人間は思い込みの世界をいきているのですよ。その5!自我は、ほおっておくと・・・! |
傲慢になり、慢心します。
さらに自分を絶対化したり、
まるで自分が万能であるかのような錯覚に陥ります。
※この万能であるかのような、というのは
漫画家の海山かのんさんの言葉をお借りしました。
つまり尊大な●自分様を打ちたててしまうのです。
そういう人に限って
◎自分の愚かさや未熟さには手をつけず(甘やかし)
逆に他者に対しては、
自分より下に位置付けて
うえから目線で他者を睥睨したりします。
※昨日も書いたようにそういう自分のことは
即座に他者につたわりますから、
そういう人は敬遠されて行くのですよ。
そしてとても残念なことには
そういうことが、
◎自分の無意識内でおきていることに気づくことができませんから、
他者はその人に愛着や親しみを持ちません。
だからいよいよ孤立してはさらに
自分に固執してしまうのですね。
先日、AI技術に関する本を買いたいと思い
日本橋の丸善の3階に行きました。
脳に関するコーナーを見て歩いたのですが。
その時、脳はいつも傍観する云々の題の本がありました。
まことに脳は、ほおっておいたら、傍観者です。
自分の脳の中は、自分でありながら、自分とは別世界でもあるのです。
簡単に言うと、自分の理性では思うようにならない世界でもあるのです。
だから、脳が暴走し、アッと思った時は、もう手くれで、
やっちまった後…なんてことがざらに起きてしまうのですね。
その傍観者である脳をちゃんと軌道修正するのが、
脳の中の理性である◎前頭葉の働きです。
理性の脳は、ちゃんと自分で意識的に育てないと
育ちませんし、
感情の脳は理性の脳より強いですから、
感情の脳を抑えることを
◎意識的に行って、理性を鍛えておかないと、ダメなのですね。
自分の感情が走るのを傍観して許している限り、
その人の脳はとてもその人に冷たいのですよ。
なぜなら、そういう人は他者から疎まれ、さらに
孤立するにきまっているからです。
そういう自分を傍観して、手当をしてあげないのですから・・。
自分の自我の中には、
主観の自我①と他者と交流している自我②を
客観的に眺め、自分を征していく自分③とがいますが、
残念なことに、
自分と他者及び自分の外的世界を
見つめる③の自分は
自分が◎意識的に、
③地点に自分を置かない限り、
その意識は立ち上がりもせず、
埋もれてしまいます。
さらに
③の自分で
自分の自我の在り方をしっかり観察し、
主観世界と客観世界が団子状態になっていて、
自他の分離できていない、傲岸不遜な自分を
軌道修正するには、
尊大で傲慢になった自分様を潰すしかありませんが、
それはとても難しいです。
自分が挫折した時や、
墜落したときこそ、そのチャンスなのですが。
そのとき、言い訳をしたり、
自分を甘やかしてしまうと、
もうそのチャンスを逸してしまいます。
なぜ、傲慢不遜になるかというと、
それは自分を客観的に見ることができないからです。
※もしその人が客観的に自分をみると、
そういう自分は、他人から見るとまるで
ピエロのようであり、恥ずかしくなると思いますよ。
そしてそれも若い時から、
自分の客観性を育てていないと、
年齢も40、50を過ぎるともう、
脳がどんどん偏っていきますから、
なかなかそういう自分を叩くことも
律することも、難しくなります。
脳は甘くないですから、どんどん自我の偏りが
私は皆さんが幸福になるためにも
また優れた人(頭のいい人)熟した人になるために
③の地点に自分を立たせて、
しっかりと自分を検証されるといいな~と
思います。
※優れた人、頭のいい人、そして
世界は広く多様で大きいです。
そこには、無類の可能性があります。
他者の中には自分にない世界があります。
自分を絶対化したり、さらに
自分が万能であるかのような錯覚に陥る限り、
そこは自分で閉じられた、狭く貧しい世界です。
私がしょっちゅう言葉にする
地べたの目とは
そういう独りよがりの自分様を潰して
目線が低くなればなるほど、
視界は地べたから空へと限りなく広がります。
大きくて、鷹揚な世界です。
そこにこそ品格が生まれます。
いつも他者から様々に頂いて、
それを自分に付け加えながら、
自分が増殖するくらいでいいです。
逆に自分にはいらない傲慢な自我世界は
とっと捨てることですね。
そして
傍観者ではなく、
脳の主役としての自分です。
次回は脳の主役とは、どういことかを
書いておこうと思います。