることを
ロボットやAI機能が代理してくれることが
もしかしたら、
人間の細小で繊細な体験を奪い、
脳の繊細な神経回路が発達しない可能もあります。
繊細なことや複雑なことが理解できずその分、
脳が劣化し、
ほんとうは複雑に深く考察したり、
認識しなければならないことを
いとも簡単に安易に結果だけに短絡してしまう脳、
或は理性で処理しなければならない重要なことを
感情レベルに短絡させて処理してしまう脳など、
そういう単純な脳をもった人間を
量産してしまう可能性があります。
経験知や体験知がたりないほど、
不安は多くなり、またその解決も獲得できません。
脳空間の広がりや深さには、
体験や経験の多さや、知識量の多さなどが必定で
また常に自分の脳世界を相対化する作業に
熟知していることなどが必須です。
そういう思慮深い人間がたくさん生まれることこそが
人間も人間世界をも平和に持続させるカギになると
私は考えます。
だから、私はIT,及びAI世界に若干の不安を抱いてしまうのです。
脳が劣化すればするほどトラブルも多くなります。
脳の短絡は、感情と結びついた強迫観念を産みかねません。
そして文明のバブルです。
過剰な文明のバブルが今起きかけていると
私は思うのです。
過剰な情報の氾濫
過剰な物質の氾濫
過剰な便利さ
過剰な欲望の達成、
過剰な人工物の氾濫
過剰な延命医療
などなど。
人間はどこまでいこうとしているのかな~!
この過剰さは、どこかでバブルがはじけ
なにか大変なことがおきるのかな~???
私たちは文明にどこまでつれていかれるのかな~???
これからの時代の不安をどう向き合うか、ということを
連載で書き始めた時
私はテーマの大きさと考察すべき範囲のだだっ広さに
どうしたもんかな~と困りましたが、
なんとか少しずつ書いてゆくことができました。
次回は最終回として、
私の不安を払拭するには
何をしたらいいかを
考えてみます。
つづく


by denshinbashira
| 2018-01-12 17:25
| 私の仕事
|
Comments(0)

