2018年 05月 02日
「第3回 さがみ人間未来フィルムフェスティバル」を見て! |
今回の「さがみ人間未来フィルムフェスティバル」の映画を見た後、
いろいろな事が浮かんできました。
ド素人の私が勝手に思ったことで、
もしかしたら、それは的外れなことかもしれません。
でも、正直に書きますので、
私の生意気をお許しください。
ドキュメンタリー映画の醍醐味は
なんといっても、ナマの状況のリアリティーと
ナマの人間たちのドラマがあることだ。
特に、
ナマの人間たちの表情の初々しさや面白さや深刻さの奥に
劇映画にはない、
リアリステックなドラマがあり、
それが映像という被膜と仕掛けを通して
描かれるのだと思う。
それはまさしく作り手によって
描かれる(創造される)のだと思う。
(素人の私がこんな言い方をするのを、お許しいください。)
そしてドキュメンタリー映画における、
劇映画との違いは、
どういう訳か、ほんとうにどういう訳でそうなったのかが
分かりませんが、
ドキュメンタリー映画は
社会的、教育的、記録的、ヒューマン的メッセージが強いことです。
時々それが過剰になったり、押しつけになると、
一観客の私はうんざりしてしまう。
そしてこの、社会的、教育的、記録的、ヒューマン的という
フレームが、時々ドキュメンタリー映画のセオリーとして、
桎梏のようになってしまっているのを私は感じる。
逆にその桎梏から逸脱して、
さらに美しい、
或は、
格段に面白い人間ドラマのドキュメンタリー映画は
ないものかしらと、いつも思う。
多分撮っている人が、
とても真面目なのだとは思うが。
今回『第三回 さがみ人間未来フィルムフェスティバル』の映画をみて、
そういう意味で、
秀逸だとおもったのは
「虫愛でる姫」である。
ドキュメンタリーでありながら、
ドキュメンタリー臭がなく、
芸術的であった。
端正に作られた画面には
油脂的なものが一切なく、
詩情があり、
一服の絵をみるようであり、
子供の放つ気品がありました。
昨年の能勢監督の「広島原爆 魂の撮影メモ」も
淡々と描かれる画面は、
社会的メッセージを包括しながらも
芸術までに昇華された、映像の位相を
私は感じました。
逆に、「夜明け前のこどもたち」では
社会性やヒューマン性をドキュメントの圧力のように用い
人間とはなにか、生きるとはなにかを
劇的な純度を持って迫る気迫があり、
この映画こそ、ドキュメンタリーの極北の作品として、
私は深い感動を得ました。
ここまでやりきると、もう見事というしかありませんでした。
撮影者、監督、監修者の志に、頭を垂れました。
また昨年の「無名碑」も
ドキュメンタリー映画の桎梏を超えようとした
ドラマ性があり、
村上監督が描きだそうとした
人間デッサンが見事であったと思う。
この監督の人間へのこだわりが
ドキュメンタリー映画にまとわりついている
型にはまった人間観の
社会性や教育性やヒューマン性を、
軽々と逸脱し、ドラマとしての自由さや軽妙さがあり、
特に、「ひまだから」と、飄々とゴミ拾いをする
隕石の先生の描写は絶品でした。
更に特筆すべきは
昨年の「こどもこそミライ」は
もし、この映画から、
教育的なものを一掃して、
子どもの生態だけに絞りこんでいたら
大傑作になったと思う。
そのカメラの視線こそ、
ドキュメンタリーの醍醐味であり、
つくづく残念に思います。
「阿波の襖からくりの習俗」もかなり面白かったが
やはりドキュメンタリー映画のセオリーの中に
納まっていた気がする。
この作品が
もっとスピード感に満ち、
アクロバティックにかつ奔放に編集されていたら
観客はメチャメチャに面白くみれたと思う。
そしてさらに
襖絵の持つ、
芸術性や幻想性に酔えたと
思うけど・・・。
今回の「さがみ人間未来フィルムフェスティバル」の映画を見た後、
私の頭の中には断続的に、ドキュメンタリーとは何かの
考察がおきてしまい、
もし、ドキュメンタリー映画に
滑稽さや、おふざけや、ポンコツや、漫画的などなどの、笑いの世界や
けったいなものや、サーカス的なアクロバティックな世界や
さらに色気や官能(エロ)や、
幻想や夢や虚構の世界などが、
付加されたり、
編集テクニックとして用いられたりすれば、
どんなに面白く、素敵になるかと
思う。
えてして、
考えさせられるけど、
息苦しい、という
既成のドキュメンタリーの領域から
脱出してして
もっと肩の力を抜いて、
自在に、奔放、多様に、遊んだらどうだろう。
ドキュメンタリー映画と聞いただけで
ワクワクして、
見にゆきたくなると、言う風にね。
確かにルミエール兄弟の「工場の出口」には
そういうワクワク感があったような気がする、
私の記憶では。
時代がどんどん変貌していく中で
劇映画の世界は、
どんどん奇態になっていくように思えます。
だからこそ、
さらにドキュメンタリー映画の可能性がないものかと
思うのですが。
ドキュメンタリー映画の関係者の皆さま、
ほんとうに生意気なことばかり書いてすみません。
婆さんの寝言とお許しいただければ嬉しいです。

●5月6日の文学フリマに「MIZUTAMA」が参加します。
会場は、東京流通センター 第二展示場です。
よかったらおいで下さい!

