2019年 03月 22日
生きることは何でもアリや!その1、迷彩服を着て殴り込む! |
今日からはちょっと私の人生でおきたことを
書きます。
なぜなら、生きることは綺麗ごとではおさまらないし、
いわゆる常識とか、世間体などを気にしていたら、
な~んも解決しない、ということを
書き残しておきたいと思ったからです。
シリーズでかきますので、
すみませんが、読んでください。
樹木希林さんと私との共通点として、
大事なことを忘れていた。
一つは裕也さんが、希林さんのことを、怖いと言っていたこと。
おそらく、うちの爺さんも
私を怖がっていたと思います・・・笑い!
それともうひとつ、
彼女も私も、
実力行使をする人間である、ということです・・・笑い!
希林さんと本木さんとが新居を建てたとき
俺は貧乏なのにお前達ばっかり・・・と、
腹をたてた裕也さんが
殴り込みをかけきた。
それに対して希林さんは鉄パイプで応戦したという
有名なエピソードがあります。
連日新居の前にきては、
大声で汚い言葉をどなる裕也さんを
本木さんと二人でボコボコにしたらしいのです。
(なんだか嫉妬する裕也さんも、可愛いね!)
実は私も、爺さんの会社に何度か
殴り込みをかけました・・・トホホ!
それは爺さんは何か自分に不都合なことがあると、
自宅では一切、口を利かなかったからです。
あゝ書きながら涙が出てきた!
だから最後の手段として、
実力行使、
会社に乗り込んだのです。
勿論、それが
家庭内の喧嘩を会社に持ち込むという、
際めて常識外れのことであり、
その結果、爺さんが恥をかき、さらに
それ以外の波紋もおきるであろうことも、
もしかしたら爺さんが会社を辞めなければならないことになるかも
という事までを
重々承知と覚悟の上で
乗り込みました。
たぶんそうしないと、
私ははもちこたえられなかった、と
思います。
原因一つは、かれが嘘をついたことです。
そして爺さんにしてみれば、嘘をつかなけば
私が逆上し、
爺さんにとって、
逆上したわたしは、
もう手が付けられないほど、
恐ろしい存在であったのだと思います…笑!
原因はその他にも色々あり、でもそれは
詳しくは書きませんが、
それでも私の感情の限界と、
精神的に追い詰められる
止むにやまれぬ事情があったという風に
お察しいただければ嬉しいです。
ただ、もし私が行動をおこさず、我慢を内向しつづけたらなら、
おそらく、私は人格障害をおこしたかもしれませんね~。
ただ、
私には子供を育て守らなければならない責任があります。
父親が家庭を放棄して、
母子家庭状態であるこの状況で
母親の私までがおかしくなることは、
どうしても避けなければならない。
だから、いわゆる世間体とか常識なんてもんなどどうでもいい、
それよりか、私自身が崩壊しないために
私は、自分を救い出すことの方を
優先したのです。。
人間は、胸に詰まった苦しい思いを、
行動することで、つまり
体を動かし、言葉を吐き、そして
なんらかの意志を表出することで
隘路が切り拓けてきます。
逆に行動せず、
エネルギーや感情や言葉を内向させ、
特に言葉を呑みこんでばかりいると
それはもう、
ストレスの負荷が脳にも、体にも、
ドンドンかかってゆきます。
そうなると
その人間の内部から、何らかの異変や違和がおき、
もう精神が持ちこたえられなくなります。
人間は、行動しながら(行動には言葉を吐くことも含まれます。)
エネルギーを体の中から放出し、
放出しては、新しいエネルギーを得る
という風に
エネルギーの循環の中で生きています。
だからそれが内向して停滞したり、
積み重なたり、
さらに解決の出口を失うと、
その人間の内部で澱み、
被害妄想がおき
精神や体を蝕んでしまいます。
辛い時、出口が見つからないとき、
どうしたらいいかわからないときはまず、
行動することです。
散歩でもいいですし、
買い物をしたりでもいいです、
そして誰かと雑談するのも
いいです。
とにかく内向して、たまっている感情と言葉と
エネルギーを、
外へと放出する。
いけないのは、
そういうことを、自分で処理せず、
誰かをはけ口にすることです。
特に子どもをはけ口にしては、
絶対いけません。
いちばんヤバイのは
内向させて、言葉を飲み込み、
心の中をネガティヴな言葉でいっぱいにしたり、
ネガティヴな言葉が頭の中を走り続けることです。
まあ、話を元に戻すと、
私の場合は、もう限界ギリギリであり、
私はどうしても、爺さんとの生活での、
この不毛な壁を突き破るには
会社に乗り込むしかなかった、という訳です。
なぜなら、
会社という、
彼が世間体をはばからざるをえない場でしか、
私と向き合うこともなく、
口も利かなかったからです。
まあ、それが30年近く続きましたかね~。
最後の最後の手段として、
私は彼の経営する会社へ乗り込み、
殴り込みをかけた、という訳です…笑!
