死後の世界なんかないよ!その3 |
肝臓がんの手術を2年間で4回もしたそうで、
4回目の手術を終えて退院した二日目に
突如亡くなったとのことでした。
彼女の話では手術のリスクをしらなかったそうで、
もし、それを手術前に知っていたら・・・。ということでした。
「それで貴女はどうなのよ」と言われましたので、
私は一切健康診断には行かない。ただ
血圧が高いので、
それは薬を呑んでいることを話しました。
さて先日偶然にも、西武線の池袋駅で、
立花隆さんとすれ違いました。
私は構内から出ようとし、立花さんは
構内に入って行かれました。
お元気で何よりです。
そしてこの度は
立花さんの著書「知的ヒントの見つけ方」の中にあった一行に
驚いてしまいました。
それは
「人間最晩年になると、
もうこれ以上生きていなくてもいいや思いつつ・・・」と
書いてあったからです。
実はも私そう思っているのです。
そうか、立花さんも、そういう心境かと思うとともに
もしかしたら、老人の多くは、
そういう境地に達しているかもしれないとも
思いました。
つまり人生でかなりやりつくして満足し、
心の執着が取れていく中、
成熟がおきてくる。それが、
老人の心境かもしないからです。
まあ、そうじゃない爺さん婆さんもいるかもしれませんが・・・苦笑!
少なくとも私は、もういいです。
いつ終わりがきてもいいです。
もう十二分にやりつくしました。
今は残りを元気にこなしているという感じです。
ただこういうことは殆ど人には喋りません。
自分ひとりの胸の中で
そう思っています。
他の方がたもそうじゃあないでしょうか・・・。
話せばきっと家族が心配するからね。
逆に書道家の篠田桃江女史などは、
105歳なのに、死ねないでこまるのよ~。と
書いておられます。
もうこうなると
延命など関係ないです。必要ないです。
なにか世の中も、医療者たちも、
人間が皆、死を恐れていると、勘違いをしておられるのか、
それとも、生きるのは、
塵が積もるように経験が積もり、
そしてやがて、そこに充足が来るということを
ご存じないのか。
誕生から死までの人間の命の営みは、
皆が、思い通りにはいかない自分との闘いです。
それでも、皆懸命に生き、そしてそこには確実に
その人の足跡が刻まれています。
だからこそ逆に、
文明の医療が、
いたずらに命をいじくることに
私は反対です。
私はいっさいのサプリも呑みません。
ただ、自然に命の赴くままに任せます。
そして
立花さんの著書によると、
死は怖くなく、
むしろその瞬間は、
まるで眠りにつくようなのだそうです。
自分の命に、
人生に、
感謝です。
蝋梅です。