生きることは何でもアリや!最終回、会社は社員のためにある。 |
一時、メデイアで、
会社は株主のためにある、と言い出した時がありましたが、
その時爺さん(田下憲雄氏)は、
それは、とんでもない間違いで、
会社は社員のためにあり
●労働は尊敬されなければならない。
そして一日の大半を過ごす会社は
社員にとっては、自己実現の場であり、
●社員ひとりひとりがイキイキできる場でなければならない、とも
言いました。
彼の会社人生の前半は、
バーコードをつかったポスシステムを作ることに全力を注ぎ、
後半は、理想の会社を作るため
全霊を傾けたと思います。
その結果、
家庭は私に任せきりになり、
夫婦の不和から
家ではほとんど口を利かない爺さんから
何も話して貰えなかったために、
私も子供たちも、ほんとに苦しみました。
※この何もはなさなったことは
爺さんの大変な落ち度と間違いです。
そこんとこは許せませんが…苦笑!
しかし、こうして時がたってみると、
爺さんの実現しようとしたことも
私が体当たりで必死で守った個の尊厳も
そこには大きな意義でのつながりがありました。
今日の時代、まさかブラックと呼ばれる企業が
なかば公然と若者から収奪するなど
とんでもないことであり、
何かが狂っています。
デフレの安さ競争の中、
人件費を節約して社員を犠牲にするなど、
そんな企業が成功するわけがない。
人間は自由を保障され、尊重されてこそ、
いきいきとその能力を発揮します。
さらに、人間(社員)ひとりひとりの多様性のなかにこそ、
限りない可能性があります。
爺さんのことば、
『需要とは創造するものである』とは
まさに社員の限りない能力が開かれてこそ、
マーケットが生まれてくるのですね。
会社にとって利益を上げる、つまり
お金を稼ぐことは必要条件です。
しかしそれは絶対条件ではありません。
利益をあげることが、すなわち社員の幸福と
生活の向上に繋がらなければ、
意味がない。
爺さんが社長になった時、
私に頭を下げて、自分を支えて欲しいと言いました。
その時、分かりました、
どうぞ理想の会社の実現のために
頑張ってくださいと、私も言いました。
そして不思議なことに
私達夫婦は、断絶しながらも
いつの間にか、知らないうちに
共通の信念をもっていることに
気づきました。
それは常に
・本質的なことはなんであるか、
・根源的なことななにであるか、に立ち返り、
判断や決断をすることです。
爺さんの世界は
人間として、企業として、
いかに「まとも」であるかと、
いうことです。
まともとは「真艫」という言葉で、
舟が追い風を受けて海の上を
まっすぐ走る、という意味から来ています。
本質的に、根源的に、そして純粋に
ものごと、事象を歪めないで
まっすぐに生きる。
会社は利益を追及すると同時
人間の生きる場としても
自由を保障し、
多様性を保証する場であらねばならない。
さまざまなる能力の段差
意識の段差、
価値観の段差
思想性の段差を、
●良き生産性という大きなこころざしで止揚しながら、
もっと平たく言うと、
会社とはいろいろな人が、つまり
できる人も、できない人も
個性的な人も、控えめな人も
積極的な人も消極的な人も
あの人もこの人も
さまざまなる人々が
高い理想とこころざしを共にし
それぞれの能力を発揮し、交叉させながら
社会に貢献していく、生産の場である。
その根源にあるのは、
個の尊重であり、
個の平等であり、
個の多様性で、
お互いの信頼が強く結ばれた
●創造の場であることです。
勿論私の世界も同じです。
個々の人間は、
その思想性においては、全くの自由であり、
その自立性と責任における多様性を以て
その創造性を発揮し、
自己実現して生きる。
思えば長い道のりでありました。
しかし、いつの間にか
爺さんと私は別れ道を
それぞれが歩いていきました。
そこには、夫婦でありながら、
寄りかかりも依存も
許されませんでした。
しかしだからこそ、
私は夫婦の不和が原因で傷ついた子供を救い出すために
カウンセリングに出遭い学び、
さらに脳世界を独学し、
辿り着くことができました。
今、爺さんの話を聞きながら、
ほとんどのことが一致します。
社会のことも
企業、ビジネス世界のことも
そして
人間として、どうあるべきかに
ついても。
そして若い頃あんなに会社を敵視し、
人間嫌いであった私も
今は
爺さんの会社の社員さんが
幸福になるようにと
願っています。
人間を愛したいと思っています。
人間は所詮はひ・と・りです。
そしてそれぞれは、自分の道を行くしかありません。
もっと詳しくいうなら、
自分の脳情報という限られた世界を進むしかないのです。
それでもね、
いつも自分を信じ、
自分の心をまっ白にして、
そして
体当たりで生きると
道が拓けてきます。
私は決して頭がいい人間ではありません。
でも、
真っ暗な中でも
自分を手掛かりに、行動しました。
世間にまみえず、常識にとらわれず、
いつもここにあるのは、
自分の心のみです。
自分の心を以て行動する。
行動こそ、創造の源なのです。
さて、明日からまた遠野にゆきます。
早春の遠野を撮りにいきますので、
29日までブログをお休みします。
突然のコメント失礼致します。
ペット依存症で検索しましたら、ヒットしましたので
お邪魔させていただきました。
ところがペット依存症に関してのブログを書いておられたのは
もう7年も8年も前のこと。。
今とても社会問題となっていて
私たちは2年ほど前から『カイヌシさんの学校』を立ち上げたいと思考錯誤してまいりました。
Facebookや私のブログに引用させていただく事は可能でしょうか?
是非お願いしたくコメントさせていただきました。
よろしくお願いいたします。