2018年 01月 26日
闘争心のない人間が勝つ・・?? |
昨日の朝、朝食を終えた頃に電話がかかってきた。
なにかと思うと、Bさんで、
ご自分の近所のひとのことで
頭に来たらしい。
一気に感情にマッチで火がついたらしく
原因になっているひとを許せないらしい。
ご自分が傷ついたのであろうが、
内容はほんとに些細な出来事であり、
それも私からみると、
取るに足らない人間を相手にバトルしている。
友人としてその話を聞きながらも
もうそういう主婦どうしの井戸端会議的なバトルは
私には無縁になっており、
つくづくBさんが気の毒になる。
気の毒とは、
人間は感情に火がつくと、ストレスになるからである。
それが頭の中をぐるぐると巡ってしまい、
ついには感情に占拠された脳が、
どんどん妄想の暴走を始める。
相手をやっつけたいとが
相手を気づかせたいとか
更には相手に罰を与えたいとまで、走りだしてしまう。
Bさんの感情はどうも相手を眼下に見下ろして
観念させたいというところまで広がっているらしい。
Bさんは私と同じ年であるが、
いまだに闘争心大せいで、
だからこそ、エネルギーがありすぎて、
そうなるのかもしれないが・・・。
私も感情の起伏の大きい父親に
闘争心を遺伝され、
感情的な自分に悩まされた。
若い時は
頭の中を巡る感情がなかなか収まらず、
感情が暴走し、疲れ果てた。
そして、
そういう感情に翻弄されている自分が
とても悲しかった。
自分の感情がもたらす世界は
決して私にとっては生産的ではない、
むしろ害を及ぼすばかりだと思い、
そして遂には
感情を一切捨てようと決心し、
日々、朝の祈りのノートに
「私の感情を取りのぞいてください。」と祈り、
自己暗示をかけていきました。
おかげさまで今は、ほとんど感情に左右されない。
全くないという訳ではないが、
さっと理性が登場して、感情を処理してくれる。
昨日も書いたが、今大村益次郎のことを書いた
司馬遼太郎の「花神」を読んでいる。
今朝、昨日のBさんのことを考えていた時、
ふっと、
大村益次郎が幕府軍を、次から次からやっつけて
勝利を驀進させていったのは、
もしかしたら、大村益次郎に
闘争心がなかったからかもしれない・・・と
思いついた。
闘争心という感情に、巻かれなかったが故に
ものすごく冷静に戦況がよめたのではなかろうか・・・?
まあこれも最後まで読んでみないとわかりませんが。
大村益次郎が蘭学を学んだ緒方洪庵の適塾の後輩に
福沢諭吉がいる。
二人は正反対であり、
福沢は頭が高速に回転し物分かりがよく、要領もよく、
フットワークも軽い。
時代はもう蘭語(オランダ語)ではなく
英語とその列強だと考えた福沢は、
そのフットワークの軽さで、咸臨丸へ要領よく紛れ込んで
アメリカへといく。
反対に益次郎の方は、回転速度はそれほどでもなく、
時にドンくさいが、しかし思考が深い。
思考が深い故に回転がおそいのかもしれないが。
ただ頭の回転が早い人間は、
一気に中心へと行くが、しかしそれは
時に短絡にもなる。
※頭のいい人間ほど、この短絡に陥りやすい。
実はのろいほどでもないが、
益次郎の脳の回路は、すぐに中心へとはいかない代わりに
周辺の情報を拾うことができる。
これも私の独断と独創的な考えですが、
頭の回転が速いということの一因に、
感情がなにか関係しているかもしれない。
例えば早く結論をだそうとか、結果をだそうとか・・・ね!
まあ、これも私の思い込みかもしれませんがね。
福沢諭吉は、頭の回転が速い分、どこか
上から目線で、回転がにぶい人間みると、
小ばかにしたくなるようなところが、
あったらしい。
その福沢が益次郎をやはり、小ばかにしていたようなところが
あり、
自分が小ばかしている人間が、まさか
幕府を倒し、幕軍を掃蕩し、
日本の近代化を一気に開いていくとは
夢にもおもっていなかったらしい!
私の眼には
福沢諭吉のほうには、闘争心があったように見えるが
益次郎の方は、むしろ、
そういう、
感情ではない地平をみていたのかもしれないと思う。
まあ、最後まで読まないとわかりませんが・・・笑!
おもしろいね~。
それでね、
ともかくも、
私は、自分を完成させるために、
闘争心も感情も捨てます。

