愛されていることに、きづく! |
何も書くことがうかびません。
それで以下の記事は以前書いものですが、
先日、ある人に、
「自分が愛されていることに気づきなさいよ。」と
話しました。
その人のためにも、その記事を載せますので、
よかったら読んでください。
・愛されていることを感じることができない人間。
私はこれまでたくさんの人と出遭ってきた。
中には、はなから肌合いが合わないというひとも、何人かはいたが、
それでも、私が会ったほとんどの人は、そのひとのなかにあるいかにも
その人らしいいいところにすーっと私の眼が行き、
いいなあ~と思う。
勿論問題性もみえることは見える。
しかし
出遭おうとするとき見えるのは、
たいがいが、
そのひとの魅力的なところであるが、
問題は、本人がちっとも自分の長所や魅力に気づいていないことです。
特に自己ディスカウントや自己否定の強いひとは、
いくら私がそのひとのことを素敵だなあ~と思っても、
そういう私の目線や言葉の中にある肯定などを
ちっとも感じないし、受け取らない。
強烈な自己否定や自己防衛ばかりが、
その人の意識の中で渦巻いているため
自分が愛されているのだ・・・ということや、
受け入れられているのだ・・・ということの、その温度を感じることが
できないのだ。
逆に私がいいなあ~と思い、素敵だなあ~と思っていた人から
トンデモない誤解や攻撃を受けたりしたことも何度もあります。
そういうひとは私がその人を愛しているということも
ささやかに愛情をギフトしているということも、
感じることができない。
残念だけど、しかたがない!
そういう人たちのほとんどは、自分は愛されていない…と
強烈に思い込んでいるひとで、
被害者意識の自分を固持する。
いくらそこに愛情を注いでも、鉄板のような自我の砦が
他者の愛情をはねかえし、
ちっともそれを感じようとしない。
そして100ほども自分のステキなところがあるのに
たった数個の自分の欠点のほうばかりを
ほじくりまくる!
自分を否定し、
自分をディスカウントするほうにばかりに意識とエネルギーをむける。
自分が愛されているのだということを感じることは
とても難しいのかもしれません。
しかし”感情の害”のところで書いたように
人間は自分が愛されたことや、受け入れられたことは
すぐ忘れるのです。
その反対に、傷ついたことや不安に襲われたことは
もう強烈に覚えている。
愛情はほとんど目には見えないから、それを感じ取るアンテナを
ちゃーんと立っていないと、見過ごしてしまう。
愛している・・・とはっきり言葉にしたりとか、
受け入れています・・・とあからさまに示す・・とか、
ひとはそういうことは具体的にはあらわさないもんです。
言わないもんです。
逆に、そういうことを簡単に口にする人間こそ怪しいもんですよ!
特に女性はそう言われたがるけどね。
愛情は空気のように
光のようにさりげなく、その人を包み込み注がれているもんです。
人間はだれもが愛されたたいという願望を潜在的にもっている。
しかし愛情は、空気のようにしか注げない。
それを本人が気づかなけれればおわりです。
そしておそらく、自分が愛されていると
感じることができるひとは自分を愛しているひと。
それは、ナルシズムや、エゴではなく
ささやかに生きている自分を、ささやかに愛し
同じように、ささやかに他人を信頼し、疑わないひとだと
おもいます!
自分を否定し他人を疑ってばかりいるひとも、
いつかそういう自分も愛されている、或いは
愛されていたんだと
はっと、気づけるといいね!