まあ30年中で、3回くらいですかね~。
それでも最初のときは
爺さんが仕事のストレスで、歯周病になり
ドンドン下の歯が抜けていったことです。
どうしても歯医者に行かない彼のために、
会社周辺の歯医者を調べて、会社に乗り込み
やっと歯医者に行く約束を取り付けました。
二回目は、もうわすれましたが、
私の中でどうしても許せないことがあったからだと
思います。
面白いのは三回目で
その時はもう、私は会社の前で座り込み、
ハンガーストライキをやってもいい、と
自分の覚悟をきめて出かけましたよ。
そしてもうこれは最後の戦いだと思って、
戦闘服というか、迷彩模様のズボンをはいて
出かけました…笑!
途中で何度もやめようかと思いましたが、
イヤもう、覚悟を決めたのだから
やろうと自分を発奮させました。
でもね、不思議なことに
思いを行動に移してからは、
自分の中であれほど内向させ
激怒していたものが、
それほどでもなくなっていくのですよ。
滞っていたエネルギーと
思いが、動くことで少し救われるたのかもしれませんね~。
会社に着いてから、爺さんを呼び出してもらいました。
当時は一応社長さんですから、廻りの人は
大慌てです。
私の爺さんに対する怒鳴り声が会社中に響いたかどうか・・・。
すぐ社員さん数人で、私は応接室へと引っ張り込まれ、
閉じ込められて、接待されました・・・??・・苦笑!
まあ、あんまりその時のことは覚えていません。
しかし、帰宅したら、ちゃんと口を利くことは
約束させたかな~・・・・・、
もう、おぼえてないやぁ~。
ただね、ただ私の気は済みました(澄みました。)
もしあの時私が行動をおこさなかったら、
私は爺さんを憎み、許さず、もしかしたら離婚していたかも
しれませんね~。
さらに、人間不信から、
自分を救いだせなくなったかも
しれません。
先日のブログ「内田裕也と樹木希林のロックンロール!」で
書いたように、
私は沢山のことを諦めました。
自分の感情に起きてくる、
人間として、女として、妻として、の幸福をはじめ
彼とのあいだで起きてくるささやかな希求も
あきらめました。しかし、
その一方で、
自分は、人間としての尊厳を失わないために、
何を捨て、
何をうしなってはいけないか、も
考え続けました。
そう考え続けた結果
最後には、
自分の幸福はさておいておき、
多くの人々のために
この男(爺さん)の才能を優先すべきだというところまで、
やっと心が降りていきました。
私達家族のことより、
爺さんの才能を生かす、ということを
優先し、自分に言い聞かせたのです。
爺さんが家族を捨ててまで、
取り組んでいたことは
或る種、日本の商業に革命を
起こしました。
それは皆さんの日々の生活を
革命的に変えた
あのバーコードによるシステムの開発です。
もう今ではすっかり当たり前になったあのバーコードを使った
商業、流通、の革命です。
それを完成するためには、
通算で13年かかり、最終的には16年かかりました。
以来日本はPCの商業の時代へ進んでいきました。
まあ、周囲の常識的な人間からすると、
とんでもない私でしょうが、
私自身は狂っているとおもわれてもいい、と
思いました。
それより、なんとか目の前の困難で苦しい壁を
乗り越えねばと。
そして最終的な解決は
自立しかないと悟ったのです。
しかし、そのおかげで、
私は今、とても安楽な境地にいます。
それは次回かきましょう。

書きます。
なぜなら、生きることは綺麗ごとではおさまらないし、
いわゆる常識とか、世間体などを気にしていたら、
な~んも解決しない、ということを
書き残しておきたいと思ったからです。
シリーズでかきますので、
すみませんが、読んでください。
樹木希林さんと私との共通点として、
大事なことを忘れていた。
一つは裕也さんが、希林さんのことを、怖いと言っていたこと。
おそらく、うちの爺さんも
私を怖がっていたと思います・・・笑い!
