2019年 03月 24日
生きることは何でもアリや!その3、一寸法師でも戦うぞ! |
迷彩ズボンをはいて乗り込んだ時はもう
怒髪天で、怒りが収まりませんでした。
何から何まで、爺さんの仕事第一、
会社第一に
私自身を譲り続けているのに。
会社というその大きな組織をまえに
一寸法師のような自分が
押しつぶされそうになっている。
やはりここで、石を投げておかねば。
ここで自分を諦めてなるものか、
図にのるな、ナメンナヨ、と
という怒りと気迫が
満身に満ちてきました。
高度成長期からバブル期にかけて、
日本のお父さんたちはもう夜中まで
働いていました。
若い人たちは分からないかもしれませんが、
日本はそういう猛烈な時代をかいくぐって
今の繁栄があるのです。
そんな中では、
家庭よりも仕事、
会社の方が家庭よりも上位にあり、
会社と仕事という大義名分のためには、
家庭を犠牲にすることが、
当たり前のようでもありました。
爺さんが家庭放棄した原因の一つは
爺さんの会社も時代を背景に
当時は倒産寸前から這い上がるために
大変な時代であり、
そんな中で猛烈に働いて
見事に会社は立ち直り、
業界において日本で№1になりました。
もう一つは爺さんが、
私達家族は置き去りにされたのですが。
しかし
会社という大義名分で
個人がふみつぶされるのは、
間違っています。
一寸法師でも、砂粒のような無力の私でも、
巨大組織に踏みつぶされそうになったら
戦う!
ひとりでも、戦う!
そこにこそ、自分の存在の意義がある。
という思いで乗り込みました
まあ、これも私の特殊性かもしれませんが、
私の中には
いつも自分は、自分の人生をどう生きるかという
問いかけがありました。
世相などには、
流されないのです。
中途半端な妥協や
まあ、いいかとか
自分など、どうでもいいや、ということは
ないです。
自分が納得しなければ、次はない。
そして
自分が納得し、その隘路を開くには
行動するしかないのです。
私は
他人から見れば、かなりの変人でもあり、
72年間、いつもその自分を抱えて
無我夢中で生きてきました。
しかしね、
しかしそういう葛藤の中で
私は沢山の宝物を得ました。
いつも自分の心を大事にし、
さらに自分の心を見渡しては。
苦しい事の原因を突きとめ、
それを他人のせいにせず、
自分を修正し、
そして、
どうしても納得できない時は
行動しました。
そして不思議なことに
或るときから、爺さんと私は
同じ価値観と同じ世界観を持っていることに
気づいたのです。
これは新鮮な驚きでもありましたよ。
爺さんも社長として会社を背負い
社員の人々を幸福にするには、
会社とは、企業とは、
どうあらねばならないかの
●本質的なことと
●根源的なことを
考え続けてきたのです。
その結果
二人ともが、
同じような世界観、人間観に
辿り着いたと言う訳です。
まあ、長い年月と苦労の末に
二人ともが
●人間にとって何が大事であるか
●社会とは何が大事であるか、
さらに
人間も社会も、
●何を失ってはならないか。
次回それを書きます。

うあ~、光の中でキラキラしているね~!
怒髪天で、怒りが収まりませんでした。
何から何まで、爺さんの仕事第一、
会社第一に
私自身を譲り続けているのに。
会社というその大きな組織をまえに
一寸法師のような自分が
押しつぶされそうになっている。
やはりここで、石を投げておかねば。
ここで自分を諦めてなるものか、
図にのるな、ナメンナヨ、と
という怒りと気迫が
満身に満ちてきました。
高度成長期からバブル期にかけて、
日本のお父さんたちはもう夜中まで
働いていました。
若い人たちは分からないかもしれませんが、
日本はそういう猛烈な時代をかいくぐって
今の繁栄があるのです。
そんな中では、
家庭よりも仕事、
会社の方が家庭よりも上位にあり、
会社と仕事という大義名分のためには、
家庭を犠牲にすることが、
当たり前のようでもありました。
爺さんが家庭放棄した原因の一つは
爺さんの会社も時代を背景に
当時は倒産寸前から這い上がるために
大変な時代であり、
そんな中で猛烈に働いて
見事に会社は立ち直り、
業界において日本で№1になりました。
もう一つは爺さんが、
自分の全勢力を会社に注ぎ込むという、
個人的な背景において、
私達家族は置き去りにされたのですが。
しかし
会社という大義名分で
個人がふみつぶされるのは、
間違っています。
一寸法師でも、砂粒のような無力の私でも、
巨大組織に踏みつぶされそうになったら
戦う!
ひとりでも、戦う!
そこにこそ、自分の存在の意義がある。
という思いで乗り込みました
まあ、これも私の特殊性かもしれませんが、
私の中には
いつも自分は、自分の人生をどう生きるかという
問いかけがありました。
世相などには、
流されないのです。
中途半端な妥協や
まあ、いいかとか
自分など、どうでもいいや、ということは
ないです。
自分が納得しなければ、次はない。
そして
自分が納得し、その隘路を開くには
行動するしかないのです。
※行動することがそのまま、
自分と自分の意志を尊重することに
なるのです。
そこに自分のライヴ感が生まれるのです。
私は
他人から見れば、かなりの変人でもあり、
さらに常識的な軌道から外れた人間かもしれませんが、
72年間、いつもその自分を抱えて
無我夢中で生きてきました。
しかしね、
しかしそういう葛藤の中で
私は沢山の宝物を得ました。
いつも自分の心を大事にし、
さらに自分の心を見渡しては。
苦しい事の原因を突きとめ、
それを他人のせいにせず、
逆に、
自我やエゴを叩て、
自分を修正し、
そして、
どうしても納得できない時は
行動しました。
そして不思議なことに
或るときから、爺さんと私は
同じ価値観と同じ世界観を持っていることに
気づいたのです。
これは新鮮な驚きでもありましたよ。
爺さんも社長として会社を背負い
社員の人々を幸福にするには、
会社とは、企業とは、
どうあらねばならないかの
●本質的なことと
●根源的なことを
考え続けてきたのです。
その結果
二人ともが、
同じような世界観、人間観に
辿り着いたと言う訳です。
まあ、長い年月と苦労の末に
二人ともが
●人間にとって何が大事であるか
●社会とは何が大事であるか、
さらに
人間も社会も、
●何を失ってはならないか。
に気づき、理解していったのです。
次回それを書きます。

by denshinbashira
| 2019-03-24 07:25
| 人間
|
Comments(0)