2018年 02月 07日
海の人、山の人。 |
司馬さんのエッセイ「この国のかたち3」の中の
「岬と山」を読んでいたら、
頭の中に糸の切れた凧が浮かんだ。
私達の中には、
古代から営々と受け継がれた日本の風土の遺伝子がある。
それは、日本の風土に適応しながら、
私達の遺伝子を書き換え継がれてきたはずである。
そこには山や海に対する畏怖や畏敬の念があり、
自分の中に起きる不安や恐れの神秘を
山の神や海の神に託して
祈りを捧げてきた歴史がある。
しかし私たちは、
そういう自然から随分乖離してしまい
そのことにを忘れそうになっている。
もっというと、
私たちはテクノロジーで何でも解決できることで、
祈りの世界を忘れかけているかも、
しれないのだ。
むしろそんなことなど思いもせず、
テクノロジーのまっただ中の
今の自分しか意識できていないのではなかろうか。
そう思うとき、
現代の頭でっかち、バーチャル観念的な人間の姿が
糸の切れた凧の上に重なってきたのである。
私はもう、
実体験の希薄な、実感に乏しい、
観念ばかりが先行しているバーチャル世界に
取り囲まれている気がする。
しかし、
私達の中には古代からの遺伝子がいるはずなのである。
山を畏怖し、海の中に神秘を抱き、
その恵を感謝する遺伝子が、
無意識の中には、
空気のようにあるのではないだろうか。
それらは脳が創りだすイメージの、
下地や背景のように
漠然とした、感性として、あるのではないだろうか。
いろんな人に会うが、その時
ドンと存在感のある人は、
自信に満ち、威厳があり、
なんだか、山の神の遺伝子があるような気がする。
話していても、言葉が安定し、
話の中に実存感が溢れているからだ。
海の神の遺伝子の人は、
どこか茫洋としていて
おおらかで、大きいような気がする。
直感的に感じるのは、
山の遺伝子の人の方が多く、
なかなか海の遺伝子の人には会えない。
実存感のない人には不安になる。
観念的な人は、呼吸が浅く、
言葉が薄い。
といっても、あくまでも、これは、
私の独断的な直感によるものであるから、
究めて、いい加減なんですけど…笑!
これからどんどんテクノロジーが進み、
私達は益々バーチャル世界のなかで生きるかもしれない。
その時、まだ私達の足は、大地にしっかり立っているだろうか。
海を敬い、山を畏れているだろうか。
私たちは
漠然とでもいい、
自分という根拠を持ち続けていきていけるだろうか。
つまり、糸の切れた凧になった時、
私達の精神がやられるような気がするのです。
社会が人工的になればなるほど、
ほんとうは、古代から持ち続けていた
山の意識、海の意識が希薄になるような気がする。
ところで、
貴女は海のひとですか、
貴方は山のひとですか、
私は自分は海の人だとおもっています。
漠然とですが・・・。

noteウエブマガジン「MIZUTAMA」を更新しました。
私が書いた「自分の物語」です。
いつもこのブログを読んで下さっている方は、
もうよくご存じのことだと思いますが、
生きてゆく勇気や,前へ進むためのアイディは、自分のというプログラムの
地の底から湧いてくることを書きました。
どうぞご覧ください。

「岬と山」を読んでいたら、
頭の中に糸の切れた凧が浮かんだ。
私達の中には、
古代から営々と受け継がれた日本の風土の遺伝子がある。
それは、日本の風土に適応しながら、
私達の遺伝子を書き換え継がれてきたはずである。
そこには山や海に対する畏怖や畏敬の念があり、
自分の中に起きる不安や恐れの神秘を
山の神や海の神に託して
祈りを捧げてきた歴史がある。
しかし私たちは、
そういう自然から随分乖離してしまい
そのことにを忘れそうになっている。
もっというと、
私たちはテクノロジーで何でも解決できることで、
祈りの世界を忘れかけているかも、
しれないのだ。
むしろそんなことなど思いもせず、
テクノロジーのまっただ中の
今の自分しか意識できていないのではなかろうか。
そう思うとき、
現代の頭でっかち、バーチャル観念的な人間の姿が
糸の切れた凧の上に重なってきたのである。
私はもう、
実体験の希薄な、実感に乏しい、
観念ばかりが先行しているバーチャル世界に
取り囲まれている気がする。
しかし、
私達の中には古代からの遺伝子がいるはずなのである。
山を畏怖し、海の中に神秘を抱き、
その恵を感謝する遺伝子が、
無意識の中には、
空気のようにあるのではないだろうか。
それらは脳が創りだすイメージの、
下地や背景のように
漠然とした、感性として、あるのではないだろうか。
いろんな人に会うが、その時
ドンと存在感のある人は、
自信に満ち、威厳があり、
なんだか、山の神の遺伝子があるような気がする。
話していても、言葉が安定し、
話の中に実存感が溢れているからだ。
海の神の遺伝子の人は、
どこか茫洋としていて
おおらかで、大きいような気がする。
直感的に感じるのは、
山の遺伝子の人の方が多く、
なかなか海の遺伝子の人には会えない。
実存感のない人には不安になる。
観念的な人は、呼吸が浅く、
言葉が薄い。
といっても、あくまでも、これは、
私の独断的な直感によるものであるから、
究めて、いい加減なんですけど…笑!
これからどんどんテクノロジーが進み、
私達は益々バーチャル世界のなかで生きるかもしれない。
その時、まだ私達の足は、大地にしっかり立っているだろうか。
海を敬い、山を畏れているだろうか。
私たちは
漠然とでもいい、
自分という根拠を持ち続けていきていけるだろうか。
つまり、糸の切れた凧になった時、
私達の精神がやられるような気がするのです。
社会が人工的になればなるほど、
ほんとうは、古代から持ち続けていた
山の意識、海の意識が希薄になるような気がする。
ところで、
貴女は海のひとですか、
貴方は山のひとですか、
私は自分は海の人だとおもっています。
漠然とですが・・・。

noteウエブマガジン「MIZUTAMA」を更新しました。
私が書いた「自分の物語」です。
いつもこのブログを読んで下さっている方は、
もうよくご存じのことだと思いますが、
生きてゆく勇気や,前へ進むためのアイディは、自分のというプログラムの
地の底から湧いてくることを書きました。
どうぞご覧ください。

by denshinbashira
| 2018-02-07 06:19
| 生きる歓び
|
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