●noteウエブマガジン 「MIZUTAMA」
記事を更新しました。
村上浩康映画監督のコラム
ロシア映画「エルミタージュ幻想」、是非ご覧ください。

なにかと思うと、Bさんで、
ご自分の近所のひとのことで
頭に来たらしい。
一気に感情にマッチで火がついたらしく
原因になっているひとを許せないらしい。
ご自分が傷ついたのであろうが、
内容はほんとに些細な出来事であり、
それも私からみると、
取るに足らない人間を相手にバトルしている。
友人としてその話を聞きながらも
もうそういう主婦どうしの井戸端会議的なバトルは
私には無縁になっており、
つくづくBさんが気の毒になる。
気の毒とは、
人間は感情に火がつくと、ストレスになるからである。
それが頭の中をぐるぐると巡ってしまい、
ついには感情に占拠された脳が、
どんどん妄想の暴走を始める。
相手をやっつけたいとが
相手を気づかせたいとか
更には相手に罰を与えたいとまで、走りだしてしまう。
Bさんの感情はどうも相手を眼下に見下ろして
観念させたいというところまで広がっているらしい。
Bさんは私と同じ年であるが、
いまだに闘争心大せいで、
だからこそ、エネルギーがありすぎて、
そうなるのかもしれないが・・・。
私も感情の起伏の大きい父親に
闘争心を遺伝され、
感情的な自分に悩まされた。
若い時は
頭の中を巡る感情がなかなか収まらず、
感情が暴走し、疲れ果てた。
そして、
そういう感情に翻弄されている自分が
とても悲しかった。
自分の感情がもたらす世界は
決して私にとっては生産的ではない、
むしろ害を及ぼすばかりだと思い、
そして遂には
感情を一切捨てようと決心し、
日々、朝の祈りのノートに
「私の感情を取りのぞいてください。」と祈り、
自己暗示をかけていきました。
おかげさまで今は、ほとんど感情に左右されない。
全くないという訳ではないが、
さっと理性が登場して、感情を処理してくれる。
昨日も書いたが、今大村益次郎のことを書いた
司馬遼太郎の「花神」を読んでいる。
今朝、昨日のBさんのことを考えていた時、
ふっと、
大村益次郎が幕府軍を、次から次からやっつけて
勝利を驀進させていったのは、
もしかしたら、大村益次郎に
闘争心がなかったからかもしれない・・・と
思いついた。
闘争心という感情に、巻かれなかったが故に
ものすごく冷静に戦況がよめたのではなかろうか・・・?
まあこれも最後まで読んでみないとわかりませんが。
大村益次郎が蘭学を学んだ緒方洪庵の適塾の後輩に
福沢諭吉がいる。
二人は正反対であり、
福沢は頭が高速に回転し物分かりがよく、要領もよく、
フットワークも軽い。
時代はもう蘭語(オランダ語)ではなく
英語とその列強だと考えた福沢は、
そのフットワークの軽さで、咸臨丸へ要領よく紛れ込んで
アメリカへといく。
反対に益次郎の方は、回転速度はそれほどでもなく、
時にドンくさいが、しかし思考が深い。
思考が深い故に回転がおそいのかもしれないが。
ただ頭の回転が早い人間は、
一気に中心へと行くが、しかしそれは
時に短絡にもなる。
※頭のいい人間ほど、この短絡に陥りやすい。
実はのろいほどでもないが、
益次郎の脳の回路は、すぐに中心へとはいかない代わりに
周辺の情報を拾うことができる。
これも私の独断と独創的な考えですが、
頭の回転が速いということの一因に、
感情がなにか関係しているかもしれない。
例えば早く結論をだそうとか、結果をだそうとか・・・ね!
まあ、これも私の思い込みかもしれませんがね。
福沢諭吉は、頭の回転が速い分、どこか
上から目線で、回転がにぶい人間みると、
小ばかにしたくなるようなところが、
あったらしい。
その福沢が益次郎をやはり、小ばかにしていたようなところが
あり、
自分が小ばかしている人間が、まさか
幕府を倒し、幕軍を掃蕩し、
日本の近代化を一気に開いていくとは
夢にもおもっていなかったらしい!
私の眼には
福沢諭吉のほうには、闘争心があったように見えるが
益次郎の方は、むしろ、
そういう、
感情ではない地平をみていたのかもしれないと思う。
まあ、最後まで読まないとわかりませんが・・・笑!
おもしろいね~。
それでね、
ともかくも、
私は、自分を完成させるために、
闘争心も感情も捨てます。

記事を更新しました。
村上浩康映画監督のコラム
ロシア映画「エルミタージュ幻想」、是非ご覧ください。

by denshinbashira
| 2018-01-26 11:46
| 人間
|
Comments(0)

