2019年 02月 21日
AIテクノロジーの時代にむけて 遠野から希望を発信します。 |
映画の宣伝用チラシができました。

このチラシは遠野を撮影をしながら配ります。
このチラシを作る時、はっと気づいたことがあります。
それは昨日も書きましたが、
●希望は創るものであるという気づきです。
このチラシの左下に
「AIテクノロジーの時代にむけて
遠野から希望を発信します。」と
書きました。
実はこれね、最初は
「希望を探します。」という文だったのです。
しかしよくよく考えてみると
希望を探します、というのは、まず、どこかに希望があって
それを見つける、ということですよね。
じゃあ~誰が、何処に、その希望を作り出したのか、という疑問が湧きます。
つまり、自分がつくるのではなく、
どこかに希望らしいものがある、という幻想を
追いかける、ということになるのです。
昨日もかきましたが、
人間は<意識>という脳現象を獲得しました。
意識とは、自覚的になにかを見つけ、認識し、そして行動するということです。
つまり
<意識>の理性でちゃんと分析し、
ものごとを見極め、
対象の輪郭をしっかり認識し、そのうえで、
さらに
良き方向へと自分を導く、ということです。
だとすると、
問われるのは、
自分が何を求め、その求めるものをしっかりと分析し
さらにそこにどんな可能性があるかを
見極め、そして
行動する、ということでしょう。
行動するとは、その可能性を創り、育てていくということだと
私は考えます。
つまり、遠野で、私が何を見、
そして何を感じ、
何を見極め、
そこからどんな可能性を考えたか、が
私がみつけた希望です。
それは翻って、
●地方都市の中にある希望とは何か、
と言う、先進国日本にとってもの普遍的なことでもあります。
大切なことは、
映画の創りて側の私たちが、
希望をもって対象(映画のモチーフ=遠野))を見ていない限り、
映画は不安のみを放ってしまいます。
AI時代に向かうにあたり、
大変な時代になることが予想されます。
AIテクノロジーは、私たちの予想を遥かに超えて、
人間の考察や労働を代行していきます。
つまり、ひとりの人間の能力をはるかに凌駕したAI能力が
発揮されて行く時代が来ているのです。
AIは、
人間がかなわない高機能で
大量な生産性を発揮していくでしょう。
その時、
人間は機械に仕事を奪われるだけではなく、
いよいよ人間が、
●機械に依存しなければならなくなる時代が
きます。
機会に依存しなければ生きていけない時代に
入る、ということです。
そして
それに対して危惧すべきことは、
人間が体をつかって体験と経験をしながら、
脳も体もが育っていくという工程、
つまり人間が成長していく過程で、
脳が複雑に機能化していく、という
人間の脳と体の発達を
AIが代行してしまうのですから、
●人間の脳能力が劣化していく可能性があります。
今もすでにそういう劣化は起きていると思いますよ。
さらに、
機械世界に囲まれ、
●人間の自然性がどんどん疎外されていくと、
それとともに、人間の神経もイライラが激しくなる。
つまりAI文明によって
人間が侵食されていくかも、
しれないのです。
行き過ぎた文明が、人間を・・・・。
AI時代になると、
おそらくもうアッという間に
都会の風景も田舎の風景も、
様変わりしていくでしょう。
そこに人間はいるのだろうか。
もしかしたら、
オフィスにも
工場にも、
田んぼや畑にも
人間はいないかもしれませんね。
AIの時代、人間はどこにいるのかしら?
もしかしたら、人間にとって
世界は
荒涼たる、精神の砂場のようになってしまうかもしれません。
その時、おそらく人間が、
いかにも人間としての
心と体を取り戻し、
自己回復するのは、
美しい自然の中と、
そして
自然と人間とがまだまだ、
●協働している、地方都市だと
思います。
物質や機械に囲まれた
大量生産、大量消費社会ではない、
●事の足るを知る、世界です。
勿論都会ではないでしょう。
自然の中で、穏やかに風が吹き、
山が息吹き
草や稲穂が揺れ、野原には花が咲き、
もしかしたら、馬や牛や鹿も一緒に生きていて
伝統や風土が
ちゃんと息づいている、
行き過ぎた文明に冒されていない
地方の村や町が、
その存在感を発揮するでしょう。
それは、
遠野かもしれませんね。
私たちは、どんな時代を
そしてどんな生き方を
自ら、創り出したいくのか。
茨木のり子詩 六月
どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒
鍬を立てかけ 籠を置き
男も女も大きなジョッキをかたむける
どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮は
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる
どこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる
映画「どこかに美しい村はないか」
~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~
「AIテクノロジーの時代にむけて
遠野から希望を発信します。」
完成は2020年の予定です。
どうぞご期待ください。

by denshinbashira
| 2019-02-21 07:05
| 遠野の映画撮影日記
|
Comments(0)

