貴方は誰のために、絵を描いているのか? |
二人のアーティストの個展を見て廻りました。
ところが一人目のアーティストの個展を見にいったところで
その本人と大バトルになってしまいました・・・苦笑!
そのギャラリーでは、
私と同着ぐらいに
彼の個展を取材するメディアの記者がおり、
彼はその記者に話をし始めました。
私はその画家と少し話をしたいと思い、
その取材が一段落するのを
絵を見ながら待ちました。
その話を聞きながら、
最初は、
彼の絵描きとしての姿勢に
なるほど、素晴らしいなあ~と、
勉強になるなあ~と思いながら
絵を見ながら聞いていましたが、
しかし
だんだんそれが、最後には
いかに、自分のが画業が素晴らしく、
そして、それがいかに
鑑識眼のある人達に認められているかという
俗臭がしてきました。
彼の絵はまさに精励刻苦であり、
石を刻むように、絵に取り組んでいるような真剣さがあります。
だから私は、この人はきっと俗性が嫌いであり、
その分、無心に絵に取り組もうとしていることも、
分かりました。
しかし、今の話を聞いているかぎり、
本人は俗性を嫌いながらも
無意識領域では
俗ぶつになりさがっている、という気がしてきて、
ほんとうは、彼の話を聞いてみたいと思い、
その取材がひと段落するのを待っていましたが、
もう帰ろうと思ったとき、
ふっと言葉が浮かびました。
「あなたは誰のために絵を描いているのですか?
それは自分ですか、それとも他人ですか?」と。
そして帰ろうとしながらも、
つい、彼にそれを聞いてしまいました。
※多分私は彼に少しの可能性を見たために
それを聞いたのだと思います。
なぜならもう見込みのない人間なら
私もさっさとスルーしてしまいますから、
だから、無意識のうちに言葉がついてでてきたのだと
思います。
彼は、自分ではなく、他人だと言いました。
しかし私は首を傾げざるを得なく、
「私にはそうとは思えない」と言ったところから、
彼の動揺が始まり、
大バトルになったのです・・・苦笑!
なぜ、私の頭の中にその言葉がうかんだかというと、
こんなに真摯に絵に取り組んでいるにも関わらず、
彼がこの会場で記者に話しているのは
●自分の事ばかりでした。
そこに一人の客(私)がいることなど、眼中にないように
記者に猛烈に自分をアピールしていました。
あゝ、確かに取材も大事でしょう。
しかしもっと大事なのは、彼の絵を見にきているお客様です。
そこには注意も神経も払わず、
無神経に
自分の画業のことばかりを話しているこの絵描きは
一体誰のために絵を描いているのか?
自分の絵を見に来てくれている人へ寄り添うこともなく、
むしろ客を格下にみている画家の姿が見えたからです。
だからつい私の口をついて、
その画家の根源的な問題として
「あなたは誰のために絵を描いているのか?」という
言葉がでたのです。
帰りの電車の中で、
ドストエフスキーの「死の家」を読みながら、
浮かんできたのは、
ドストエフスキーは
いったい誰のために
自分の命を刻みながらも、小説を書いたのかという問いです。
「自分は何のために、誰のために
小説を書くのか。」
おそらく彼はそれを生涯考え続けたと思います。
彼は政治犯として死刑になりそうになりますが、
皇帝の恩赦でシベリアの流刑地に流されます。
しかしそこは犯罪を犯した人間達の世界です。
醜悪で、露骨で、そして、
身勝手なエゴの感情丸出しの人間たち。
かろうじての微かな理性しか通用しないそこで、
彼は、何を見、何を考えたか。
ただそれが、
決して絶望的なものに陥らなかったことは
確かでしょう。
なぜなら、
シベリアから帰還後の作品には、
「罪と罰」を始め、
人間の限界寸前のエゴや救い難い属性を描きながらも、
一筋の微かなる光があるからです。
醜悪なものを見つくした後に見えた光でしょうか。
人間の愚かさや悪を見つくしたからこそ
彼は求め、
見えてきた光でしょうか。
それは優しさだと、
私は思います。
人間の愚かしさや醜悪さの奥の奥の奥にみえる
微かなるものを見ている
ドストエフスキーの、
優しさだと、
思います。
そこに彼の作家としての立ち位置があります。
それは作家としてだけではなく、
人間としての立ち位置でもあります。
私と大バトルした画家の絵には
みごとなカボチャが描いてありました。
それは分厚い殻のような皮に身を包み込んでいる、
カボチャでした。
残念ながら、
その固い皮の下にある、
柔らかくて、優しい甘さの、カボチャの実は
一つも描かれていませんでした。
自分を見る眼差しも、
他者を見る眼差しも、
優しくないとね。
ドストエフスキーの小説にも、
今撮影中の映画の
小玉房子さんのガラス絵にも
茨木のり子さんの詩にも
無名の民衆にむけたその優しさがありますよ。
人間にむけたそのまなざしは
澄んだ水のように
優しいです。
優しいです。

