2018年 06月 15日
頭が古い、その3、ツイッターなんかやらない! |
感覚や感性を磨くということも、
私などは、うっかりすると現状維持の自分が作動してしまい、
新しいことを受け入れたくない抵抗などがあります。
しかしそれをエイと蹴っ飛ばし、
抵抗あることこそ、
そこに何かがある、と気持ちを切り替えます。
実は昨日のゴッドタン「マジ歌選手権」の「劇団ひとり」と同じような
扱いの枠で、
もう一人芸人がおり、
その人は才気あるけど、才能は?と書いたら、
娘から、その人には熱狂的な支持者がいるから、と
たしなめられ、
書きませんでした。
では「劇団ひとり」とその人は
どこがどう違うかというと、
熱狂的なファンがいる、というその時点で、
その人は凡庸なんのですが。
劇団ひとりさんにもそういう信者がいるのかな~?
私が感じたのは、その芸人さんのほうが
ひとりさんより、よりスマートで泥臭くありません。
ただ、その分その芸人さんにはナルシズムがあるように
感じました。
自分を顕示したい、誇示したいという欲求です。
その裏には自分が理解されたい、受け入れられたいという
欲求が隠れています。
つまり、観客との距離が近いのです。
反対に劇団ひとりさんは、決して自分の素地や素顔を
明かさない、気取られない・・と言う距離を
保持しています。
まあ、
地球儀の中にいる人間と
地球儀を手にして眺めている人間の違いですかね~!
明らかに観客や、世相を相対化しているのはひとりさんの方です。
観客や、世相の中に浮かんでいるのが、
もう一人の芸人さんです。
しかしそれでも、その芸人さんは、たぶん自分を他者と差別化する努力を
だれよりも沢山していると思います。
ただ、冷め方(醒め方)が違うのですね。
そしてひとりさんの方は、他者と自分を差別化することなど
考えていないと、私は思うのですがね~・・・?
それよりも、徹底した観察者の位置で、
沢山の可能性を計算に入れながら、
統計的に、多様に、その時点での観客をいかにコントロールし、
何をギフトするかを
考えていると思います。
ただ、ひとりさんにも、どうしても冷淡さというか
温度の低さがあり、それが気にかかりますけどね~・・。
以前ある青年と何かの話の折に、
ブログやツイッターをしているのは、大物じゃないよ~と
話しました。
※N君覚えているかしら?
私もブログをやっていますから、小者です…笑!
その時、彼が、それはどういうことですか?という問いを
訊いてきませんでしたから、それ以上は話しませんでしたが。
なぜスケールの大きい人間は、
ブログやツイッターをしないかというと、
彼らは、そうは簡単に、自分の手の内を明かさないのです。
自分を他者にアピールもしないし、
ましてや、自分の考えていることや感情を
そう、おいそれとは明かさない。
だって彼らは地球儀を見ているのですから。
地球儀を見ているというのは、
その人達の立ち位置を情景的にイメージしてもらいたいという
私の比喩ですが。
人々をマスで眺め、その本質や、その本流を掴もうとしている人達は
自分のことなど、どうでもいいのです。
ましてや、熱狂的なファンと信者や取り巻きなど、
必要ありません。
いつもひとりでしょう!
朱に交わらない。
常に人間や社会を突き放し、その動向や情勢を
冷静に見ている。
そのうえで、芸人なら何をするか。
小説家なら、何を書くか?
演出家や、映画監督なら、どういう演出をするか?
政治家なら、どんな政策を打ちだすか?
その他色々!
スケールが大きい人ほど、
個的な世界から離れた立ち位置にいるということですね。
劇団ひとりさんもツイッターをやっているらしいですけど、
多分、本当のことを書いているかどうか・・???・・・苦笑!
嘘ばかり書いているかもしれませんよ・・・笑い!
自分ひとりの枠にとらわれない!
そして
人間や社会や世界を抽象化して。
全体の動向を見ることができるか、どうか。
それはね、
ナルシズムや自己顕示欲や、
さらにうぬぼれや、
他者と対抗するプライドがある限り、
感性も感覚もそこで汚されてしまいます。
そこで打ち止めです。
自分という小さな枠を超えて
他者を面白がり、社会を面白がり、
さらに自分には予想もつかないことを
面白がり、好奇心満載で、
限られた道徳観や倫理観を
その面白いな~という子供のような好奇心と遊びごころこそ、
感覚や感性が磨かれていくと思います。

この花の名前、わすれちゃったあ~!
