この国はこれからどうなってゆくのだろう!その1村上隆と草間彌生! |
それを整理するつもりで
書きます。
村上隆作品の圧倒的なマスの世界と
その対極にあるような
草間彌生の個(孤)を突き抜けた作品、
この二つの中に
現代を告知しさらに未来を暗示するものを
それはあまり良い未来でもなさそうだが、
しかし村上作品が暗示する
圧倒的な大衆の中に潜むエネルギーが
カギを握っているようにも
思えます。
芸術というとなにか高踏な世界のような勘違いがあるが、
しかしもともとは人間とその社会に潜む、
官能のエネルギーの表出であり
官能というと、すぐ誤解する人がいるが
それもまぎれもなく根源的生命エネルギーでもある。
それがいつのまにか、ロマンで装飾され、
観念で偽装され、
けど、
パリ見本市で、東洋から送られてきた陶器の包み紙に
描かれていた日本の浮世絵です。
江戸の大衆の中にあった潜在的文化とエネルギーなのにね。
日本の若者達の潜在的な才能=オタク世界のポテンシャルとして
復活させたと私は思います。
しかしそれは現代の大衆の負の部分を含んだ
ほんとうは恐ろしい花たちでもある。
このマスの花の集団は、どこへ行こうとしているのだろうか。
その対極にあるのが草間さんで、
草間さんは、もう満身創痍になりがら
彼女の内的世界を掘り続けた。
彼女がどれほど自分と取っ組み合いの世界で
すっかり純化された美しい、
そしてエネルイギーに満ちたその作品をみれば、
わかる。
過激なパフォーマンスの捨て身で挑んだ
やりとげられた末に
溢れ出てきたと
私は思う。
戻ったんだね!
村上さんの
人工的に企画化された花たち=人間たちは、
どこへ行くのか。
それでも、この花たちは、いまいましく
毒々しいにもかかわらず、
ある種のエネルギーを放っている。
そこには内在する大衆世界のエネルギーがある。
実のところ、
芸術へのあこがれと願望を両親から託された私は、
ずっと芸術を至上の世界だと思いこみ、
俗的な大衆世界を侮蔑していました。
私の人生は、そういう大衆侮蔑で
苦しみ続けた人生であり、
大衆の俗性と格闘し続けた人生でもありました。
※根底のところでは彌生ちゃんと同じね…笑!
そしてもうボロボロになりながらも
行き着いたのが、
ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の一節、
死の床にあるロシア正教の長老ゾシマが、
修道士の見習であった
カラマーゾフの末弟アリョーシャに言ったことば、
「神が愛した民衆を愛してください。」
アリョーシャはゾシマが死んだあと、
俗界へと戻っていきます。
大衆世界、そこは俗まみれで毒々しい、しかし
そこを彌生ちゃんのように、
くぐり抜け、奔走して、つきぬけたなら、
もしかしたら、聖なる世界が現れるかも
しれませんね。
IT、AI、コミケ、オタク、その他諸々の大衆世界は
どうなってゆくのだろう?
ますます人工化する社会で
人間の精神(心)は持ちこたえられるであろうか。
司馬遼太郎さんの言葉を借りれば、
<まことに小さな国>その日本が
世界の大波の中で揺れながら、
どうなってゆくのであろうか。
そのカギのひとつに
村上さんと草間さんの世界を
私はみている。
その二人の作品だけが
猛烈にオーラを放っていたからね。