それともうひとつ、
彼女も私も、
実力行使をする人間である、ということです・・・笑い!
希林さんと本木さんとが新居を建てたとき
俺は貧乏なのにお前達ばっかり・・・と、
腹をたてた裕也さんが
殴り込みをかけきた。
それに対して希林さんは鉄パイプで応戦したという
有名なエピソードがあります。
連日新居の前にきては、
大声で汚い言葉をどなる裕也さんを
本木さんと二人でボコボコにしたらしいのです。
(なんだか嫉妬する裕也さんも、可愛いね!)
実は私も、爺さんの会社に何度か
殴り込みをかけました・・・トホホ!
それは爺さんは何か自分に不都合なことがあると、
自宅では一切、口を利かなかったからです。
あゝ書きながら涙が出てきた!
だから最後の手段として、
実力行使、
会社に乗り込んだのです。
勿論、それが
家庭内の喧嘩を会社に持ち込むという、
際めて常識外れのことであり、
その結果、爺さんが恥をかき、さらに
それ以外の波紋もおきるであろうことも、
もしかしたら爺さんが会社を辞めなければならないことになるかも
という事までを
重々承知と覚悟の上で
乗り込みました。
たぶんそうしないと、
私ははもちこたえられなかった、と
思います。
原因一つは、かれが嘘をついたことです。
そして爺さんにしてみれば、嘘をつかなけば
私が逆上し、
爺さんにとって、
逆上したわたしは、
もう手が付けられないほど、
恐ろしい存在であったのだと思います…笑!
原因はその他にも色々あり、でもそれは
詳しくは書きませんが、
それでも私の感情の限界と、
精神的に追い詰められる
止むにやまれぬ事情があったという風に
お察しいただければ嬉しいです。
ただ、もし私が行動をおこさず、我慢を内向しつづけたらなら、
おそらく、私は人格障害をおこしたかもしれませんね~。
ただ、
私には子供を育て守らなければならない責任があります。
父親が家庭を放棄して、
母子家庭状態であるこの状況で
母親の私までがおかしくなることは、
どうしても避けなければならない。
だから、いわゆる世間体とか常識なんてもんなどどうでもいい、
それよりか、私自身が崩壊しないために
私は、自分を救い出すことの方を
優先したのです。。
人間は、胸に詰まった苦しい思いを、
行動することで、つまり
体を動かし、言葉を吐き、そして
なんらかの意志を表出することで
隘路が切り拓けてきます。
逆に行動せず、
エネルギーや感情や言葉を内向させ、
特に言葉を呑みこんでばかりいると
それはもう、
ストレスの負荷が脳にも、体にも、
ドンドンかかってゆきます。
そうなると
その人間の内部から、何らかの異変や違和がおき、
もう精神が持ちこたえられなくなります。
人間は、行動しながら(行動には言葉を吐くことも含まれます。)
エネルギーを体の中から放出し、
放出しては、新しいエネルギーを得る
という風に
エネルギーの循環の中で生きています。
だからそれが内向して停滞したり、
積み重なたり、
さらに解決の出口を失うと、
その人間の内部で澱み、
被害妄想がおき
精神や体を蝕んでしまいます。
辛い時、出口が見つからないとき、
どうしたらいいかわからないときはまず、
行動することです。
散歩でもいいですし、
買い物をしたりでもいいです、
そして誰かと雑談するのも
いいです。
とにかく内向して、たまっている感情と言葉と
エネルギーを、
外へと放出する。
いけないのは、
そういうことを、自分で処理せず、
誰かをはけ口にすることです。
特に子どもをはけ口にしては、
絶対いけません。
いちばんヤバイのは
内向させて、言葉を飲み込み、
心の中をネガティヴな言葉でいっぱいにしたり、
ネガティヴな言葉が頭の中を走り続けることです。
まあ、話を元に戻すと、
私の場合は、もう限界ギリギリであり、
私はどうしても、爺さんとの生活での、
この不毛な壁を突き破るには
会社に乗り込むしかなかった、という訳です。
なぜなら、
会社という、
彼が世間体をはばからざるをえない場でしか、
私と向き合うこともなく、
口も利かなかったからです。
まあ、それが30年近く続きましたかね~。
最後の最後の手段として、
私は彼の経営する会社へ乗り込み、
殴り込みをかけた、という訳です…笑!