私などは、うっかりすると現状維持の自分が作動してしまい、
新しいことを受け入れたくない抵抗などがあります。
しかしそれをエイと蹴っ飛ばし、
抵抗あることこそ、
そこに何かがある、と気持ちを切り替えます。
実は昨日のゴッドタン「マジ歌選手権」の「劇団ひとり」と同じような
扱いの枠で、
もう一人芸人がおり、
その人は才気あるけど、才能は?と書いたら、
娘から、その人には熱狂的な支持者がいるから、と
たしなめられ、
書きませんでした。
では「劇団ひとり」とその人は
どこがどう違うかというと、
熱狂的なファンがいる、というその時点で、
その人は凡庸なんのですが。
劇団ひとりさんにもそういう信者がいるのかな~?
私が感じたのは、その芸人さんのほうが
ひとりさんより、よりスマートで泥臭くありません。
ただ、その分その芸人さんにはナルシズムがあるように
感じました。
自分を顕示したい、誇示したいという欲求です。
その裏には自分が理解されたい、受け入れられたいという
欲求が隠れています。
つまり、観客との距離が近いのです。
反対に劇団ひとりさんは、決して自分の素地や素顔を
明かさない、気取られない・・と言う距離を
保持しています。
まあ、
地球儀の中にいる人間と
地球儀を手にして眺めている人間の違いですかね~!
明らかに観客や、世相を相対化しているのはひとりさんの方です。
観客や、世相の中に浮かんでいるのが、
もう一人の芸人さんです。
しかしそれでも、その芸人さんは、たぶん自分を他者と差別化する努力を
だれよりも沢山していると思います。
ただ、冷め方(醒め方)が違うのですね。
そしてひとりさんの方は、他者と自分を差別化することなど
考えていないと、私は思うのですがね~・・・?
それよりも、徹底した観察者の位置で、
沢山の可能性を計算に入れながら、
統計的に、多様に、その時点での観客をいかにコントロールし、
何をギフトするかを
考えていると思います。
ただ、ひとりさんにも、どうしても冷淡さというか
温度の低さがあり、それが気にかかりますけどね~・・。
以前ある青年と何かの話の折に、
ブログやツイッターをしているのは、大物じゃないよ~と
話しました。
※N君覚えているかしら?
私もブログをやっていますから、小者です…笑!
その時、彼が、それはどういうことですか?という問いを
訊いてきませんでしたから、それ以上は話しませんでしたが。
なぜスケールの大きい人間は、
ブログやツイッターをしないかというと、
彼らは、そうは簡単に、自分の手の内を明かさないのです。
自分を他者にアピールもしないし、
ましてや、自分の考えていることや感情を
そう、おいそれとは明かさない。
だって彼らは地球儀を見ているのですから。
地球儀を見ているというのは、
その人達の立ち位置を情景的にイメージしてもらいたいという
私の比喩ですが。
人々をマスで眺め、その本質や、その本流を掴もうとしている人達は
自分のことなど、どうでもいいのです。
ましてや、熱狂的なファンと信者や取り巻きなど、
必要ありません。
いつもひとりでしょう!
朱に交わらない。
常に人間や社会を突き放し、その動向や情勢を
冷静に見ている。
そのうえで、芸人なら何をするか。
小説家なら、何を書くか?
演出家や、映画監督なら、どういう演出をするか?
クリエーターなら、なにを創るか?
企業家なら、何を突き止めるか?
政治家なら、どんな政策を打ちだすか?
その他色々!
スケールが大きい人ほど、
個的な世界から離れた立ち位置にいるということですね。
劇団ひとりさんもツイッターをやっているらしいですけど、
多分、本当のことを書いているかどうか・・???・・・苦笑!
世間をはぐらかすために、
自分ひとりの枠にとらわれない!
そして
人間や社会や世界を抽象化して。
全体の動向を見ることができるか、どうか。
それはね、
ナルシズムや自己顕示欲や、
さらにうぬぼれや、
他者と対抗するプライドがある限り、
感性も感覚もそこで汚されてしまいます。
そこで打ち止めです。
自分という小さな枠を超えて
他者を面白がり、社会を面白がり、
さらに自分には予想もつかないことを
面白がり、好奇心満載で、
いつも自分の自我の窓の一部が、
開いていることです。
限られた存在、限られた価値観、
限られた美意識、限られた人間観を
限られた道徳観や倫理観を
はるかに超えて、
人間も人間社会も面白いです。
その面白いな~という子供のような好奇心と遊びごころこそ、
感覚や感性が磨かれていくと思います。

by denshinbashira
| 2018-06-15 09:15
| 「残念なひとびと」
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