著名な少女漫画を読んだ感想です。 |
少女漫画というものを始めて読みました。
「MIZUTAMA」で漫画特集の企画があり、
とりあえず、私に少女漫画を体験するようにという
編集部員からのご命令です…笑!
今回まず、一冊めの、460余ページのその漫画を読んでみて
溜息をついてしまいました。
あゝこの漫画には、
ちょっと厄介な問題があるなあ~という
トホホの溜息です。
ただほんとに一冊しか読んでいませんし、
私自身はこの一冊だけで、
少女漫画を論評する気は、毛頭もありません。
ただ、ただ読んでみて、
そこから、これじあ~、相当生きづらいだろうな~ということと
この漫画が抱えている背景は、
もしかしたら、時代的な問題として
かなり深刻な問題を孕んでいるなあ~と
つくづく思いましたので、
それを書きたいと思います。
ここから脱出してもらいたいと思い書きます。
この漫画から読み取れるテーマは
<恋愛と共依存>のように思いました。
形態がボーイズラブの体を装ってはいますが
テーマは、恋愛と共依存で、
共依存の相手は母親及び友人です。
また作者の中に、強烈な他者に対する支配欲や所有欲の葛藤があり、
それに関しては同じようにそれに苦しみ、共感する多くの
少女読者がいるのかもしれませんね。
漫画の半ばで母親は死んでしまいますが、
それは共依存からの脱出になっていません。
共依存の中に抱え込まれたまま、主人公たちは
それをやり過ごそうとしているにすぎません。
しかし、私にみえてくる問題は
そういうことより、
それ以前のこととして、
この漫画には、臨場に生きている人間の姿が
見当たらないことの方が問題です。
人間はいつも<からだと頭>とで現実にぶつかり
生々しく現実を
●実感しながら生きるものなのですが、
この漫画にでてくる人間たちには
<からだ>がないのです。
つまり実感していくための媒体としての、或は
レセプターとしての<からだ>感覚が
著しく欠けていると思われます。
だから体を通して感覚入力されてくる情報に
著しく欠けてもいます。
なんだか、案山子たちが、
恋愛やその他を繰り広げているような
感じです…苦笑!
<からだ>がないというのは、
体が絵に書かれていないわけではないのですよ。
そうではなく、人間を観念で書いているために
人間が体から獲得する情報がほとんど希薄で、
描かれておらず、
人間と人間の関係、特に
この漫画で描こうとしている愛情という感情の絆を
相手とキスをすることでしか、
描かれてないのですよ。
漫画を読みながら途中まで、
なんでこうやたらとキスにこだわるのかと
いぶかしく思いましたが、
それは、作者自身が、
あまりに実存的な経験知が希薄なためだと
最後まで読んでわかりました。
この著者は少女漫画では超有名なひとらしいのですが、
多分そうとうな頭でッかちの人だと
思いますよ!
この人は、人間が他者と関係し交流し、繋がろうとするときに、
目には見えない、
様々な感覚のアンテナの神経が働きながら、
相手のことを感じ取り、
相手のイメージを自分の頭のでググりながら、
さらに目や耳や皮膚で
状況や雰囲気を感じとり、
感覚のアンテナを総開きにして
相手を感得しようするのだという
認識が欠けているように
思います。
多分頭はそうとう切れ、シャープな人だとは思いますが。
この人は、
人間はいつも、その総体(存在)が
相手の総体(存在)に向き合っている、ということを
認識できていない、或は、
体得、及び、感得できていないように思います。
頭が箱詰めにされている状態。
具体的にいうと人間は、
目から口から鼻から耳からは勿論
皮膚から、そしてからだ全身の神経を駆使して
相手を観察し、さらに
相手といかに関係を築くかを同時進行に考察しながら
相手(他者)とかかわっていきます。
※またその時、自分にとって関心がない人のことは
あっさりとスルーしていきます。
つまりこの漫画の作者は、
人間が生きるとは
自分の心と体を総動員、駆使しながら、
他者や外的世界と向き会っているという
認識に欠けているのではないかと思いました。
自分の観念(思いこみ)で人間とはこういうものだと
仮想してかいているように思えます。
もしかしたら、作者自身が、
そういう自分の全身の感覚を駆使して生きておらず、
(体当たりで生きておらず)
そうとう頭でッかちで生きている人かもしれませんね。
あらためて、書くと
人間は、
人間どうしには見えない、
意識にはのぼらない様々な、
無意識内にある
感覚をのスイッチをオン、オフにしながら
交流をしていきています。
そういう
・目には見えない、
・意識にはのぼらない、
・様々な感覚情報を得ながら、
他者との絆を築いていくのだということが
この漫画では、抜け落ちているのです。
だから、
この漫画のテーマである
人を愛するということについても
単にキスをしたから、心が繋がるということでは
決してないのにもかかわらず、
この漫画は、
そういう短絡的なキス場面のオンパレードです。
人間は、
相手の顔の表情を様々に読み取り、
相手の言葉や音声の強弱や音質を聞きとり
