頭が古い、その5、福翁自伝!もう、小者ばっか! |
いいですね~!
福沢諭吉翁、大したものです。さすが一万円札です。
そして抜群の明晰さです。
福沢は、幕末の頃にすでに
人間は生まれながらにして
みんな平等である、という意識をもっています。
それは彼の理念としてはではなく、
<実感>としてそれを思っていた、というところが
スゴイです。
理念とは、こうあるべきで、という理想の意識で
こうあらねばならないと、自分の精神のあり様の考え方ですが、
彼の場合は、生き方そのものが、自由であり、
そういう<根性>がある。
彼は階級意識や身分制度が大嫌いなのです。
幕末の当時、佐幕か尊王か、攘夷か開国かと、
口角泡をとばして、さらに殺し合いまでする中で
福沢だけは、冷めていて、その外側にいる。
この頭の良さはどこから来るのだろう。
さらに彼自身は、蘭学を学びながらも、
横浜に行った時、
それが全く通用せず、おそらくこれからは
世界に通用するのは英語だということに気づく。
当時そう気づいたのは、福沢一人かもしれない。
適塾の先輩大村益次郎などにも英語を勧めるが
オランダ語一辺倒の益次郎は
見向きもしない。
当時はオランダ語が主流でした。
そして彼は、幕末の騒動には見向きもせず、
今は開国に決まっているだろう~と、
自分から進んで咸臨丸に乗り、
アメリカへと見聞にゆく。
その後ヨーロッパにも積極的に
見聞に行きます。
「福翁自伝」を読んでいても、
これは口述筆記なのですが、
わかりやすく、力みのなさや、軽妙さには
感心します。
やっぱ、才能があるんですね~。
どうしたら、こんなに世の中や、物事が見えるのだろうと
思いますが。
ただ、自分に対する信頼と依拠と、
そして自分の見聞きすることに対しての
正直さかと思います。
彼の中では、
自分の感性をごまかさない、とでもいいましょうかね~。
自分が感じた事、思ったことを、そのまま軸にして
思考が巡らされている。
そして距離感でしょう。
福沢がしきりに言っているは
自分の自立、独立性で、
他者や世の中にまみえず、
ちゃんと理性の距離を保っている。
その絶妙な距離感というのを表しているのに
<大親友は一人もいない>という言葉です。
友だちは沢山いて、交流するが
しかし、そんな友達とも、ベタつかない、距離を持つ。
ということでしょう。
福沢も、地球儀を手にもって
眺めていた人間のひとりだと
思います。
頭が古い、というタイトルでこのシリーズをはじめましたが、
頭がいつもイキイキとしているためには、
福沢のこの距離感と、そして
対象や世間を、
いつも遠距離から、そして
等距離に、
その全体を眺める視界力が
必要なように思います。
そして、もう一つは感情の処理でしょう。
好き、嫌いにとらわれず、
卑屈にならず、
あえて新しいことをやってみる。
福沢が感情的に個人攻撃した人物がいます。
それが勝海州です…笑!
自分が発行してしている
「時事新報」の新聞記事で、<やせ我慢の説>という記事を書きます。
勝海舟は、江戸城を開城し、内乱を避けた功績は認めるが、そのあと
明治の新政府に厚遇されているのは、
いかがなものか、ということで、勝はやせ我慢が足らない、と
批判しているのです。
勝はもともとひいお爺さんがあんまさんであり、
あんまさんと高利貸しで大儲けしたお金で
武士の株を買いました。
だから勝海舟は生粋の武士かというと
それに比べて福沢は下級藩士ではありますが、生粋の武士の系譜を持ちます。
二人は咸臨丸で一緒にアメリカにいきますが、
当時から福沢は勝のことが嫌いなようでした・・・苦笑!
福沢は俗物が大嫌いだと、思いますよ!!
まあ、私から見ると、福沢はさしずめ、ジャーナリストというとこで、
反対に勝は政治家でしょう。
そして男として面白味があるのは勝のほうかしらね~!
でも、勝はお妾さんが数人もいたらしいから、
女として幸せだったのは
福沢の奥さんのお錦さんのほうかもしれませんね。
福沢は当時には珍しい男女平等を説き、
妾の風習を批判した人です。
福沢諭吉にしても、勝海舟にしても
幕末、明治の人のスケールの大きさを感じます。
なにか、そういう意味では
もう、小者ばっか、と感じるのは、私だけでしょうかね~苦笑!
小者がうろちょろして、
世間を騒がせて、
どうなってるんだと・・・とね。
まあ、そんなところです。