外野がやかましいから、いきるのが辛くなる! |
手足が固くなり、まあ、順調に年老いている…笑!
もう10数年、ほぼ毎日ブログを書いているので、
ネタも尽きはじめた。
そんな中でもやはり書き置いてゆかねばということが
まだまだあり、
今日はその一つとして、
先般、ふと頭に浮かんだ言葉があります。
それを手帳に書き留めましたので、
そのまま書きます。
『外野がやかましいから、いきるのが辛くなる。
生きるのが辛い時代。
外野はつべこべ言うな。
他人のことに介入するな。』
今ほど、外野がやかましい時代はない。
言葉を変えるなら、
外野がやかましいから、
生きるのが辛くなる。
昔風にいうなら、<世論>
今風にいうならテレビやネットで、
近いものなら、
親や友人の言葉。
そういうものが、しかも中には匿名で
他人の世界に、まるで
この世を仕切る代官様のように、
平気で介入している。
本来、人間は、それぞれには、それぞれの事情があり、
それぞれが、それぞれの人生を生きている。
他人は、他人の人生の内容など、知りえないものであり、
だからこそ、他人の人生に責任を持てないのであり、
他人のことに介入してはいけない。
なのに、いかにも正論のように、
いかにも常識のように
いかにも、自分達が正統であるかのように
おばけのように正体のない
言論現象が
世の中を仕切り、
他人の世界に介入し、
人間を縛りだしている。
それは何かと目を凝らしてみても、
正体も、はっきりせず、
住所氏名も明らかにせず、
それにもかかわらず、
批判的な言葉や、
他人を縛りたくてたまらない言葉が
訳も分からず、
個人の世界をぐるぐる取り囲んでいる。
メデイアとかネットとの世間とかいうのが、
自己増幅して
なにか、上から目線で、どんどん人間を
縛りだしていることに、私は危機を感じます。
人間は頭の中の世界も、
こころの世界も
まったく自由なのですよ。
なにを考えようが、
なにを思うおうが、
自由なのです。
色々な人の悩みを聞いていると、
もう、そういう愚見に、
人々の
頭の世界までが、縛られだしている。
目には見えない周囲の視線におびえている人へ。
他人の目なんか気にすることはありませんよ。
他人の言葉などに、おそれたり、怯えたりすることも
ありませんよ。
そんなもん、みんな、正体のないしろもので、
実体のない妄想です。
自分が感じたこと、思ったこと、そして
考えたことを
大切にして、
自分には、いかにも自分らしい生き方や道があることを
忘れないでほしい。
今日はちょっと過激だったかな!
でも
いいよね!…笑!