2018年 02月 05日
古い頭、新しい頭・・?おまけ! |
「花神」を読み終え、
「古い頭、新しい頭」を書き終えて、今も
大村益次郎の頭の合理性に対する感動がつづいている。
まさに彼の頭の中は
ひたすら知へと向いて、
最も目的化されたものだけを
知の中で、透過して、
意識へとおろしてくる。
その明瞭で明確な脳のフィールドでは、
世俗的なことは全く選択されない。
どうでもいいことや、
どうでもいい人間関係などは
当然のように削除されてしまう。
よけいなことや、どうでもいいことは
まさに、自分が自分の脳の中でつくりだしていることであり、
ほんとうは実体のない事で、仮想、妄想なのですから、
まことに現代の脳科学の理にかなっています。
彼にとっては、
ほとんどのことは、どうでもいいことであり、
儀礼的なことや形式的なことは勿論、
彼は挨拶すら、省いてしまうのですから。
反対にたいがいの人間は
いつも他人の心を斟酌してびくびくしながら、
そのどうでもいい、
どっちに転んでも大したことないことを
人間は後生大事に抱え込むのです。
脳の機能からいうと、それらは全く無用の代物なのに。
私自身、自分の頭の中を覗いてみると
どうでもいいことを取り越し苦労し、
やらなくてもいいような気遣いや心配ばかりを
はびこらせている。
自分でもこれじゃあ~、いつまでたっても
頭は明快にはならないな~と
思います・・・苦笑!
たとえば西郷のことを、私は、
どこかで感情と理念がどんぶり勘定になっている、と
書きましたが、
西郷の写真をみても、
器の大きさは感じますが、
聡明な厳しさや鋭さは感じられませんから
多分、そうだったのではないかと思います。
そういう西郷を大衆は持ちあげ、英雄化してしまいますが、
彼のどんぶり勘定の後始末をしたのは、
益次郎や大久保でしょう。
二人共が殺されてしまいました。
これまで大衆は、いつも、自分達にとって
わかりやすい、都合のいい、人間を幻想化しては、
ほんとうに優れた人間を理解できず
殺してしまいます。
そういうことばかり繰り返していることに
気づかねばね~!
私自身、もう海江田がもっていたような、
土着的な感情や情念は、
整理して削除してしまいましたが、
まだまだ、他人との関係では
よけいなことに囚われている自分がいます。
それは益次郎のように、
自分の中が明快で明瞭であれば、
孤立しようが、孤独であろうが、かまわない、という
しっかりとした柱が
私の中でまだまだ脆弱なのです。
多分司馬さんも、
おそらく、いつも、
孤独の自分を抱えておられたのではないかと
思います。
だからこそ、明晰な推理の文章が書けたのだと思います。
益次郎や司馬さんに比べれば、私など、ただのバアサンで
ただの凡庸な人間ですから、
弱いのが当たり前なのでしょうが。
でもね、
やっぱり味わってみたいのですよ。
胸がすくような、
明快で明瞭な自分の地平をです・・・苦笑!
益次郎の合理性の素晴らしさが
もうひとつあります。
それは、彼は最初から、
必ず敵のための敗走路を用意しておくことです。
どの戦においても、そうです。
彼の中に闘争心はないとかきましたが、
彼はいつもゲーム版を見るように
全体の状況を、上から俯瞰してみていました。
その時、かならず戦いのエネルギーの通路というか、
つまり、
戦の発火地点から、どのようにエネルギーを流していくかを
考慮しながら、作戦をたてているのです。
彼にとっては
敵が逃げてくれるということこそが重要で、
敵を逃がすことこそが
被害を最小限にし、
戦うコストも削減できます。
このことは何か、私にヒントをくれているのですが、
ただ今考え中です・・・笑!!
人間関係において、私の苦手とする人間が、
自分から逃げてくれる(離れてくれる)。
私自身の手を煩わさず、勝手に逃げてくれる・・・むにゃむにゃ・・???
そのためには
どういうスタンスをとったらいいか・・・???
まあ、そのうち閃くでしょう!
何事も勉強になります。

noteウエブマガジン「MIZUTAMA」を更新しました。
私が書いた「自分の物語」です。
いつもこのブログを読んで下さっている方は、
もうよくご存じのことだと思いますが、
生きてゆく勇気や,前へ進むためのアイディは、自分のというプログラムの
地の底から湧いてくることを書きました。
どうぞご覧ください。

