AIテクノロジーの時代にむけて 遠野から希望を発信します。その2 |
夕飯をたべていきました。
その時息子から聞いた話ですが、
息子一家が買い物をするのがイオンモールという
大型のスーパーで、
そこではありとあらゆるものがそろっているということです。
物だけではなく、歯科医院も内科小児科の医院もあり、
さらに、子供たちが遊ぶ施設や乳幼児のオムツを替えたり
お乳をやることなどにも、十分な配慮がなされており、
先日などは、
チームラボという企業がつくりだす
映像空間の遊戯がメッチャ面白く、
孫たちがもう喜んで、興奮して遊んだそうです。
ただ、それがいいことづくめばかりかというと
そうではない、
とても深刻なことも、その裏にあるというのです。
それは、そういうモールが建ってしまうと、
それまであった周辺の小売店や商店街が
どんどんモールに喰われて、消えていく、ということです。
息子の話によると、まるでバッタの群れの襲撃を受けるみたいに
バタバタと小売店や商店街が消灯していき
さらに何かの事情で、そのモールが撤退したならば、
その周辺の町は、まるで荒野のごとくなってしまう、と
いうのです。
果たしてそれは、どうなのであろうか、と
息子も私も首をかしげてしまいました。
遠野にはマクドナルドはありません。
そして高層のビルもありません。
確かに町の中心には<トピア>という
三階建ての小さなモールはあります。
町の中にはファミレスも、
スタバもありません。
でもね、
とても美味しいコーヒーの喫茶店はあります。
町の中心にある喫茶店<八百忠>や、
私達の宿舎となっている
<ヤマガラ文庫>のコーヒーは
とても美味しいです。
つまり、遠野は、
●都会の消費文化に汚染されていないのです。
反対に、
遠野は少し街をはなれると
美しい田園がひろがります。
それは私(旅人)の目には眩しくて、もう、
溜息が出ましたよ。
私達は遠野中をロケしながら
その美しい田園をちゃんと撮影しましたよ。
だから特に遠野の人は、
この映画を見てくださいね。
ご自分達の町や村の美しさを、
再発見をしてください。
さらに馬で子供たちとの交流を図る民泊<湧く湧く>の
渡部沙織さんによると、
●附馬牛(つきもうし)地区には、信号が一つもない、そうです。
だから渡部さんは、馬に子供を乗せて、散歩をするのだそうです。
いいですね~。
私も乗せてもらって、
ポコポコ、村の中を散歩したいなぁ~!
遠野は都会文化に汚染されていないけど、
でも都会にはない、
●たくさんの魅力的なコンテンツをもっています。
いや、都会文化に汚染されていないそのコンテンツこそが
大切なのですよ。
遠野ではその他にも、
たくさんのコンテンツがあります。
渡部沙織さんとおなじように
馬搬で町おこしをやろうとする伊勢崎克彦さんも
佐々木悦雄さんのように
無肥料、無農薬の自然栽培の林檎園も、
もうそのりんごジュースの美味しいこと、おいしい事!!
さらに同じように無肥料、無農薬で米作りに取り組んでいる
<勘六縁>の菊池さんご夫妻もいます。
※この若者はとても有望です。
そして勇壮なしし踊りは、
全地区がその伝統を継承して守っています。
私はまだみていないけど、
神社のおかぐらも、面白いらしいし、
どぶろくもあるし、
多田克彦さんの肉製品も世界市場へ打って出るのでしょ。
これは,私の提案、
もしマクドナルドのようなハンバーグを食べたいなら、
そして
若者達がたむろする、そういうお店が必要なら
遠野の人自身でそれを作ってしまえばいいじゃない!
私のおすすめは、マックじゃないよ、
モスバーガーのフレッシュ野菜バーガーのような
美味しいいハンバーガーーがいいなあ~。
冒頭で書きましたが、
都会型の大型スーパーを始め、
大量生産、大量消費の
数と量と資本力の迫力でのしてくる
都会型の経済システムの、その裏には
ぞっとするような荒野(現実)があるのです。
それは
ブルトーザーのように
大型資本がのしてきて、個人商店が潰されてしまうこと。
そして人々は、
いつも時間とお金に追いまくられて
神経がすり減り、
人間がストレスでくたくたになってしまうという
病理を含んだ競争の文化です。
昨日もかきましたが
AIテクノロジーはスゴイです。
私達の予想をはるかにこえて、
その機能を発揮します。
奇跡のような労働力と生産性を放っていくでしょう。
でもね、
私たちは人間なのです。
もしかしたら
高機能のAIテクノロジー文化が
先頭に立ち、
人間をさらに追い立て、
反対に
人間はどんどん自信を失い、
そして
自然からは、どんどん疎外されて行くかもしれません。
自然から疎外されると、人間はその精神においての病理に陥ります。
そんな時、時間が止まったような遠野は
なんて魅力的なのでしょう。
ゆっくりと牧歌的で、優しい遠野です。
冬は確かに寒い、けど、
春と秋はもう素晴らしい!
日本人の故郷の原風景が満載です。
早池峰神社は、
山への畏れと祈りの世界で私たちを圧します。
美しい早池峰山。
牛が寝ているような六角牛山。
附馬牛から綾織への峠を抜けると
小友の草原では、のんびりと牛とヤギが草を食んでいます。
<伝承園>や<ふるさと村>の茅葺屋根の曲がり屋も
そこに上り込んで昔の家の中にいると
ホッとするよ。
それらを重要なコンテンツとして、
蘇らせる努力すれば
きっとひとびとが癒されに来るでしょう。
私と能勢監督は、
遠野中を廻りながら、その美しいところを
撮影しました。
でもね、この映画は遠野の宣伝映画ではありません。
もっと
●普遍的な映画です。
普遍的というのは、
AIテクノロジー時代を迎えるにあたり、
資本主義社会の先進国、
さらに
高齢化と人口減少でも先進国である日本が、
それをどのように乗り越え、
世界の中で生き延びてゆくかのヒントやインスピレーションを
遠野を通して、描きたいと考えています。
遠野だけではなく、
日本の地方都市全部をその射程に据え、
狂気のように文明がスパイラルしていく都会(先進的な日本人)と
その反対に
伝統や伝承の重さがある故にこそ、
それについていけない地方都市
(従来の日本のアイデンティティーの中にいる日本人)と
その両方を
●どのように止揚して、日本が生き延びてゆくか、
を
模索するのです。
それは単に模索するだけではなく、
●文化は人間が創り出すものであること。
同様に
経済でいうと
●需要は、創りだすものある、という
●経済の原点を、
眼差しの射程において、


「AIテクノロジーの時代にむけて
遠野から希望を発信します。」