コメントにお答えします。 |
書いてみましょうか。
こんにちは、40年前の上野女史のお話、
「恵まれた環境と能力を恵まれない人々を助けるために…」
という語り口は、いかにも左翼インテリのスタンスという感じがします。
最近SNSでフェミニズムやジェンダーの問題がよく
論争になります。ちょっと感情的になりすぎているのでは
と思う事もよくあります。
ネットでは学生運動の時代や結末を知らない人が殆どで
同じ轍を踏んでいるような方もみます。
私もメディア等で当時の事を知識として知っていますが
肌感覚は解りません。私も女性が生きやすい社会に
なることは望んでいますが…己のスタンスに悩みます。
田下さんから学生運動時代のお話、その結末や失敗も含め
感じておられたこと、伺ってみたいです!
先般書いたのは私が30代の頃の話で、
当時ウーマンリブとかフェミニズム運動とかが
湧きおこってきた時代ですね。
当時の私がほんとうに心惹かれたというか
魅力的に思ったのは
「ブラック イズ ビューティフル」という
黒人女性達の運動です。
もう、掲げたタイトルだけでも、
そこには、自分達に対する誇りがあり
お洒落で、群を抜いて、心に響いた言葉です。
対立するのでもなく、
攻撃するのでもなく、
自分の尊厳をしっかり掲げて
●超越することが、
素敵だな~と思いました。
先般も書きましたが、或るとき
誘われて上野さん達のフェミニズム運動の集会に参加しました。
その時の上野さんの態度が、
もう矢継ぎ早に言葉を連射して、
有無を言わせず相手を攻撃する姿であり、
その服装も、頭にリボンをつけた、
派手派手しいものでした。
まあ、それだけで私は、何だろうこの人達は、と思ったのですが、
さらに、そこで、
レズの女性とお鍋の女性が口論になり、
喧嘩が始まりましたら、
上野氏が、「ヤレヤレ~ッ!」とけしかけるのです・・・・苦笑!
当然会場の雰囲気も、荒々しくなり、
思いました。
「ブラック イズ ビューティフル」
黒は美しい。
黒こそ美しい。
なにも着飾らなくとも、
その存在こそ美しいのですね。
長い男性中心の歴史の中で
女性が差別や蔑視を受けてきたことは、その通りです。
男たちの中には、
女は自分たちが支配するのが当然と思っている
レベルの低い男もいっぱいいます。
だから、制度の上でも、法の上でも、労働のシステムの上でも
その歪みを正していくのは当然のことでしょう。
上野氏たちがそれに尽力されるのは、素晴らしいことだと思います。
しかし一方で、
被害者意識まみれだったり、
体中が攻撃的で、
感情的で、挑戦的であるのは
人として、どうかな~と思います。
「ブラック イズ ビューティフル」の黒人女性たちは、
●自分達を賛歌しています。
それに比べ上野氏達の集会は
男社会に対する否定から入り、
敵意と被害意識が混濁した
精神性の低いものだと、
当時の私は思いました。
こうして70年生きてみると、
私が女として否定されたことは
余り記憶にありません。
以前にもかきましたが、
セクハラを受けてもやり返しましたからね。
むしろ、
男にない、パワーや、
そのはじけ方では、
なんだか男たちには
とても受け入れられた気がします。
私はそれほど幸福ではなかった若き日の結婚生活においても、
その原因を考え続けました。
なぜ、自分は満たされず、
幸福になれない原因は何か?
考え続けた結果、
人間は、男も女も、みんな自分という個を生きている、ということ。
みんな自分のことでせいいっぱいであり、
みんな孤独であること。
その冷厳なる事実を自覚できない者は
他者に対する幻想や依存的願望を持ち、
他人への要求度が高くなります。
しかし、他人への要求度が高くなればなるほど、
それに裏切られたという被害意識や
自分への絶望が大きくなります。
そうではないのですね。
しっかりと、孤(個)である自分を自覚し、
●自分の人生をどう生きるかの脚本を
自分で、書き、
その上で自分も他者も、
●その両方が満たれ、幸せになるには、
どうしたらいいかを
考えるのです。
なんせ人間は考える葦なのですから・・・。
労働や能力に関しては、
自分の能力をいかに研き、
自分の労働を社会へと貢献させるかを考える。
そして私は途中から脳の世界を独学で勉強しましたから、
脳世界こそ、そこに大きな可能性があり、
しかしそれは、
自分で開拓し、磨かなければならないことを
知りました。
他人は~してくれない。
社会は~してくれない。
男は云々、
ということでは、
なにもどうにもなりません。
そうなるとせっかくの自分の脳世界も
活かせません。
しかし、
自分を低レベルに置いている
無意識に潜む他者と対立する<自我世界>をお掃除し、
自分を<絶対化する自我世界>を
いかに自分で叩き潰すかにより、
※自己世界を絶対化するからこそ、
対立がおきるのですよ。
そこに新しい可能性をもった脳世界と能力の世界が
開けてきます。
自分を低くし、
謙虚になり、
他人とその世界を受け入れ、さらに
自分の世界と統合し、
そこに開けてくる、大きくて、広々とした草原に立つ。
フェミニズム運動でいうなら、
男を敵視したり、対立するのではなく、
●自分の母性をいかし、さらに
そこに
●取り込み(つけ加え)統合していくかでしょう。
感情的であるが包容力のある女性世界に
理性的でロジックな男性世界を
統合して(付け加えて)
ますます、大きく、そして面白い自分にしてゆく。
そして最終的には
だれにも依存せず、
自分の中にキリリと自立した自分があること。
その凛とした気迫さえあれば、
バカな男が付け入るスキは、
ありません。
上野氏が指摘した大学医学部の
男子学生優位の採用も、
そういうバカなことをやっている限り、
いずれ滅びるでしょうし、
もうすでに
医学世界は、滅びかけています。
昨年長崎を旅したとき、
私が長年行きたかったシーボルトの記念館にいきました。
なぜなら、私はイネ・シーボルト(楠本稲)さんを
尊敬しているからです。
一葉の「別れ道」で書いたように
どんな環境や運命でも、
現実から逃げず、
自分の<今>を受け入れ、
自分が為すべきことを
為した人間は、
それが女であろうと
男であろうと、
素敵なのです。
以上ですが、
どうでしょうか・・・!
ありがとうございました!
男尊女卑社会と女性の依存心はワンセットだった歴史が
あり、フェミニズムを実践するには男性を攻める前に
まず女性自身が己の依存心を克服する事。
田下さんの文章を拝読してそれが明確に見えました。
男女関わらず今まで一貫しておっしっている事ですね。
思考のヒントを頂けて大変うれしく思います。
上野氏の発言の正しさやディベートの上手さに感心
する一方で、もやもや感や血の通っていない冷たさ
も感じていたのでその感覚は大事にしようと思います。
フェミニストにも色んな立場の方々がおられるので
それこそ、関わる人は選ばなくてはいけないですね。
それにしても一番勇気をいただいたのは
「男にない、パワーや、そのはじけ方では、
なんだか男たちにはとても受け入れられた気がします。」
の一文です。私も男性相手にその場で言い返すので
その分あまり恨みがありません。
なんだかもっと大きな自分になろうという
気になりました!
連休バタバタしていたので、ご感想が今になってしまった
事お許しください。改めて本当にありがとうございました!