この国はこれからどうなってゆくのだろう!その5人間の種! |
進化しては、その反動で揺り戻しがくる。
それはだいたい300年ぐらいの周期である、
というような事を
堺屋太一さんの本<知価革命>で読んだ気がする。
随分古いことなので、記憶も雑駁であるから、
そうだった気がするのですが。
<知価革命>そのものは、物にあふれた工業社会で
物が行き渡り、飽和状態になると、
その次に知的社会へと移行するというもので、
知的社会では文化や芸術や文や哲学などが盛んになるという
ものですが。
それはそれとして、置いといて。
確かに行き過ぎた現象に対しては
揺り戻しや後戻りがあると思われます。
私はそのことに少し希望を抱いている。
もし現代の、このデジタルで経済優先の社会が進む中
人間の生々しい感性がカラカラに乾き、
情緒がすり減っていく息苦しさを
人々が感じだ時に、
もしかしたら、なにかが起きるかもしれませんね。
次から次へと押し寄せて来る、
物質消費文化や
めまぐるしく展開するインターネット社会の
薄っぺらさに
もう、
どうにもこうにも行き詰まる人達が
出てくるかもしれない。
もっとゆっくり生きよう!
自然本来のリズムに合わせて生きよう!
次から次へと社会に煽られ、
自分を追い立てるのはやめよう!
不安に駆られて衝動買いをするのではない、
使い捨てるではない、
<物本来の価値>を見定めながら、
ほんとうに必要なものを
大切に使う。
あの物がなかった時代のように・・・。
あの頃は(戦後すぐの私が子どもだった頃)
物質の飢餓はあったけど、
精神の飢餓はどうだったのかな~。
私は別に昔を追想したり幻想化するつもりは
毛頭もありませんよ。
労働条件の苛酷さや
重労働だったことも
いっぱいでしたからね。
そうではなく、
懸命に身を粉にして働くしかなかった時代では
傍観者なんていう、贅沢な身分では
いられなかったです。
なんか、
私の思考がなかなか進まない・・・。
私の独善的見解としては
これからは脳の時代に入ると考えています。
脳の時代とは、
脳がどんどん解明されてゆき、
今までとは違う人間観や認識の時代に入る。
と同時、人工頭脳社会も更に進む。
しかし、その時起きうるのは
脳の劣化です。
人間の生活が自然と乖離すればするほど、
つまり人工的な社会になればなるほど、
そして人間が自分の体を使わなければ使わないほど、
つまり
便利さがさらに促進すると
脳の劣化が起きるのではないかと、
思います。
※脳は使わない回路は劣化し、
使うところが強化されていきます。
つまり、
体と脳とがバランスよく使われ、
それも全体がくまなく使われると
人間は本来<動物>です。
動きながら生きる生きものです。
体も使い、頭も使いながら
●爽やかな感情がエネルギーになり、
毎日、自分の中のエネルギーを循環させて使い果たしては
眠り、
眠りの中で自分を再生産しては
また新しい朝を迎える。
そういう命の現象が
私たちなのです。
もともとは
大自然の中から人間が生まれ、
大自然と一緒に人間が生きるという
大原則があり、
それを失った時、
人間が傲慢になり、
それが、人間の都合のほうに偏って
脳化社会に偏ったとき・・・・。
そこに大きな反動がくると思います。
でもね、私は悲観主義者ではありません。
それに安易に絶望なんかしませんよ。
冒頭でも書いたように、
自分達が作る社会や時代が、
人間の幸福を作りださないと分かった時に
きっと人間は考えるでしょう。
そして、あの
村上隆さんの不気味な花たちの中にも
彌生(草間彌生)ちゃんの原初的エネルギーの中にも
コミケの素晴らしい若者の中にも
ギャルの中にも
ヤンキーの中にも
その他たくさんの人々、
そして
否定的、悲観的な毒にやられている
傍観者の中にも、
大衆の中には、
人間の種がまだ息づいている。
と
私は思います。
もしかしたたら、一旦は枯れそうになったり、
潰されるかもしれないけど、
きっと人間の種は
蘇ると思います。
この国がどうなるか、
あとは皆さんに託して、
今日からは、
9月15日から開催される
「遠野の妖怪アイコンフェスティバル」を成功させるために
ガンガン頑張ります。
今回子供たちが描いてくれた妖怪画が
200枚も集まりました。
それら絵には、子供たちの独創性が満載です。
あゝ、ここにも人間の種があります。
それは
瑞々しく、新鮮な
次の時代を担う種です。
ではこのシリーズを
終わります。