絵は、ひとをひれ伏せさせたら、オシマイよ!! |
知らないうちに高慢になっていくのかな~。
そういう自分が、実は
見えない人々に支えられ、
知らない人々から、たくさんの恩恵をうけていることを
忘れちゃうのか、
もしかしたら
始めから、そういうことなど頭に及ばないのか。
一昨日私とバトルした画家は、
最初から最後まで、
自分の画論と
自分の作品が高い評価を受けていることばかりを
記者に話していて、
そこには、
もう、俗物になりさがっている自分が
見えないんだね。
私の頭にうかんだ
「貴方は誰のために描いているか?」は
ごくごく素朴な疑問であり、
童話の「王様は裸」だといった子どもと同じもので、
もう高額な値がついて、
そうとう偉くなったその絵描きには、
その周囲では、
そういう言葉を吐く人間が、
一人もいないのかもしれないね。
あゝわたしは、そういう人間にはなりたくないです。
むしろ逆で
人生でつまづく度に
自分の高慢さを思い知らされた。
若い頃の人間嫌いの私は、
他者の存在に対抗する自分ばかりで、
根拠のない不遜なプライドが邪魔しては、
無意識の裡に他者を格下に見て、
ほんとうは、
人が生きることは、
自分以外の無名の多くの人々から、
様々に恩恵をうけながら生きていることに
気づけませんでした。
しかし、
落ちるたびに、墜落するたびに
どこからか、微かなる
「お前は気づかなければならない」という
遠くから、深い深層から、声が聞えました。
聞きたくなければ無視もできるその声に
私は抵抗したが、
最後には自分が折れて、
受入れてきたことの連続でありました。
今もそうよ。
いかんね~、
高慢になったら、
いかんね~。
銀座で個展をやる時も
いつもボロボロの袴と足袋で、
東京には、
バスを乗り継いてやって来ていた。
お金がないから、新幹線には
乗れなかったんだね。
でもね、
とても素敵な爺ちゃん絵描きだった。
多分彼の周囲には
沢山いると思うよ。
絵は買ったそのひとが
毎日眺めては、いいな~と、
こころが洗われて、
孤独が癒されて、
また
明日も頑張ろうってね・・・・。
絵はね、金の額物に入れられ、
壁に掲げられ、
人間がそれにひれ伏したら、おしまいよ。
そう思うと、
遠野の子どもたちが描いた妖怪の絵は
素晴らしいね!
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」での
若いアリョーシャに残した
長老ゾシマのことば、
「神が愛した民衆を愛してください。」
は
いつも私の耳に囁かれている。
私の心の深層には、
この言葉が
鏡のように私を映し出して
私を戒める。
永田松蔵先生の事が書かれて有り、嬉しく思い、ついコメントを書きたくなりました。
永田松蔵先生との出会いは、30年余り前、北九州市に嫁いでおります妹が、実家の新築祝いに、一枚の絵を贈ってくれた時からでした。
瀬戸内海の風景を描いたと思われる、その絵は、素朴で、媚びる所が寸分も無く、その素朴さは、何処までも素朴故に、儂の心を打ちました。
「どしたんなら・・・高かったじゃろぉがい?」と、聞きましたら、近くの画廊で、数万円で買ったと言うのです。
儂は、その事にも驚きました。
儂は、号10万は、するじゃろぉと思ったからです。
で、画家の名前を聞いた処、永田松蔵と言う、年寄りの画家の絵だと言う事でした。
それ以後、仕事で福岡へ行った際、妹から聴いた画廊へ立ち寄り、先生の絵を購入して、画廊の御主人から、先生の為人を伺ったり致しましたし、何度か、先生の個展を訪れて、先生に直接お逢いする機会を得て、お話しを伺ったり致しました。
その後、テレビや雑誌で取り上げられた事も在り、先生の絵も、儂などが気安く購入できぬほど、随分と高額になって行きましたが、お逢いする先生の風貌も為人も変わる事なく、しかし、絵は、素朴さを増した様にも思え、100歳を超えた今もなお、絵に向かう意欲は、衰えていないとの事です。
今、先生は102歳を超え、北九州市の施設に入所されながらも、その歳なりの体力で、描き続けて居られるそうです。
以前、藤田嗣治氏の命日に書いた記事で、幼少の頃、儂に絵を教えてくださった父の友人の画家から、『良い絵と言ぅんは、自分が描きたいモンを、自分が描きたい様に描いた絵じゃ。悪い絵と言ぅんは、人に褒められ様として描いた絵じゃ。』と、言う言葉を、永田松蔵先生は、体現された画家であると感じて居ります。
それにしても、denshinbashiraさんは、いつも辛口なのに、「貴方は誰のために描いているか?」と、何故、少し遠回りな聞き方なさったんじゃろぉ・・・「貴方は何のために描いているか?」と聞いた方が、伝わり易かったじゃろぉに・・・。
場所が場所だけに、余り相手を貶める事も憚られたのでしょうが・・・。・・・つづく⇒
自らの芸術を極めんと志した者が、金に繋がった瞬間、金の為に絵を描き、金と名誉を得た瞬間、天上人にでもなった様に振舞う・・・冴えん事です・・・。
「実る程、首を垂れる稲穂かな」と、言うのが在りますが、実ことも、花咲く事も無かった儂などは、躓いたままで立ち上がろうとする事も無く、底辺で足掻いてばかり居りますが・・・此れは是で、気楽な境涯です。
永田松蔵先生の絵は、「無理をする事はなかろぉ。有るがままでえかろぉ。」と、語り掛けていただいている様で、柔らかい勇気が湧いてくるのでした。
今回は、素敵なお話しをしてくださり、有難う御座いました。
それから、宮沢賢治先生に感じていた、「理解し難い蟠りの様なモノ」を、少し理解させて戴いた、田下啓子女史の書かれた『拝啓宮澤賢治さま』は、儂の愛読書の一つとなりました。
有難う御座います。・・・土師より
コメントをありがとうございました。
そしていつもいつもイイネを下さり、
感謝したおります。
そうですか、
松蔵さんはまだご尊命なのですね。
私も偶然銀座の画廊でお会いしたのですが、
ひと目でその人柄の良さに惹かれました。
絵も衒いがなく、心そのままの
いいい絵でしたね~。
そうなんか~。私のブログ辛口なんですね~、
はじめて知りました…笑!
でも正直に書いてくださってありがとうございます。
また「拝啓宮沢賢治様」を読んでくださり、
とても嬉しいです。
宮沢賢治もごくごく普通の弱さを抱えた人間です。
だからこそ、私は人生の親友だとおもっています。
「あゝいいな せいせいするな
風が吹くし 農具はぴかぴかひかっているし」
私もこんな気分で生きていきたいな~と
思います。
ありがとうございました。