2018年 06月 13日
頭が古い。その1頭がルーチンワークになっている。 |
日大アメフト部の件での
第三者委員会とやらを引き受けた
弁護士の顔をみて、即感じたのは、
頭が古そうだな~、ということです。
もっと言うなら、このおじさん弁護士は悪気はないが
頭が従来の弁護士のルーチンワークの範疇の中でしか
発想できないんだね。
いわば人格の問題ではなく、
脳の固陋の問題です。
でもね、このおじさんだけでなく、
人間は、現状維持を好みますから、
うかうかして、
感覚を磨いて,常に自分を新しくしていないと、
頭はどんどん固陋化して、
●自前の固定観念の中でしか回転しなくなります。
新しいことに対応できなくなってしまいます。
新しいことだけでなく、
生き方の基本として、
自分に拘泥せず、
自分の限界を乗り越えて意欲的に生きないと、
脳はどんどんルーチンワークばかりをしてしまうということです。
以前にも書きましたが
人間の多くの人は、
4,50歳ごろから無能になっていくのです。
※脳が固定化した人は、自分の脳データーの限界を超えると
無能になってしまうのです。
うちの爺さんなどは、35歳からでも、無能になる人がいると
言っています。
無能にならないためには、
感覚を鋭敏にしておくこと。
そして感情にとらわず、
柔軟な自分(柔軟な自我)にしておくことですよ。
そしてこれは
時代が変わったな~と私が感じていることのひとつですが、
社会性がどんどん個人にばらけているということです。
これまでなんとなくあった上下のヒエラルキーの意識が
つまり階級社会→階層社会→が
現代の情報社会の中で
どんどん崩れている、と感じるのです。
例えば、権威や権力の失墜は勿論のこと、
上流とか中流とか、富裕層とか下層とかのヒエラルキーも
さらに年齢によるヒエラルキーや
学識や学歴によるヒエラルキーも。
これまでの社会を貫通していた
様々な価値やその構造も組織もが
もう通用しなくなって、
どんどんパラダイムシフトのチェンジが起きている。
いわば昭和から平成へと流れていた
社会通念がもう、壊れつつある。そして
そこに流れていたヒューマンな意識も、
もう古い。
時代はどんどん乾いている。
※表面は乾いていますが、
地下には、逆にドロドロとしたフラストレーションが
層になっているかもしれません。
情報社会は
それまで一部の人間が所有していた
情報を得ることも、
発信することもを
全く解体したので、
こういう現象は当然の事かもしれないが。
逆に情報をもっている人間のほうが
上位であるような錯覚が芽生えているような風潮があります。
ネットなどはその典型ですが、
私から見るとネット社会も、もう固陋の中にいますよ。
前のシリーズでも書きましたが、
山のような情報をもっていても、
実際に自分がそれを精査し、
ホンモノとニセモノとを見分ける能力をもっていないと
どうしようもないです。
軽薄な人間はどんどん表面的な情報に踊らされて行くでしょう。
人間が個人にどんどんばらけていくことや、
人間も、社会も乾いてゆくこと(ドライになってゆくこと)が
果たしてどうなるのかは、わかりません。
ただ
人間の体は生身ですから、
脳のデジタルな世界が行き過ぎて
脳化社会になるのを
かろうじて
アナログな体が防波堤になってくれるかも
しれませんね。
冒頭に書いたように、アル年齢から人間が無能にならないためには、
どうしても自分の中に起きてしまう自我の対立軸を
とりのぞくことでしょう。
これは分かりやすくいうと、
自分の中に無意識に、瞬時におきてしまう、他者(相手)との対立です。
※人間の動物的本能は、どうしても、
自分以外の人間と対立し、警戒し、疑心が湧いてくのですが、
あくまでも、それは動物レベルの意識水準の自分ですからね。
他者との出会いを新鮮に感じ、
その新しい出遭いを喜び、
自分にはないその世界に敬具し、
さらに吸収する、
というような
謙虚なる自分こそが
自分をさらに磨いてゆくことになると
思います。
ルーチンワークの世界に安住すると
自分の能力の限界を超えて
さらに能力が拡大していくために
それまでの自分にはない、能力や知識を
●付け加える、ということをしないからです。
冒頭の弁護士さんなどは、
多分、そういうところで安住し、
時代はどんどん変化しているのにも、
気づけなかったのだと
思います。

第三者委員会とやらを引き受けた
