忘れることはいいことだ、その2 |
能勢監督のアシスタントとして三脚担いで歩き回り、
かなり彼女のからだに負担をかけたので・・・、
鍼をおごってあげました…笑!
終わってランチをしながら、
頭の中をいかに効率よく使うか、という話をしたのですが、
なかなか理解できないらしい!
トッティーだけではなく、これを理解するのは
他の人も、なかなか難しいらしい。
頭では理解できても、感情がピンとこないらしいからね。
そのせいか、今朝未明に頭の中がごちゃ、ごちゃの夢をみました。
お笑いの、<平成ノブシコブシ>の吉村みたいな奴がでてきて、
そいつになんとか教えようとするのだけれど、
一向にらちがあかない。
私はいよいよムキになって教えようとしている。
そこで目が覚めた。
眼が覚めてから
これは
ムキにならない!という教訓を
夢が教えてくれているのかも、と。
頭の中に感情のバイヤスがかかっていればいるほど、
それは頭のストレスになるばかりで、
頭は軽快には働かない。
そりゃそうでしょう。
自動車でもまっすぐな道は、まっすぐにいけばいいけど、
曲がりくねったり、斜めだったり、折れ曲がっている道は
よけいな神経をつかわなければならないし、
ストレスがかかってくたびれる。
ここでいうバイヤスとは、
いじけたり、こじれたり、ひん曲がっている感情のことです。
猜疑心や警戒心などもそうですし
自己憐憫も被害者になりたがりも、そうですよ。
そういう人は周辺の事ばかりに神経を使い、
そこで時間とエネルギーを使うから、
なかなか本筋のところに神経もエネルギーもいかない。
そういうことをなんとか理解してもらえるように
教えようとするのですが、
なかなかピンとくる人は少ない!
頭の中を風が吹き抜けていく・・・という
実体験がないと、難しいのかもね!
昨日もかきましたが、脳というのは、たいしたもので、
旨く使うと、ほんとうによく働いてくれます。
昔は私が何か書こうとしたら、もう
天から雨のように言葉が降ってきて、
それを必死で書きとめました。
それでも降って来る言葉に
ペン先が追い付かず震えながら
必死で手を機敏に動かしながらも、
アタマ様、ちょっと待ってください、
今書きとめますから・・・と必死で言葉を追いかけたものです。
でもね、もう老化現象で、それも衰えてきて、
無くなりつつあります…トホホ!
頭は確実に質力がダウンしており、
頭の切れも落ちてきているように思います。
以前のように、頭の中を風が吹き抜け、
透きとおるような感覚が
なくなりつつある・・・トホホ。
それと言葉の検索に時間がかかる。
しかし、それも
歳をとればとるほど、
脳内データーが膨大になるから、
検索に時間がかかるともいえる!
反対に忘れるということに
何の疑問も抵抗も感じなくなったから、
今の時代は、おおらかさがどんどん失われて、
ギスギスと他人を見張り、匿名とかで平気で介入する。
だから書く人も、どんどん萎縮してしまう。
言っておきますけど、
他人を見張り、介入する人間は、
自分をも見張り、萎縮させているのだからね。
そういう輩の頭はいいはずがない!
先日うちの爺さんとトッティー相手に雑談をしている時、
「人間は死んだらさ、死んだらもうそれきりでさ、
すべてがご破算になり、誰もそいつの事なんか忘れてしまう。
生きてるうちに何をいっても、それも死んだら忘れ去られる。
だから、自由に言いたいことを言い、
書きたいことは書いたらいいよ。
他人なんかにかまうことない。
だって、自分の頭の中に浮かぶことは、
自分にとっては真実なんだからサ!」と言い放ったら、
爺さんは笑い出し、
トッティーはポカンとしていた…笑!
まあ、そういうことなんですよ。
嬉しいことには(ありがたいことには)、
だから、生きているうちに
頭の中も解放してバイヤスをかけず、ブレーキも外して、
風通しがよく、脳が軽快に自動的、かつ随意に働けるように
しておこう・・と思うのです。