まあ30年中で、3回くらいですかね~。
それでも最初のときは
爺さんが仕事のストレスで、歯周病になり
ドンドン下の歯が抜けていったことです。
どうしても歯医者に行かない彼のために、
会社周辺の歯医者を調べて、会社に乗り込み
やっと歯医者に行く約束を取り付けました。
二回目は、もうわすれましたが、
私の中でどうしても許せないことがあったからだと
思います。
面白いのは三回目で
その時はもう、私は会社の前で座り込み、
ハンガーストライキをやってもいい、と
自分の覚悟をきめて出かけましたよ。
そしてもうこれは最後の戦いだと思って、
戦闘服というか、迷彩模様のズボンをはいて
出かけました…笑!
途中で何度もやめようかと思いましたが、
イヤもう、覚悟を決めたのだから
やろうと自分を発奮させました。
でもね、不思議なことに
思いを行動に移してからは、
自分の中であれほど内向させ
激怒していたものが、
それほどでもなくなっていくのですよ。
滞っていたエネルギーと
思いが、動くことで少し救われるたのかもしれませんね~。
会社に着いてから、爺さんを呼び出してもらいました。
当時は一応社長さんですから、廻りの人は
大慌てです。
私の爺さんに対する怒鳴り声が会社中に響いたかどうか・・・。
すぐ社員さん数人で、私は応接室へと引っ張り込まれ、
閉じ込められて、接待されました・・・??・・苦笑!
まあ、あんまりその時のことは覚えていません。
しかし、帰宅したら、ちゃんと口を利くことは
約束させたかな~・・・・・、
もう、おぼえてないやぁ~。
ただね、ただ私の気は済みました(澄みました。)
もしあの時私が行動をおこさなかったら、
私は爺さんを憎み、許さず、もしかしたら離婚していたかも
しれませんね~。
さらに、人間不信から、
自分を救いだせなくなったかも
しれません。
先日のブログ「内田裕也と樹木希林のロックンロール!」で
書いたように、
私は沢山のことを諦めました。
自分の感情に起きてくる、
人間として、女として、妻として、の幸福をはじめ
彼とのあいだで起きてくるささやかな希求も
あきらめました。しかし、
その一方で、
自分は、人間としての尊厳を失わないために、
何を捨て、
何をうしなってはいけないか、も
考え続けました。
そう考え続けた結果
最後には、
自分の幸福はさておいておき、
多くの人々のために
この男(爺さん)の才能を優先すべきだというところまで、
やっと心が降りていきました。
私達家族のことより、
爺さんの才能を生かす、ということを
優先し、自分に言い聞かせたのです。
爺さんが家族を捨ててまで、
取り組んでいたことは
或る種、日本の商業に革命を
起こしました。
それは皆さんの日々の生活を
革命的に変えた
あのバーコードによるシステムの開発です。
もう今ではすっかり当たり前になったあのバーコードを使った
商業、流通、の革命です。
それを完成するためには、
通算で13年かかり、最終的には16年かかりました。
以来日本はPCの商業の時代へ進んでいきました。
まあ、周囲の常識的な人間からすると、
とんでもない私でしょうが、
私自身は狂っているとおもわれてもいい、と
思いました。
それより、なんとか目の前の困難で苦しい壁を
乗り越えねばと。
そして最終的な解決は
自立しかないと悟ったのです。
しかし、そのおかげで、
私は今、とても安楽な境地にいます。
それは次回かきましょう。

勿忘草です。
もうあの頃のことは忘れちゃった!!
by denshinbashira
| 2019-03-22 13:15
| 人間
|
Comments(2)
楽しく読ませていただきました!!
1
遠野のおばさん様、ありがとうございます。励みになります。また、遠野でお会いできるのを楽しみにしております。

