AIテクノノロジーの時代に向けて、遠野から希望を発信します。その4、すべてが現象であること。 |
書きますが、できるだけ平易な言葉で
分かりやすく書きます。
先日のブログでイオンモールのことを書きましたが、
私はイオンモールを否定したのではありません。
都市で起きている、
大型資本が展開する郊外型の商業の在り方として
イオンモールがあり、
更にその周辺の個人商店や商店街におきている関係の
<現象>を書いたのです。
従来型の商業である、個人商店や商店街が
イオンモールに喰われていくのも、
そこにある必然や作用が働いて
それが現象化しているのですね。
いわば、今の消費者の在り方が、
そこに反映されているからこそ、
イオンモールに人々が集まっているのですね。
※イオンモールに喰われないための
工夫や装置こそ、
今、個人商店や商店街はかんがえなければならない。
それは時代が変化することに対して
鋭敏に反応し、
考察するということが
彼らにも問われているのです。
反対に地方が衰退していくのも、
何らかの原因と作用が働いて
そういう現象が起きている。
だからこそ、地方はその存在意義を再確認し、
そしてその価値を発信する知恵と技術を
生み出さなければならないのです。
そして現代起きている現象の根底にあることの原因を、
大きなマクロの視点でみると、
そこにあぶれ出て来るのが、
・行き過ぎた文明の利便性や即効性、
・大量生産、大量消費の現象と共に
・安いものの方が得という、
・商業的マインドコントロールや、
・車社会であり、
その根源には
・人間の欲と思惑が
・金優先(経済優先)の世界を
作り出している(現象化させている)。
さらに特筆すべきは
テクノロジーの発達は
アッという間に世の中を一変しまうことです。
明治からのこの150年間、
もっと短いスパンでは、
戦後の73年間での
テクノジーによる生活の変化は
著しいどころか、奇跡的でもあり
その最先端に今、
AIテクノノロジーの時代が始まろうとしているのですね。
それらすべては、現象としておきているのであり、
それを
●主観的感情で、いいとか、わるいとか、
好きとか、嫌いとかいうことでは、
何も始まらないのです。
何も解決できないのです。
イオンモールだって良いところがたくさんあるでしょう。
さらに
個人商店でも商店街でも、いいところがたくさんあるでしょう。
そしてその反対もしかりです。
都市現象も地方現象も、
そこには何らかの原因と作用が働いており、
それは、何なのかを、
しっかり見極めないで、
●現象に取り込まれ、流されていくことが
問題なのです。
まさに人間とは<考える葦>であり、
しなやかに、繊細に、そして複雑に、さらに逞しく、
<考える>という行程を通して
現象を見ていく(分析していく)必要がある。
つまり
起きている現象を
理性と知性を以て、
厳しく検証する必要があります。
それは何が原因であり、
何がどのように作用して
おきているのか。
そしてさらに
その現象の利点はなにか、反対に
マイナス点はなにか、を
怜悧に検証する中で、
何が問題であり、それを乗り越えていくには
どうしたらいいか。
どういう方法があるのかを
考えなければならないのですね。
その目的は、ただひとつ
どうしたら、人間は、
●人間らしい幸福を手に入れることができるか、
です。
この人間らしいという事は、
人間は、脳と体を以て生きている、
つまり生命現象を起こしている。
脳とはデジタルな現象であり、
体はアナログな現象です。
脳の中は瞬時に脳の中のネットワークが動き、
刻一刻と最速に変化する世界ですが、
体は常に、心臓の心拍や、血圧や体温の維持などの
現状を維持しながら、変化する。
つまり、体は
●今までの自分を維持しながら
ゆっくりとしか変化できない世界(現象)です。
人間は、
脳のデジタル世界に偏っても
体のアナログ世界に偏っても
ダメなのですね。
両方をバランスよく使いこなす(現象化)させていかないとね。
都市は今、デジタルに取り込まれ、さらに
世界経済という現象に取り込まれ、
さらに金融というゲームに取り込まれ、
どんどんスパラルしています。
反対に地方は
これまでの日本人のアイデンティティーの中で
ゆっくりしか変化できずに
デジタル世界に追いつけないない状態でいます。
そして
一挙にデジタル世界へと突き進むことは
危険です。
そうではなく、
デジタルな現象としての都市と
アナログな現象としての地方の
●両方を
止揚しつつ、時代を作り出していく知恵が必要なのです。
※止揚とは、この場合をものすごく簡単にいうと
都市現象と地方現象の両方を生かすために
どうしたらいいか、ということを
考える、ということです。
なぜ、一挙にデジタル世界へと突き進むことが
危険であるかというと、
人間は<命>というアナログな生命現象であるからです。
だから
脳の観念=仮想のイメージが、先行してしまう時、
アナログな生命現象は、
それに追いつかなくなる、
という限界があるからです。
※AIテクノノロジーが先行すると
多くの人がそれについていけなくなる。
それどころか、AIに依存しなければならない世界に
なってしまうおそれがあります。
長くもあり、短くもある
自分という生命現象。
考える葦としての脳とゆっくり変化するその体を
いかに
充実させ、
幸せにするか。
そしてそのために、
私たちはどんな時代を作り出していくか、が、
今もこれからも問われて行くでしょう。
その一つのヒントとして、
私はこの映画を
贈りたいと考えています。
それも、愛と詩に溢れる世界でね。

