ふたたび、私は心しかもっていない! |
人間は、自分の脳という<カプセル>の中に閉じ込められていますから、
だから断絶を介してしか繋がれないのですね。
そのことは、もう耳にタコができるくらい
このブログで書いてきました。
つまり人間は自分が創り出した世界の中で
完結して生きており、
そこには自分の心しかないのです。
自分の心が他者や外界をどのように読み取っているか、
そしてそこでどのような結論を出しながら
自分の行為、行動をコントロールしているか、
なのですね。
そういうことを十全に知りながらも
このところ私は苦しみました。
苦しくて苦しくてたまりませんでした。
それは私の感情が、私の理性では抑えきれなかったからです。
感情は最も本能に近い脳の機能です。
そして理性は人間が後で獲得した機能ですから
どうしても理性より感情が強いのです。
だから人間は苦しむのですね。
今回もあることをきっかけに
私の中で理性と感情とが大格闘をし、
私の頭の中で理性の言葉と感情の言葉とが
絶えず巡ってしまい、とても苦しみました。
心の休む暇がありませんでした。
その中で
私は理性を目指して、懸命に自分を立て直しました。
でも正直にいうと
まだまだ私の柱は
シャンと立てません。
だからブログを書く気力がいまひとつなのです。
そこで今日も私は
私の自身のためにも以前書いたものを
ふたたび載せます。
自分を取り戻すべく私自身もこの記事を読ます。
よかったら一緒に読んでください。
私は心しかもっていない。その2
人間の脳の宿命として
ほおっておいたら、
脳の記憶の中は嫌なことだらけになると
書きました。
心はほおっておいたら
ドンドン自己中心になり、
そこにゴミや垢がたまっていきます。
そのゴミや垢をとり除く、という、
意識的な自分が必要なのですね。
思えば私、自分が心しかもっていないという体験を
何度もしたように覚えています。
それは子供の頃、理不尽に親から怒られたり
罰をあたえられたり、時に折檻された時、
いつも自分に孤独感がまとわりつき、
自分が身ぐるみ剥がされて、
もう、心しかもっていない自分がそこにいたような
気がします。
でも、でもね、長い間の年月は
私は、心しかもっていない自分は、
それがいいのだと思うようになりました。
人間は心さえもっていればいいのです。
深い悲しみや深い孤独感を感じる時
そこには心しかありません。
しかし、それらがあるから
人間の心が分かってくるのです。
人間の心とは、自分の心だけではありませんよ、
他者の中にある深い<翳のこころ>もが
理解できていくのです。
それは誰もが、そしてみんなが持っている<翳のこころ>です。
人間ひとり、ひとりの中には
その人しか持っていない<翳の心>があるのです。
なぜなら、
喜びや嬉しい記憶は、ドンドン発散されて消えていきますが、
悲しみや絶望した時の心は、その人の中にのこっていきます。
※脳の機能として嫌だったことや
悲しいことばかりが記憶にのこります。
自分が危機を感じたことは記憶されて行きますが
残念ながら、愛されたことや楽しかったことは
すぐ忘れてしまうのです。
だから私は<魂>とは、自分の中にある
悲しみの記憶、絶望の記憶ではないかと考えています。
なぜなら、それこそが、その人間にしかない心の綾であり、
その人の独特の心を織り成すベース(糸)となっていると
考えたからです。
しかし、そのあと、
もう一つ魂というべきものがあることにも
気づいたのです。
それは
その悲しみや、絶望を越えていく、或は
乗り越えた時の●大きな心の輝(エランヴィタール)も
その人の魂でもあるとも
思うのですよ。
※<エランヴィタール>とは
フランスの哲学者ベルグソンの言葉で
人間の心はある出遭いや出来事によって
大きな輝きや躍動の発火をするということです。
そういう負の魂の発火と
聖(正)の魂の発火とが
その人を成長させ、深い心の綾を織っていくのだと
私は思います。
私は心しかもっていない、
しかし
私の心をもっている。
そして
自分の心の中に生まれる<自分だけの世界>
それが自分の魂であり、
その魂さえあれば、いいじゃないかと思うのですよ。
そこにこそ、自分の<存在の核>があります。
自分には自分にしかない<心の核>があり
それは、悲しみや絶望だけではなく
そこから這い上り、
輝く瞬間の寸前にいる自分です。
その核をしっかり胸に抱いて生きる。
だからね、あきらめないで、ドンドン人や物事と出会い
未知の明日を勇気を持って前進し、自分を育ててほしいのです。
自分が懸命に生きることで
その魂の世界はどんどん豊かになっていきます。
そして自分だけではなく、
皆が、だれもが、
悲しみや絶望と、そしてそれを超えていく
●魂の輝き(エランヴィタール)をもって
生きている。
そういう風に底辺で、心の奥で、
自分以外の人々と繋がっていたいと
私は願います。
いまはもう結婚して子供を授かり幸せです。でも、不安になる癖は残っていて、最近すごく寂しくなってしまい、適当な相手が思いつかずにいのちの電話にかけてまで少し雑談してもらいました。不安を口にして肯定してもらい、そんなことで不思議なくらい楽になりました。
そんなんじゃダメだと言われてしまうかもしれませんが、一人では難しいときにサポートを受けることは、私には必要なのかもなと思いました。先生ももしどうしてもしんどかったら、そんなことも試してみてください。