人間は思い込みの世界をいきているのですよ。その9、自分の目で見る! |
自分の脳が何をみているか、
逆に
自分の脳を盲目にしているのは何か、
について書きましょう。
つまりそれは、自我が思い込んだ目で
人間を見ない。ということです。
自分の澄んだ目で、
他者や世の中を見るということです。
しかし
多くの人々は
自我の思い込みという、
自我の汚れや濁りの目でつい
他者(人間)をみてしまいます。
是非皆さんには、
実際に自分で感じ、観察し、
自分の経験知や体験知を駆使して
考察し、
そして
自分の理性を成熟させながら獲得した
●自分自身の目で
他者=人間をみることができるように
なってほしいと願います。
世間的な地位や名誉は勿論、そんなものなど関係なく、
さらに、
知識や観念で見るのでもなく。
権威がある人間や、世の中で評価されたり、地位があったり
何かの<はく>を、身につけていそうなことなども
まったく関係なく、
いかなる他者(人間)をも、
一人の尊厳をもった人として、
そのありのままを見ることができる人に
なって欲しいのです。
先日鍼に行きました。
その時先生に、
「先生は下積みの修行を何年くらいされたの?」と
聞きました。
すると先生は
「鍼の学校を卒業してさらに5年間、
診療所で修行をさせてもらいました。
でもね、田下さん、修行といっても
患者さんの訴えて来ることは、もう
そのたびに、えっ、というものばかりで、
どこにもその答えがなく、
学校で勉強した知識など、クソにも役にたちませんでした…笑!
それを無我夢中で、手さぐりしては先生に聞いたり、
教えを乞いながら
さらに自分で考えて必死でその場を乗り越えました。」
私
「そうだよね~。
現場というのは、もう
想定外の事や、何処にも書いていない子細のことが
山のように起きてきて、それに
対応しなければならないからね~。
もう戦場のようなもので、
でも、そこでこその、体験、知見、そして自分の頭を総動員しての
考察が、その人の経験知として
言葉にはならないものを、体得し、磨いていくんだよね~。
そういう現場での積み上げこそが、スゴイ、と私は思いますよ。」
と話ました。
なぜこのことを書いたかというと、
世の中とは、こういう現場での下積みをした無名のひとびとがスゴイのです。
そういう人々こそが、この世を造り出し、支えているのです。
しかし、残念なことに
人間の
それぞれの現場で頑張っている、
或は
生き抜いている、ということの
凄さを
理解できず、
そういう認識に乏しい人間が
わんさかいるからです。
もう自我の汚れと濁りの色メガネばかりで
人を見てしまう人のなんと多いことか。
ただ、このことを理解、認識するのは、
その人間の体験や経験と共に思想や哲学を磨き
人間の成熟ということに対する、
深い洞察が必要です。
人間が成熟してくると
世の中とは
地位もなく、名誉もなく、無名で淡々と自分の仕事や
役割をこなしている人が
その内容において、
ほんとうは
いちばんスゴイということが
分かってくるのですね。
巷は、そういう人々で溢れています。
だからこそ
社会が成り立ち、稼働するのです。
そこには、ことさら自分を表現せずとも、
優れた知識や技術があり、
さらにその人達のこころざしや責任感があり、
それが私達の社会の原動力として、支えてくれているのです。
しかし、残念なことに、
無意識の裡に、
・階級性や
・階層性や
つまらないコンプレックスで
・自分の自我を濁らせて、
他者(人間)を見てしまう人間の、
なんと多いことか。
さらに俗的な世間知(世の中のいかにも多数派みたいな人間の意見で)
脳をマインドコントロールされた目を持ち
盲目化している人のなんと多いことか。
まあ、社会というのは、絶えずそういう
大衆の幻想をふりまいて
人間を組織化するのですが・・・。
特に日本のマスコミは稚拙です。
こころざしや信念に欠けると私は思います。
特にテレビはね。
そこでコメントしている人達も、
その思想性と成熟度において
ほとんどが二流、三流クラスですよ。
特に高学歴や知識や教養がある、と自我が思いこんだ
中途半端な似非インテリ人間には、
また、私は残念ながら、主婦層にも、こういう人をたくさん見かけます。
まあ、いうなれば、
無意識の裡に自分を上位に置き
上から目線で他者を見ている人達です。
そういう人達は
何の根拠もないのに、
むしろ自分の実体は貧しいことにすら気づかず、
社会のヒエラルキーの中間より、ちょっと上に自分を置きます。
そして
無名の人や下積みのひとを下において
上から目線で人間をみている人が
もうわんさかいる。
日本人の多くがそういう
病に冒されていますが
その人達は、
自分の純粋な目で、
他者をアリのまま見る、ということが
出来ないのです。
自分の純粋な目で
他者をありのまま見る、というのは
自我の中の序列の色眼鏡でみるのではなく、
また世間的な価値でマインドコントロールされた目でみるのでもなく、
自分の純粋な目と心で、他者と向き合い
その人間の息吹きを感じとり、
その人の凄いところや、素晴らしいところを発見し
読み取る、ということです。
自分の目でちゃんと、
ものごとも人も見る、というのは
とても難しいです。
でもね、
人間の自我は思い込みだらけで
コンプレックスや、本能的欲望で、汚れています。
また、
他者を見る時、どうしても優劣や序列の色メガネでみて
自分を上位に置こうとし、
反対に、
自分を低くすることが
なかなかできません。
でもね、ほんとうに世の中や
人間のことがわかってくると、
もう多くの無名のひとびとこそ
たいしたものだな~と
思います。
この人々に支えられてこそ。
私は生きれているのだな~と
実感します。
そこには目には見えない、
ことさら口にはださないが
多くの努力や試練や修行の上に成立している
無名の人々の仕事ぶりがあります。
それが、実はすごいのですね。
自分の自我の汚れがとれ
軽やかになると
その人は
朗らかにもなります。
そしてそこに
そうなるともう、
誰とでも仲良く、
でも
無理に仲良くしなくても・・・。
私も最終ランです。
自我を捨てて、
人々に感謝して
一緒にいきることができた喜びをもって
ゴールインしたいと思っています。