そのまんまの自分!! |
この<理想>というのが
何とも曲者でね~。
まあ理想と言ったとたんに
理想という縛りの中のはいってしまう、
ということもある。
昔の人は理想ということで
極楽浄土とか天国とかを想像して
どうしたらそこへ行けるかと
願い、祈ったのでしょうが。
しかし今はだれもそんなところはない
とわかるでしょ。
理想というのは
そういうものなのです。
いわば脳が創りだす幻想です。
だから
逆に
理想から目が覚めた時こそが
理想なんです・・・・なんだかわけが
わからなくなるけど。
つまり
自分の今いるところこが
いちばん自分にふさわしいところのなのです。
深い深い意味でね。
分るかな~・・・?
わからないか~ぁ!!
人間の脳はいつも
今の自分ではなく
理想の自分を仮想しながら生きているから
どうしても
理想の自分のほうに眼がくらんでしまう。
眼がくらむから、理想の自分のほうが
自分であるかのような勘違いをしてしまうのです・・・苦笑!!
逆に
ありのままの自分を
そのまま受け入れるほうが
むずかしいんだね。
だから
ありのままの自分にだめ出しをされると
傷ついたり落ち込んだりするんです、人間は。
でもね、
動物も虫も花も
そのありのままの自分をいきているから
人間からダメ出しをされても
傷つかない。
彼らの脳のなかは
人間のように複雑怪奇ではないから
そのままの自分をそのままいきれていて
もう
悩むことなく
ひたすら
自分を生きる。
人間は脳の中によけいな機能を
ひっつけちゃったから、
理想の自分を仮想想定しては
逆に
ありもしない苦しみで
苦しむ。
理想という
佳境を想定しては
現実の自分
現在の自分を嘆くんだね。
人間の幸福は
自分のことを忘れいる時です。
つまり
ありのまま、そのまんまの自分が
そのまんま生きてる時です。
くだらないことに
頭のなかがおびやかされていず、
ありのままの自分を
無意識に
そのまま生きている瞬間こそ
幸せと
いうことでしょう。
以前書いた
社会学者の見田宗介さんのことば
『夢から醒める、ということが
感動の解体であるばかりでなく、
いっそう深い感動の獲得でもある。』
そのとおりだね~。
夢から醒めてみたら
そのまんまの私が
そのまんまいた。
あゝこれこそが
オイラかと改めて愛着を覚える。
それでいい
それが
いいんだね!!