自分のために書かれている言葉を、 探しに来る! |
その絵が有名画家のものだから、とか
高額で取引され、投機対象とした扱われたたり、
自分の自慢や虚栄のために、
仰々しい額ぶちにいれられて飾られて
うんちくを垂れられるようになったら、
おしまいよ、と
私は思います。
つまり
その絵本来の良さではなく、
別の価値で人間をひれ伏せ、
そういう扱いを受けるようになったときから
その絵が死んでいく、ということです。
それは描き手である作家の姿勢が、そうなった時も
もうその作家もおしまい、だと私は思っています。
絵もね、音楽も、そして文学もすべて
それは民衆に対する贈り物だと
私は思っています。
一部の金持や、知識者や、権力者のものではなく、
同じ時代を作る、
圧倒的多数の人々との共感と連帯の中でこそ、
それらは活き活きと生命力をもつのです。
絵を見て、あゝいいなあ~と
こころが洗われたり、
小説や詩や評論を読んで、
あゝ、そうか、と気づいたり、
そういう風に
個人が絵や音楽や言葉と向き合い
そこでなにか光が射したなら、
そんな素晴らしいことはない。
しかし音楽家も画家も詩人も小説家も
生活がありますから、
作品に値段をつけることは当たり前です。
それが少額であろうと、高額であろうと
自分の絵は、こんなに手間や時間をかけ、
全霊で描いたから
高い値段で買ってくださいでも、
いいのですよ。
そして、自分の作品が
人々へのささやかなる贈り物になるなら
それは
なんて素敵なんでしょう!
逆に翻って、それは
おそらく私のブログに来てくださる方は
きっと言葉を探しに来てくださるのだと
思っています。
ご自分のために書かれている言葉を
探しに来られるのだと
思います。
だから私も襟元を正さねばね・・・。
今は 本業の合間に細々と続けています。
卒業後、ある劇画家の先生のアシスタントになり、そこで働きながら勉強をしました。
そこで先生からペンの使い方やデッサンなど・・・いわゆる基礎画力を叩き込まれました。 それがないと、劇画の背景を描くアシスタントの仕事は務まらないからです。
私は漫画家を目指しており、漫画は絵の上手い下手は関係ないと思い込んでいたので、それには抵抗があり、苦労しました。6年ほど働いて、お暇を頂き、独り立ちをさせていただきました。
そのときに自分で気づきました。 他の漫画作品を見て、優れた描き方を自身に取り込んで、物まねではない、自分の技の一つに加えることが出来るようになりました。
我流で描いていたころには それが出来なかったのです。
一人になっても、周りにはいくらでも先生はいる と思えるようになりました。
それともう一つ、 先生はいつも どんなちっぽけな物を描く時も、写真でもいいから実物を見て描けと言っていました。
絵を描く腕が上がると、大抵のものが頭の中だけで描けるようになります。 しかし、この癖がつくと、年を経るうちに、描く絵にも変な癖がつき、最悪、絵が崩れていきます。
顔がゆがんだ絵を描くようになっても、本人は気づきません。ベテランの先生になると、周囲の人も指摘しなくなります。そうやって絵が老いていくのです。
本物を見ながら描くことを続けていれば、自然に自身の「フォーム」といったものが修正されていきます。
今 私は 似顔絵を描く仕事をしていますが、まさに、本物の人間と対峙する作業です。
先生は自身の感性やストーリーを作る力が無いことを認識していらっしゃいました。先生の師匠にあたる原作者と組むことで、ご自身は「技」に特化することを選んだのです。彼の絵は「温かみがない」「人間味がない」などと批評する人が多いのですが、 今の彼の絵を拝見しても、まったくブレも老いもありません。」
努力の人なのです。
一生 私が追い付けない人です。
学生の頃の私の絵を知っている人は、「彼の絵にはぜんぜん染まっていないよ」と言います。 見た目はそう見えるかもしれませんが、私はそうは思っていません。 だからこそ今までまがりなりにも描き続けることが出来たのだと思っています。
描くということも、実は目や指でなく、脳の<臨場性>が
そこに働いています。
脳の中のセンサーが対象物の息吹きを感じ取り、それが微細に絵の中に反映されていきます。
それと同時にその人間の脳の内容も、その絵に翳を落としていきます。だから絵を描く人こそ、自分の意識(心)を無心(空っぽ)状態にして深い集中の中で、生きたモチーフと向き合うことが必要なのだと思います。
良い先生との出会いがあって良かったですね。
1年以上前の記事にコメントしてしまい…すみません。
この記事を読んで、ほんとにそうだ…わたしはこの言葉をみたかった…そう感じて涙が止まらなくて胸がいっぱいで、思わずコメントせずにはいられませんでした。ただただありがございますm(_ _)m
1年以上前の記事にコメントしてしまい…すみません。
この記事を読んで、ほんとにそうだ…わたしはこの言葉をみたかった…そう感じて涙が止まらなくて胸がいっぱいで、思わずコメントせずにはいられませんでした。ただただありがございますm(_ _)m