いろいろな事が浮かんできました。
ド素人の私が勝手に思ったことで、
もしかしたら、それは的外れなことかもしれません。
でも、正直に書きますので、
私の生意気をお許しください。
ドキュメンタリー映画の醍醐味は
なんといっても、ナマの状況のリアリティーと
ナマの人間たちのドラマがあることだ。
特に、
ナマの人間たちの表情の初々しさや面白さや深刻さの奥に
劇映画にはない、
リアリステックなドラマがあり、
それが映像という被膜と仕掛けを通して
描かれるのだと思う。
それはまさしく作り手によって
描かれる(創造される)のだと思う。
(素人の私がこんな言い方をするのを、お許しいください。)
そしてドキュメンタリー映画における、
劇映画との違いは、
どういう訳か、ほんとうにどういう訳でそうなったのかが
分かりませんが、
ドキュメンタリー映画は
社会的、教育的、記録的、ヒューマン的メッセージが強いことです。
時々それが過剰になったり、押しつけになると、
一観客の私はうんざりしてしまう。
そしてこの、社会的、教育的、記録的、ヒューマン的という
フレームが、時々ドキュメンタリー映画のセオリーとして、
桎梏のようになってしまっているのを私は感じる。
逆にその桎梏から逸脱して、
さらに美しい、
或は、
格段に面白い人間ドラマのドキュメンタリー映画は
ないものかしらと、いつも思う。
多分撮っている人が、
とても真面目なのだとは思うが。
今回『第三回 さがみ人間未来フィルムフェスティバル』の映画をみて、
そういう意味で、
秀逸だとおもったのは
「虫愛でる姫」である。
ドキュメンタリーでありながら、
ドキュメンタリー臭がなく、
芸術的であった。
端正に作られた画面には
油脂的なものが一切なく、
詩情があり、
一服の絵をみるようであり、
子供の放つ気品がありました。
昨年の能勢監督の「広島原爆 魂の撮影メモ」も
淡々と描かれる画面は、
社会的メッセージを包括しながらも
芸術までに昇華された、映像の位相を
私は感じました。
逆に、「夜明け前のこどもたち」では
社会性やヒューマン性をドキュメントの圧力のように用い
人間とはなにか、生きるとはなにかを
劇的な純度を持って迫る気迫があり、
この映画こそ、ドキュメンタリーの極北の作品として、
私は深い感動を得ました。
ここまでやりきると、もう見事というしかありませんでした。
撮影者、監督、監修者の志に、頭を垂れました。
また昨年の「無名碑」も
ドキュメンタリー映画の桎梏を超えようとした
ドラマ性があり、
村上監督が描きだそうとした
人間デッサンが見事であったと思う。
この監督の人間へのこだわりが
ドキュメンタリー映画にまとわりついている
型にはまった人間観の
社会性や教育性やヒューマン性を、
軽々と逸脱し、ドラマとしての自由さや軽妙さがあり、
特に、「ひまだから」と、飄々とゴミ拾いをする
隕石の先生の描写は絶品でした。
更に特筆すべきは
昨年の「こどもこそミライ」は
もし、この映画から、
教育的なものを一掃して、
子どもの生態だけに絞りこんでいたら
大傑作になったと思う。
そのカメラの視線こそ、
ドキュメンタリーの醍醐味であり、
つくづく残念に思います。
「阿波の襖からくりの習俗」もかなり面白かったが
やはりドキュメンタリー映画のセオリーの中に
納まっていた気がする。
この作品が
もっとスピード感に満ち、
アクロバティックにかつ奔放に編集されていたら
観客はメチャメチャに面白くみれたと思う。
そしてさらに
襖絵の持つ、
芸術性や幻想性に酔えたと
思うけど・・・。
今回の「さがみ人間未来フィルムフェスティバル」の映画を見た後、
私の頭の中には断続的に、ドキュメンタリーとは何かの
考察がおきてしまい、
もし、ドキュメンタリー映画に
滑稽さや、おふざけや、ポンコツや、漫画的などなどの、笑いの世界や
けったいなものや、サーカス的なアクロバティックな世界や
さらに色気や官能(エロ)や、
幻想や夢や虚構の世界などが、
付加されたり、
編集テクニックとして用いられたりすれば、
どんなに面白く、素敵になるかと
思う。
えてして、
考えさせられるけど、
息苦しい、という
既成のドキュメンタリーの領域から
脱出してして
もっと肩の力を抜いて、
自在に、奔放、多様に、遊んだらどうだろう。
ドキュメンタリー映画と聞いただけで
ワクワクして、
見にゆきたくなると、言う風にね。
確かにルミエール兄弟の「工場の出口」には
そういうワクワク感があったような気がする、
私の記憶では。
時代がどんどん変貌していく中で
劇映画の世界は、
どんどん奇態になっていくように思えます。
だからこそ、
さらにドキュメンタリー映画の可能性がないものかと
思うのですが。
ドキュメンタリー映画の関係者の皆さま、
ほんとうに生意気なことばかり書いてすみません。
婆さんの寝言とお許しいただければ嬉しいです。

●5月6日の文学フリマに「MIZUTAMA」が参加します。
会場は、東京流通センター 第二展示場です。
よかったらおいで下さい!

by denshinbashira
| 2018-05-02 06:06
| 映画の中から自由奔放に読み取ってみよう!
|
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