あの攻撃性は 治ったんじゃろか? |
東京大学入学式での祝辞全文を読んでみました。
なるほどいかにも上野氏らしい、攻撃的祝辞で、
確かに優秀な女性が男性社会で、すんなり働けるかというと
そうでもないし、
さらに男性に、特にコンプレックスに毒されている男性は、
はじめから女性というだけで格下に扱うバカ野郎も
大勢います。
またまだまだ日本は女性の社会進出においては、
後進国かもしれませんね。
ただね逆に、
女性自身が自律的な自覚に欠けていることも
否めません。
でもね、彼女の祝辞は、どこか変だし、
私に言わせたら、
既にわかりきった、単純なことを
なんで
こんなに回りくどく言うのかな~とも
思いました。
東大という天下一の学生として勝ち抜き、
選ばれたとしても、
そうは世の中は甘くない。
受験戦争なんて、
ホントは
多様な価値や経験があるにもかかわらず、
答えのあるテスト競争にに勝ち抜いたという
狭いフレームの中の話であり、
ただそれだけのことですよ。
現実は厳しく、
そこに特別な椅子が用意されているなんて
ありえない話です。
そしてね、
私は彼女のこの一行に、ものすごく違和感感じました。
『あなたたちのがんばりを、
どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。
恵まれた環境と恵まれた能力とを、
恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、
そういうひとびとを助けるために使ってください。』
自分も東大生をも、格上に置いて、
上から目線で、
恵まれない人を下にみている認識としか思えないけど。
恵まれない人々って誰ですか?
では
東大生は恵まれているのですか?
とんでもない、
見方を変えれば、
たかだか、答えのあるテストの受験戦争を勝ち抜いただけであり、
そこに費やしたエネルギーと神経を
他の人は別につかっているだけで、
もしかしたら、
子ども時代や青春時代に体験すべき、大事な、そして
多くの豊かなこと、失敗したり、挫折したりの体験を、
体験し損なっている、偏り人間になっているかもしれませんよ。
むしろ、子ども時代、青春時代に体験すべきことを
体験してない、それこそ貧しい内容の人間かもしれないよ。
まあ上野氏も東大ブランドなんて通用しないよ、
それよりも一人の謙虚なる人間として、
何でも学び、なんでも体験し、人生を自力で乗り越えろ、と
言っています。
その通りですね。
ただ、私は今でも、
若い頃の上野氏の姿を思い出すのですよ・・・苦笑!
もう40年くらい前の話よ。
あるフェミニズムの会合に出たとき、
上野氏もパネラーとして出ており、
まあ、髪をたくさんの色とりどりのリボンで飾り、
原色の派手な服で女王様のように振る舞い、
まるでピストルのように言葉を発射して
上野千鶴子氏をです。
あの攻撃性は
治ったんじゃろか?…笑!
あれじゃ~、
男とか女関係なく、
あんなに全身攻撃的な人間は、
まずは、
敬遠されると思うよ!!
いくら正論を吐いてもサ!
東大生に対して、
アンタたちは、知識や能力はあるけど、
でも、それもたかがしれている。
まずは
謙虚になれ、
そして
世の中のために、力を発揮してガンバレ!
って言いたかったのだろうが、
なんせ演説の中には
今でも、
「謙虚」とか「慎ましく」という言葉は
一つもない。
ほんとはね、東大生も
今回のような、
●高校生の卒業の祝辞レベルのことを言われなくても、
ほんとうに学問を究めたなら、
高い知性と高次な精神をもった人間として
それぐらいはわきまえる知性を持っているもんですが、
現実はそうではないのかな~?
最高学府東大生として、
自分の知力を磨き、
更なる研究に励み、
※大学とはそもそも
高校のように学習の場ではなく、
●研究機関のフィールドなのですからね
人々のために
頑張って欲しいと思います。


「恵まれた環境と能力を恵まれない人々を助けるために…」
という語り口は、いかにも左翼インテリのスタンスという感じがします。
最近SNSでフェミニズムやジェンダーの問題がよく
論争になります。ちょっと感情的になりすぎているのでは
と思う事もよくあります。
ネットでは学生運動の時代や結末を知らない人が殆どで
同じ轍を踏んでいるような方もみます。
私もメディア等で当時の事を知識として知っていますが
肌感覚は解りません。私も女性が生きやすい社会に
なることは望んでいますが…己のスタンスに悩みます。
田下さんから学生運動時代のお話、その結末や失敗も含め
感じておられたこと、伺ってみたいです!