忘れることはいいことだ、その3 |
老人なんだから、神経細胞がどんどん死滅するのは
当たり前のこと。
物忘れが進むのも、当たり前のこと。
こうなると、
老人=物忘れ=ボケる、を
逆手にとって、
自分に都合の悪いことや、どうでもいいことは
忘れたことにする・・・苦笑!
老人の特権、ボケやアホのふりができる!!
こうして生きてみると、
世の中なんて、どうでもいいことだらけと
思うよ。
昨日も書いたように、
死んでしまえば、全部が帳消しになるから、
生きてる間のチョンぼも、失敗も、どんどん忘れたほうがいいよ!
人間が苦しいのは、
それらの苦い記憶を自分が思いだしては、いじくり、
脳の中で連鎖させるからなんだね。
でもね、自分以外誰も、
その人の脳の中で、
そういう自分いじくりと連鎖がおきているなんて知らないんだから、
こういうことも、自我のマスタベーションにすぎない。
人間は自分以外の人のことなど興味がなく、
他人のことなど、どうでもいいんだね。
以前にも何度も書いたけれど、
人生の極意は、
アホのふりや、死んだふりができる事。
私など、まだまだ、それができず、
すぐムキになる・・・トホホ!
そしてもうひとつ。
他者にとっては、
自分なんて、いつでも他人ととっかえができる存在なんだね。
そうでしょ、
いくら仲良しだって、不仲になった途端に、他人ととっかえられるでしょ。
自分とは、そういうとっかえられる存在でもある・・・。
しかし反対に、
自分は自分を取っかえられない!
だからこそ、自分は自分を遇しなければならない。
遇するとは、丁重にあつかい、もてなし、大切にすることです。
では、具体的に自分を遇するとはどういうことか・・・???
よくよく考えて、
まあ、自分が生きやすくなるようにし、
そして風通しよくしてあげることですね。
世の中のほとんどのことは、どうでもいいことばかりだと
私は思う。
だから、自分を殻に閉じこめたり、くよくよしたり、という
ストレスを与えるのは
かなり、空疎なこと、バカバカしいことを、
自分に課していることでもある。
そしてストレスは脳の海馬の神経を死滅させてしまうらしいからね。
運を天に任せて、のほほん、のほほん!
或は
ものごとはなるようになっていく。
断っておくけど、
ものごとはなるようになっていく、というのは
あきらめじゃありませんよ。
そうではなく、
ものごとは、その人間が前向きならば、
きっと良きように、なっていく・・・といことです。
安心して生きろ・・・ということです!
自分をもてなし、誠実であれば、
きっと物事は、良き方向へ進んでいる。しかし
それも、時間の経過をへなければならず、
そこはのんびりと「待てば海路の日和あり」でね。
そういうことです。
