流るるものを拾ふ |
子供をみていると、
心そのままに真っすぐにいきているのに
大人は心をこじらせてばかりいる。
そのこじらせた心を見ながら、
その心を拾っていく。
どこかに心をこじらせない人はいないものかと
思うが、しかし
そういう大人にあったことはめったにない。
心をこじらせない人間関係は
清々しい。
心をこじらせるということは、
自分の一部部分でしか、世の中も、人をも見ていない。
自分のなかでも、こじれているところと
素直に素直になる自分がいるはずなのに、
こじらせるとこじらせた自分という
ほんの一部分の自分でしか、生きていない。
そしてこじらせた自分は
確実に相手を誤解しているかもしれないのだ。
多分誤解していると思いますよ。
人間は自分の窓からしか、外も他者もみることができない。
だから人は時に、
こじらせたり、誤解したままの自分を
ひっ下げていきているように
私には見える。
それは悲しいし不幸だ。
こじらせている人と向き合うと
私はエネルギーを奪われ、しんどい、
もう歳だから、直に体にくる。
しかし、それでも、時に、その石も拾わねば、と思う。
『春の水ゆたかに、流るるものを拾ふ』
種田山頭火

「MIZURAMA]4号 愛とツッチのオタトーク!
どうぞ読んでみてくださいな!
