古い頭、新しい頭・・?その1 |
次から次へと不祥事が出てくるのに、
協会の親方たちは、その無能ぶりをさらしている。
彼らはあきらかに頭が古く、
時代錯誤のまま生きているようにも見える。
司馬遼太郎の「花神」が面白く、
全三巻の二巻まで、あっという間に読んでしまった。
内容は明治維新の近代日本の陸軍の創始者でもある
大村益次郎の話だが、
読んでいくと、
幕末から明治維新にかけての時代社会の状況と人間とが、
パノラマにように、見渡せてくる。
私がどうして「神花」を読みたくなったかというと。
百姓の身分から身を起こし、蘭学を学び
さらに、本人は剣術すら知らないのに、
軍の総帥として長州征伐の幕府軍をコテンパにやっつけ
さらに戊辰戦争でも圧倒的に勝利を得る。
その不思議な男、大村益次郎の、
内面と頭脳の構造を知りたかったからです。
彼が何をどのように感じ、考え、そして行動したかを
知りたかったからですが。
と、同時に
幕末から明治へと激変する時代の模様の中に
人間と人間社会が、
どのように彼らの脳世界、つまり、
<脳の絵図や、脳地図>を変遷させていくのかも、
司馬さんの目を借りながら、見てみたいと思ったからです。
まだ残り1巻ありますが、でも面白い。
更に、少しずつ、
人間がどのように社会や時代を創りだすのかが見えてくる。
ペリーが来航してより、日本の中に激変が起きてきますが、
それよりも先に、日本はオランダを通じて、
医学書や西洋兵学などのたくさんの西欧文化が
入ってきます。
それを日本語に訳すのが益次郎の役目なのです。
つまり益次郎の頭の中には、
当時の日本人がまだ開目していない
たくさんの西洋知識が入っているわけです。
産業革命を経て、自由主義へと驀進している、
その西洋知識から日本を見ると、
当然いまだに封建制の下にある徳川幕藩の
日本の後進性がみえてきます。
そういう中で益次郎は士農工商の武士の時代の終わりと
四民平等の社会を夢見ます。
※大村益次郎と西郷隆盛は後に対立しますが、
益次郎は四民平等の社会を実現しようとするのに
西郷はどうしても武士にこだわり、武士の世界を残そうとします。
そこが、西郷の限界ですかね~。
おそらく益次郎がただの蘭学の医者に終わらなかったのは
百姓出身である彼自身の中にある、
身分制度の不平等と抑圧の社会への
冷徹な批判の目であったと思います。
しかし彼がすごいのは、それを感情的、或は思想的には
走らないのです。
彼は一般的な攘夷論者には、ならないのです。
勿論、口角泡と飛ばして議論などもしませんし
さらに短絡的な倒幕の志士にも、
なりません。
むしろ、何も語らず、行動もせず、
ひたすら蘭学や英語の書に囲まれて過ごします。
その益次郎が、自分を生かすために、
自分から会いにいった唯一の人物が、
自分の藩での若き政治家、桂小五郎です。
他の人間には、関心すらもたず、目もくれません。
彼の頭の中には、西洋知識に基づいた、
近代の日本社会の姿とその軍隊が明確なビジョンとして
展開されていたに違いないのです。
しかしそれを、当時の日本人の誰に説いても
理解のされようがないのです。
ただ、時代はどんどん益次郎の脳の世界の方へと向かって
動いていきます。
※社会も生き物なのですね。
そして<蛤御門の変>の後始まる幕府の長州征伐の戦いで、
益次郎の頭の中にある、近代的な戦のイメージが
幕府軍に対する長州の戦略、軍略として、
ドンドン具現化されて行きます。
それは、
階級、身分を問わずに兵として登用する
いわゆる近代市民軍を形成していきます。
そして
戦い方も武士の形式に囚われず、
一騎打ちを禁じ、
西洋式の軍団として、
ときにゲリラとして戦える訓練をしていきます。
着衣も、
職人の作業着のような簡易で動きやすい洋服のようなものを着せ、
個々の兵士に最新のライフル銃をもたせます。
それに比べ幕府軍はいまだに戦国時代のような兜と甲冑をつけ、
足軽に武器を持たせ、
その武器も槍や火縄銃で応戦します。
※昨年の大河ドラマに出てきた<井伊の赤備>は
300年をこえても当時そのままの<赤備>の甲冑で
幕府軍の先鋒として戦うのですよ。
もう古臭くて、古臭くて・・・笑!
15万の幕府軍対3500の長州軍で、
でも圧倒的に勝ったのは長州軍でした。
その時長州にライフル銃を提供したのが
坂本竜馬の<亀山社中>です。
ただ断っておきますが、
当時のほとんどの人間の頭の中は
幕府軍と同じです。
長州の人間でさえ、そういう古さから抜け切れていません。
益次郎を始め、ほんの数人だけが、
近代的な頭だったと思います。
その一人が坂本竜馬でもあります。
竜馬は、山の内が支配する、
身分制度の厳しい土佐藩の下級の下士ですが、
そんな土佐藩にさっさと見切りをつけて脱藩します。
竜馬の頭の中にも、
西欧資本主義の会社のビジョンがあり、
それを実現するためにも、
彼にとって幕府を倒すことは必定で、
そのために長州と薩摩をどうしても結びつける必要があったのですね。
ここで長州は薩摩の名目を借りてライフル銃を手に入れるのです。
さて、
頭が古い、ってどういうことですかね~?
冒頭に書いた相撲協会の親方たちも、
横綱審議員会も、評議委員会も、みんな
硬直した頭のように、私には見えます。
彼らだけではありません、
政治家やその他の人間も、古い頭のままのように
見えます。
でも
新しい頭って、どういう頭でしょうか?
それは現代のIT、及びAI社会に適応すること・・・?
でも、
なさそうに、
私は思うのです。
それは、いったい何だろう、
どういうことだろう?
それを考えながら、
益次郎の人生を読んでいます。
noteウエブマガジン「MIZUTAMA」を更新しました。
私が書いた「自分の物語」です。
いつもこのブログを読んで下さっている方は、
もうよくご存じのことだと思いますが、
生きてゆく勇気や,前へ進むためのアイディは、自分のというプログラムの
地の底から湧いてくることを書きました。
どうぞご覧ください。