「古い頭、新しい頭」を書き終えて、今も
大村益次郎の頭の合理性に対する感動がつづいている。
まさに彼の頭の中は
ひたすら知へと向いて、
最も目的化されたものだけを
知の中で、透過して、
意識へとおろしてくる。
その明瞭で明確な脳のフィールドでは、
世俗的なことは全く選択されない。
どうでもいいことや、
どうでもいい人間関係などは
当然のように削除されてしまう。
よけいなことや、どうでもいいことは
まさに、自分が自分の脳の中でつくりだしていることであり、
ほんとうは実体のない事で、仮想、妄想なのですから、
まことに現代の脳科学の理にかなっています。
彼にとっては、
ほとんどのことは、どうでもいいことであり、
儀礼的なことや形式的なことは勿論、
彼は挨拶すら、省いてしまうのですから。
反対にたいがいの人間は
いつも他人の心を斟酌してびくびくしながら、
そのどうでもいい、
どっちに転んでも大したことないことを
人間は後生大事に抱え込むのです。
脳の機能からいうと、それらは全く無用の代物なのに。
私自身、自分の頭の中を覗いてみると
どうでもいいことを取り越し苦労し、
やらなくてもいいような気遣いや心配ばかりを
はびこらせている。
自分でもこれじゃあ~、いつまでたっても
頭は明快にはならないな~と
思います・・・苦笑!
たとえば西郷のことを、私は、
どこかで感情と理念がどんぶり勘定になっている、と
書きましたが、
西郷の写真をみても、
器の大きさは感じますが、
聡明な厳しさや鋭さは感じられませんから
多分、そうだったのではないかと思います。
そういう西郷を大衆は持ちあげ、英雄化してしまいますが、
彼のどんぶり勘定の後始末をしたのは、
益次郎や大久保でしょう。
二人共が殺されてしまいました。
これまで大衆は、いつも、自分達にとって
わかりやすい、都合のいい、人間を幻想化しては、
ほんとうに優れた人間を理解できず
殺してしまいます。
そういうことばかり繰り返していることに
気づかねばね~!
私自身、もう海江田がもっていたような、
土着的な感情や情念は、
整理して削除してしまいましたが、
まだまだ、他人との関係では
よけいなことに囚われている自分がいます。
それは益次郎のように、
自分の中が明快で明瞭であれば、
孤立しようが、孤独であろうが、かまわない、という
しっかりとした柱が
私の中でまだまだ脆弱なのです。
多分司馬さんも、
おそらく、いつも、
孤独の自分を抱えておられたのではないかと
思います。
だからこそ、明晰な推理の文章が書けたのだと思います。
益次郎や司馬さんに比べれば、私など、ただのバアサンで
ただの凡庸な人間ですから、
弱いのが当たり前なのでしょうが。
でもね、
やっぱり味わってみたいのですよ。
胸がすくような、
明快で明瞭な自分の地平をです・・・苦笑!
益次郎の合理性の素晴らしさが
もうひとつあります。
それは、彼は最初から、
必ず敵のための敗走路を用意しておくことです。
どの戦においても、そうです。
彼の中に闘争心はないとかきましたが、
彼はいつもゲーム版を見るように
全体の状況を、上から俯瞰してみていました。
その時、かならず戦いのエネルギーの通路というか、
つまり、
戦の発火地点から、どのようにエネルギーを流していくかを
考慮しながら、作戦をたてているのです。
彼にとっては
敵が逃げてくれるということこそが重要で、
敵を逃がすことこそが
被害を最小限にし、
戦うコストも削減できます。
このことは何か、私にヒントをくれているのですが、
ただ今考え中です・・・笑!!
人間関係において、私の苦手とする人間が、
自分から逃げてくれる(離れてくれる)。
私自身の手を煩わさず、勝手に逃げてくれる・・・むにゃむにゃ・・???
そのためには
どういうスタンスをとったらいいか・・・???
まあ、そのうち閃くでしょう!
何事も勉強になります。

noteウエブマガジン「MIZUTAMA」を更新しました。
私が書いた「自分の物語」です。
いつもこのブログを読んで下さっている方は、
もうよくご存じのことだと思いますが、
生きてゆく勇気や,前へ進むためのアイディは、自分のというプログラムの
地の底から湧いてくることを書きました。
どうぞご覧ください。

by denshinbashira
| 2018-02-05 08:59
| 脳は空より広いか
|
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