人生を解決する。 |
この言葉が今私の頭の中を巡っている。
今朝、善き知らせ(メール)がきました。
そこには長い時間はかかりましたが、
人生の厄介な問題を解決した旨が、書いてありました。
よかったね。
人間はおぎゃ~と生まれて以来、
未知の世界を手さぐりで生きてゆくしかありません。
自分の親をはじめ、周囲の人間を真似し、さらに学び、
生き方を習得していきます。
そこには善きこともたくさんありますが、
残念な事にその人間たちの毒や垢をも、
吸い込んでいきます。
だから人生は苦しいし、もう間違いや、失敗だらけなのです。
でもね、そういう人間の中にも、
一筋の澄み切った水が流れているのですよ。
その澄みきった水の水源である泉を
大人になった人間は、
なかなか見つけることができません。
なぜならそれは
人間が大人になるにつれ、
自我やエゴの分厚い壁で遮断された奥に
押しやられてしまうからです。
おぎゃ~と生まれた時には
脈々と湧き、流れていたその澄みきった水が
人間の自我とエゴによってどんどん薄汚れ、
枯渇していくのですね。。
人生を解決するとは、
自分の濁ってしまった水を、
元の澄んだ水に戻していく作業です。
濁った水からは、濁った世界しか見えません。
濁った水でみる世界は、薄汚れてしかみえません。
でもね、
自分にふりかかる厄介な問題を、
解決しようとする道筋でこそ、
自分の濁りも
濁りの原因が見えてきます。
それを解決する時に、濁ったままの自分を選択するか、
それとも逃げてごまかしてしまうか。
辛い作業ですけど、
自分を見つめ直し、
自分の中にある根源的で純粋な心(水路)を
探し当てるか。
もしかしたらその水路は、
もう微かなものになっているかもしれませんが、
自分より遠くにはなれているかもしれませんが、
しかし、自分に嘘をつかず、そして真摯になり、
その消えそうな水路を手繰りよせるか、どうかが
人生の分かれ目になります。
人間が幸福になれるかどうかの、
わかれめです。
人生を解決するとは
問題に真摯に向きあい、直視し、
さらに自分に嘘をつかないことです。
さらに自分にとっては一番厳しいことを選んでいくことです。
逃げたり、ごまかしたり、諦めたり、しないことです。
自分が直面する問題は、かならず、
その人に解決してくれ!といっているのです。
そこから逃げると、問題はさらに倍になって、
降りかかってきます。
人生は自分の濁りと、
起きて来る問題を
<解決する>ということに
尽きる、と私は思います。
そして自分の根源にある、人間の根源にある、
澄みきった水路と泉を取り戻し、
その水をごくごくと飲んでね、
せいせいとし、
清々しく生きることだと
思います。


