なぜ、私は映画を作るのか、その3、私はあまり人間が好きではなかった。 |
若い頃はもっと激しく人間を憎みました。
何が原因なのかはわからない、しかし、
他者を羨み、嫉妬し、反対に他者をさげすみ、苛立った。
しかしその一方で、私はある瞬間、
人間が、その他者が、
とてもいとおしくなることも
ママ、あった気がする。
先日あることでフケの話がでた。
フケとは頭に浮かぶあの白いフケのことです。
そのフケの話から私は林さんを思いだした。
林さんは息子が保育園の時の同じ父母であり、
まんまる顔に眼鏡をかけた、どこかやぼったいお母さんで、
人見知りの激しいわたしに、気さくに話かけてくれた。
林さんは子供がたくさんいて、保育園の送り迎えにも
赤ん坊を背負い、ねんねこを着ていた。
そのねんねこにも、林さんのパーマの髪にも
いつも白いフケがはえていて、いや
フケだらけだったように思う。
ねんねこを着て、子供の手を引いて帰る、
頭がフケだらけの林さんの後姿に、
私は、いとおしいな~と
思った。
なぜそう思ったかは、わからない。
30数年前の話です。
極端にいうなら、
私は、自分の心の中にある、憎しみや人間否定に苦しみ
どうしたらそこから脱出できるか。
それは人生の課題のように、私はそれと格闘した。
反対にいえば、いかに他者を受け入れ、理解するかの
葛藤、が
私の人生の課題でもありました。
私の中に波のように起きて来る様々な感情は
何が原因で、何処にその動機が潜んでいるのか。
もう面倒くさいので、それを詳細には書きませんが、
たくさんの本を読み、
時に研修に通い、そして
大勢の人にも会いました。
そしてわかってきたのは、
人間が潜在的にもっている、他者否定の原理、
さらに心という現象と、
それを発生させる脳と体の原理と構造で、
まあこんなに難しく言わないでいうと、
人間とは脳の中にすでに他者否定の部位をもち、
それはきわめて動物的な威嚇と攻撃の感情であり、
しかし反対に他者と共生し、
共存し、また高尚なことに感動する脳の部位があること。
そして、常に自己を保存し、防衛するための自我感情と
反対に、
他者に感動し、共存しようとする感情の、
せめぎ合いの中で
生きているということです。
まあ、70年近く
そういうことをつらつらとずーっと考えつづけ、
さらに自分はどう生きたらいいのかを
問い続けた人生であったと思う。
そしてね、やっと一つの結論のに達しました。
それが、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の中にあった
一行、長老ゾシマがアリョーシャに告げる言葉、
「神が愛した民衆を愛してください。」
私は宗教に依存していませんし、
私は神を信じているわけではありませんよ。
むしろ神も人間が作りだした概念(イメージ)だと考えています。
しかしそれでも、
人間は、
自分ではどうにもならない自分を抱えて生きざるをえない。
人間はそういう不条理の中で、
もがくしかない。
どの人間も、どの人間も、そうして生きている。
その時、もしあるとすれば大きな神の視座に、
大いなるその懐の視座に伏して、自分を投げ入れ、
神に諭されながら、
他者も自分をも愛するしかないのではないか、と
私は思ったのです。
人間を愛そう、他者を愛そうと、
です。
そしてもうこんなに年をとった或る時
私は遠野で児玉房子さんのガラス絵に
であったのです。
そこには民衆が描いてありました。
田畑を耕す人、町で働く人、物売りの女性、お祭りで遊ぶ子供たち。
彼女は言います。
「私はあなたたちを描いている。」
その絵を見ると、児玉さんは
民衆を、その人々の働く姿を、
素敵だな~と思って描いている。
こん畜生だとか、嫌だ~なんて思って描いていない。
それらの人々に愛を思いながら
描いている。
もしかしたら楽ではない暮らしと
日々の労働に疲れながら生きている人々かもしれない。
でもね、
その絵を見るたびに、私の中に
私の最後の仕事として、
児玉房子さんのガラス絵の世界と、
そしてひたむきに、
素朴に生きる人々の姿を映画にします。
あの茨木のり子さんが愛した
どこかにある、美しい村を幻視しながら。
映画を撮ります。