アナログに生きよう!その1 |
私の頭の中を去来するあれこれを
一掃し、自分をリセットするための旅でしたが、
おかげさまで、だいぶん整理がつきました。
このブログを読んでくださる皆さまはどうでしょうか?
私は現代のデジタルの世が息苦しくてたまりません。
私が歳をとっているからかもしれませんが。
それで旅行中はずっと自分の頭の中を
アナログに戻そうとしました。
ゆっくりと急がず、時に道草や回り道をする。
とろくさくとも、ドンくさくとも
自分の感性を確かめながら、という風にです。
何がデジタルで、何がアナログなのかははっきりとは分かりませんが、
ただ、これからは、
私の頭の中のシステムを
外的世界に振り回されず、
じっくりと落ち着いて物事を考え、
丁寧に自分を辿りながら生ることに
決めました。
実は長崎に行ったのです。
長崎は、日本が封建社会から近代社会へと覚醒していく時の
要の場所です。
江戸の末期、近代に目覚め始めた多くの青年が
蘭学をはじめ、西洋医学や科学技術や海運技術を学ぼうと
長崎に行きます。
先般私が読んでいた「花神」の大村益次郎も医者であり、
長崎へゆき、目から鱗に目覚めていきます。
長崎にはそれらの情報とそれを伝授してくれる外国の人々が
いたのです。
特にシーボルトについては
シーボルトから学ぼうとたくさんの医者の青年が日本中から
長崎に集まり、勉強して、その後日本の各地で活躍してゆきます。
シーボルトは日本の女性との間に
イネという女の子をもうけますが
シーボルトがドイツへ帰還した後、
大人に成長したイネは逆に、
大村益次郎から蘭学を教えてもらいます。
イネは私が尊敬する女性のひとりでもあります。
また、おもしろいことに、
万延元年、日米修好通商条約を批准するために
咸臨丸に乗って日本の若者達がアメリカへと行きました。
その時アメリカ側では、後進国、文明未開の国から来た若者たちに
西洋の近代学問と科学技術をみせてやろうとしたらしいのですが、
それらのほとんどを、
日本の若者たちがすでに知っていたということです。
それくらい幕末には、西洋に目覚めようとした青年が
長崎へと行き、そこから遥か西洋を眺めていたということでしょうか。
あの坂本竜馬もその一人ですね。
今回は私も坂本竜馬が会社として設立した
亀山社中に行ってみました。
くねくねとした坂道を上り長崎の丘の中腹に
その小さな家がありました。
そこで改めて竜馬の写真を見ました。
いかにも賢そうな眼をした青年でした。
この青年が何を考え、なにをしようとしたのか、
竜馬の頭の中に
『希望のビジョン』はどのように見えていたのだろうかと
あらためて感慨深いものがありました。
旅行中は、ほとんど頭の中をオフにして
何も考えず、ぼ~っと過ごしましたので、
帰ってからも、頭がシャープに働きません…笑!
でも、もうゆっくりと
自分の感性と感覚に基づいて
なるべくアナログ的に生きようと
思っています。
「MIZURAMA」4号どうぞご覧ください。