マンダラ宇宙、その2、貧乏でもいいんだ! |
頭の中は、まさにマンダラ世界のようで、何でもありで、
しかし、自分というフレームで閉じられている、
それこそが小宇宙のようであるからです。
昨日の夕飯の時、うちの爺さんがたまには良いことを言いました!…笑!
トッティー相手に、
日本もバブルの頃までは、みんな豊になりたいと
家じゅうに家電を備え、贅沢な生活をめざしたけど、
それでも昔、つまり爺さんや私が子供の頃は
貧しかったから、そこには経済的な格差がなく、
だからみんな優しいかったし、助け合っていた、と。
私は若者相手に「昔はよかった」なんて言いたくないし、言わないよ。
いいとこもあったし、良くないことも多々あった。
けれど、思い出してみると、
皆貧乏で、靴が買えなくて、はだしの子供もたくさんいた。
そういう子供がはだしで群れて遊んで、
日が暮れて暗くなるころまで、
道路には車も走っていなかったし、あちこちに空き地があったし、
3時ころには紙芝居屋のおじさんが自転車できて、
スルメや水あめを売って
それを食べながら紙芝居を見た。
それは決して衛生的ではなかったけど。
思い出すのは、近所のおじさんたち4人くらいで
お風呂をつくったこと。
小さな小屋みたいなものを建てて、そこに
五右衛門風呂を作り、4、5家族で、
その風呂を使いまわした。
それに食料や調味料も近所で貸し借りをして
お米を貸してとか、お醤油を貸してとか、、
今日は作りすぎたから、これ食べてと、隣のおばさんから、
お味噌汁を貰ったことなどを
思い出す!
赤いゴム長靴を買ってもらい、
喜んでそれを履いて学校にいき、
でも帰りには、雨が降り出したので、
新しい長靴を履くのがもったいないから、
長靴は胸に抱えて、はだしで雨の中を歩いたのを
思いだす!
そういえば私が子供の頃、つまり戦後から高度経済成長期に入る前は
ほんとに日本中が貧乏だったのよ!
誰もが貧乏だから格差がない。
だから、爺さんのいうとおり、
もしかしたら、今よりか、人々は優しかったかもしれない!
爺さんは、貧しいけど、幸せだったという。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない!
でも
あゝ貧乏でいいんだ、と思ったとたんになぜか、
私は安心した。
貧乏でも幸せだったんだと思ったとたんに
ほっとして、肩の荷がおりた気がした。
もしかしたら、私が死んで、時代が進んで、
世界で経済の異変が起きるかもしれない。
もしかしたら
日本は貧乏になるかもしれない。
でも
それでもいいんだな~。
貧乏でも、みんなで仲良く暮らしてね!
仲良くね!
と、思います。