弁護士の顔をみて、即感じたのは、
頭が古そうだな~、ということです。
もっと言うなら、このおじさん弁護士は悪気はないが
頭が従来の弁護士のルーチンワークの範疇の中でしか
発想できないんだね。
いわば人格の問題ではなく、
脳の固陋の問題です。
でもね、このおじさんだけでなく、
人間は、現状維持を好みますから、
うかうかして、
感覚を磨いて,常に自分を新しくしていないと、
頭はどんどん固陋化して、
●自前の固定観念の中でしか回転しなくなります。
新しいことに対応できなくなってしまいます。
新しいことだけでなく、
生き方の基本として、
自分に拘泥せず、
自分の限界を乗り越えて意欲的に生きないと、
脳はどんどんルーチンワークばかりをしてしまうということです。
以前にも書きましたが
人間の多くの人は、
4,50歳ごろから無能になっていくのです。
※脳が固定化した人は、自分の脳データーの限界を超えると
無能になってしまうのです。
うちの爺さんなどは、35歳からでも、無能になる人がいると
言っています。
無能にならないためには、
感覚を鋭敏にしておくこと。
そして感情にとらわず、
柔軟な自分(柔軟な自我)にしておくことですよ。
そしてこれは
時代が変わったな~と私が感じていることのひとつですが、
社会性がどんどん個人にばらけているということです。
これまでなんとなくあった上下のヒエラルキーの意識が
つまり階級社会→階層社会→が
現代の情報社会の中で
どんどん崩れている、と感じるのです。
例えば、権威や権力の失墜は勿論のこと、
上流とか中流とか、富裕層とか下層とかのヒエラルキーも
さらに年齢によるヒエラルキーや
学識や学歴によるヒエラルキーも。
これまでの社会を貫通していた
様々な価値やその構造も組織もが
もう通用しなくなって、
どんどんパラダイムシフトのチェンジが起きている。
いわば昭和から平成へと流れていた
社会通念がもう、壊れつつある。そして
そこに流れていたヒューマンな意識も、
もう古い。
時代はどんどん乾いている。
※表面は乾いていますが、
地下には、逆にドロドロとしたフラストレーションが
層になっているかもしれません。
情報社会は
それまで一部の人間が所有していた
情報を得ることも、
発信することもを
全く解体したので、
こういう現象は当然の事かもしれないが。
逆に情報をもっている人間のほうが
上位であるような錯覚が芽生えているような風潮があります。
ネットなどはその典型ですが、
私から見るとネット社会も、もう固陋の中にいますよ。
前のシリーズでも書きましたが、
山のような情報をもっていても、
実際に自分がそれを精査し、
ホンモノとニセモノとを見分ける能力をもっていないと
どうしようもないです。
軽薄な人間はどんどん表面的な情報に踊らされて行くでしょう。
人間が個人にどんどんばらけていくことや、
人間も、社会も乾いてゆくこと(ドライになってゆくこと)が
果たしてどうなるのかは、わかりません。
ただ
人間の体は生身ですから、
脳のデジタルな世界が行き過ぎて
脳化社会になるのを
かろうじて
アナログな体が防波堤になってくれるかも
しれませんね。
冒頭に書いたように、アル年齢から人間が無能にならないためには、
どうしても自分の中に起きてしまう自我の対立軸を
とりのぞくことでしょう。
これは分かりやすくいうと、
自分の中に無意識に、瞬時におきてしまう、他者(相手)との対立です。
※人間の動物的本能は、どうしても、
自分以外の人間と対立し、警戒し、疑心が湧いてくのですが、
あくまでも、それは動物レベルの意識水準の自分ですからね。
他者との出会いを新鮮に感じ、
その新しい出遭いを喜び、
自分にはないその世界に敬具し、
さらに吸収する、
というような
謙虚なる自分こそが
自分をさらに磨いてゆくことになると
思います。
ルーチンワークの世界に安住すると
自分の能力の限界を超えて
さらに能力が拡大していくために
それまでの自分にはない、能力や知識を
●付け加える、ということをしないからです。
冒頭の弁護士さんなどは、
多分、そういうところで安住し、
時代はどんどん変化しているのにも、
気づけなかったのだと
思います。

by denshinbashira
| 2018-06-13 14:00
| 「残念なひとびと」
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