高村智恵子と光太郎、その1、 |
なんと私が30年前に書いた、高村智恵子さんについての
取材です。
驚いちゃうよね!
だって30年も前のことですから。
もう私もそうとう忘れてる・・・・苦笑!
それでも、少しずつ思い出しながら、
当時の資料や、
智恵子さんが作った紙絵の作品の写真を
見直してみました。
あゝやはり智恵子さの紙絵は素晴らしいです。
そこにはドロドロしたものが透過され、
ただひたすらの少女(乙女)の心が映し出されています。
いろなことがあったけど、
そんな中で
智恵子さんは心をやられてしまったけど、
最終的に辿り着いたのは、
こんなに純粋で、美しい世界だったのかと、
再度、思います。
そこで、再び智恵子さんについて、
書いておこうかな~と思います。
ただ智恵子さんも難しいひとで、
さらに同性からみると
とても嫌な面も持って女の人ですから、
そこもしっかり見逃さずに、書きますよ。
高村光太郎と智恵子のことを
なぜ私が興味をもち、書こうと思ったかについては。
私はどんな人間も、人間という限界の中でいきており、
その限界とは、
どんな人間も深層心理の不安や怯えや恐れや
さらに植え付けられたコンプレックスや、
それが反転した欲望の世界を
生きざるを得ないと、言うことです。
それとともに、
どんな人間も、自分の脳(頭)の中には
幸せを連想したり、
高次の高邁な行動に対する
温かい心や、それに感動する心を持っていると
いうことです。
※ただ、その度合いについては
大きな個人差がありますが。
人間はそのアンビバレンツな脳の感情の働きの中を
もがきながら生きていると、
私は考えています。
というのは、
私は子供頃から、文学的な本ばかり読まされて
育ちましたので、
物心ついた時には、
文学世界の中にどっぷりとつかっており、
人間の内面を深く洞察する、ということは
私にとっては当然のことでした。
人間を考える時は、ごくごく普通にその内面から
光や、焦点を当ててみるという、
私の脳回路ができてしまいました…笑!
だからこそ、人間の内面に起きる心というものが、
一筋縄ではなく、様々な多面的な現象作用としてあることを
かなり若い頃から、承知していました。
どんな優れた人でも、たとえば
偉人と云われるひとも、
天才と呼ばれるひとも
私は考えます。
たとえば、
皆さんがつい、幻想化したり、
神格化してしまった、宮沢賢治についても、
彼も、しごく普通の人間であり、
たしかにバツグンの頭の良さを兼ね備えた青年ではありましたが、
しかしその心も、不安や怯えやコンプレックスの中にあること
その反対に観念的な思い込みも激しいことなどを
洞察してしまうのです。
それを詳しく書いたのが、
「拝啓宮沢賢治様」です。

そして30年前の若い日にであった高村智恵子のことを書いた
「智恵子抄」を読んだ時にも、
あまりにも<女>を幻想化してしまっている
高村光太郎とその信奉者たちに、
幻滅を感じてしまいました。
いうことに興味を持ち、
調べていきましたら、これがもうスゴイ!!
天真な智恵子の裏には
自尊心の塊であり、
他の女達に強烈な対抗心をもつ
傲慢な智恵子の姿が見えてきました。
でもね、
私は、それでいいと思いました。
人間だもの、
そうそう清らかになんかいられませんよ、どんな女もね。
若き日の私には、
まさに、その、いかにも人間である一人の女を
こうも祭り上げ、
そういう風に女を、理想化したり、幻想化して
賛美する光太郎にも、
「智恵子抄」には書かれなかった
●人間智恵子を書いてみようと
考えたのです。
その原案をある編集者に話しましたら、
すぐ原稿依頼のOKがでました。
そしてあっという間に300枚近い原稿を書きあげたのですが、
さらに編集から、
一人称の智恵子を書けないか、という依頼があり、
では書いてみましょうということで、
書いたのが
「原色の女」~もう一人の智恵子抄~です。
今、またこうして改めて、智恵子と光太郎を思い出してみると
若い時分には見えなかった二人の姿も
今回は、その視点も入れて、



私、若い頃に「原色の女」を読んでいました。しかし、恥ずかしながら、著者名をすっかり忘れていて、それがdenshinbashira さんその人であることを今まで気付きませんでした。あのころのお写真も当然今とは違いますから(ごめんなさい)。
読んだときに、 僭越ながら、気性の激しさを文章から感じましたが、その前に智恵子自身が書いていた日記風の文章を読んだことがあったので、それに通ずる空気も感じました。
十和田湖畔の乙女の像・・・光太郎が最後に造った知恵子像。 衝撃的でした。
これ以上書くと、邪魔をしてしまいますので、我慢です。
智恵子はラグーザお玉のことを知っていたのでしょうか。私の中に今も残る謎です。