からだのしぐさを見ながら
相手の体から感じられる温度の温かさや冷たさ、
動作の速さや遅さや、
顔と行為のバランス、激しさ、穏やかさも
ちゃんと<からだの感覚と感性>で感じとり、
それと同時進行で
自分の頭の中の感情と知性をググり、イメージを膨らませながら、
その人の在り方(存在)そのものをキャッチし、
相手を判断していきます。
そういう他者との眼には見えない、
意識にはのぼらない、
●無意識の中で起きる認識を用いながら、
相手及び他者と交流しているです。
だから愛情を描くなら、
相手が愛情深く、誠実なら、それは相手の
<からだと存在>すべての中から感じ取るということまで
含めて描かないと、とても薄っぺらになります。
また反対に作者自身が、
それを感じ取るレセプターのアンテナをもっていないと
それも感じ取れないという限界を持ちます。
架空の物語になってしまいます。
頭がいい人は、その分、観念を加速させ、
仮想と架空の中の奇をてらうことに
陥ってしまうかもしれませんね。
愛情については、
その人間が相手から愛情を感じ始めると
むしろ、そこに意識の焦点化がおきますので、
どんどんそれを感じ取り、
漠然とではありますが、
しみじみと、或は、じわじわを相手の愛情を感得していくものです。
※ただそれもそういうレセプターがないと無理ですが。
そういうレセプターを持っていない人が実際にいます。
この漫画は、どうもテーマが<恋愛と母親との共依存>らしいので、
恋愛=キスとして描いたのかもしれませんが、
それにしても短絡です。
また作者自身に強烈に相手に対する支配欲があるために
作者自身のそれとの葛藤や、自己懺悔などが
かなり<観念的>に描かれています。
ただそれも、作者自身の<からだの体験・感覚入力>と
社会的経験知が希薄なために、
激しい直情的な感情が
空回りしています。
さてそれはそれとして、
私は最も問題だな~と思うのは
もしかしたら、この作者のような人間が増えているのかもしれないと
いうことです。
つまり、
頭ばかり、観念入力ばかりに偏り
自分の体(存在)で生きてはいない人たちが
増えているのだろうか・・・という懸念です。
現代人の危機として、
脳学者の中にもそういう指摘をしている人がいます。
感覚入力、つまり自分の頭と体(存在)を駆使して
体感的に現実と向きあうことにより、
人間は、人間とは何かや、社会の現実とは何かを
体験しながら
●実感していきます。
しかしもし、そういうことが希薄になり、
●現実をリアル体験=実感しないで生きている
ということになれば、それはかなり深刻な問題です。
結論からいうと、
そういう人は、
想像で観念を組み立てるために、
ものごとの実際の関係において起きる、
・奥行や
・量や
・層や
・実行程や
・そこに派生する人間の感情領域を
●実感、体得、できないために
現実を矮小化したり、
軽々に短絡させたりしてしまいます。
なぜならば、現実を実感、体感し感得していけばいくほど
●人間というものの、つまり
人間という現象や
或は、
社会という現象における
・込み入った複雑さや
・厄介な行程や
・実際に事が為されて行くことの難しさが
見えてきます。
しかし観念人間たちは
それらの実存的な認識を軽んじたり
抜け落としてしまいます。
人間の関係も、社会の関係においても
ほんとうは、
あまりにも多様であるための複雑さが、
厄介に込み入っていることをも
理解できず、
まるでそれらが簡単に成立し、
簡単に成し遂げられるられるかのような
短絡をするのです。
安直に物事が手に入るような錯覚をしてしまいます。
実際に
そういう人はかなり増えているように思います。
そうなると
現実は厳しいフィールドですから
頭でっかちの人はどんどん
現実に裏切られていきます。
現実に直面しても解決能力に欠けるために
時に絶望したり、
引きこもったりして
現実を回避していきます。
そうなればなるほど、
現実との乖離がドンドン大きくなり、
さらに解決不可能に陥り
独りよがりに虚無になったり、
被害者意識が拡大したりと、
もう
ろくなことにはなりません。
釈迦は生きることは<苦>であると言い切りました。
実際に、人間は、
複雑で、難しく、厄介な現実に
直面しては、悩み、傷つき、嘆きながら
ボロボロになる、満身創痍の中で生きています。誰もがね。
しかし、
それを懸命に乗り越えてゆくことでやっと、
少しずつ
人間という<現象>はなにか、
社会という<現象>はなにかが
体得され、見えて来ます。
それがその人間の
・存在の重さになり、
・生きる自信になり、
・チャレンジしていくエネルギーになります。
そういう意味では
この漫画の世界は、生きることにそらぞらしく、空虚のように
思います。
少女たちの本質は、
もっと生々しく、
もっと逞しく、そして
もっと豊穣なはずですよ。
頭でッかち人間から
自分を野に放ち、
勇気をもって、
体当たりにいきてほしいです。
未知なる現実で、
たくさんの体験をして欲しいと願います。
以上
これが私の感想です。