高村智恵子と光太郎、その4智恵子の実家の事情! |
余り気分がいいのものではなく、
筆が進みません。
智恵子の実家は、
福島県二本松の造り酒屋でありましたが、
老舗というではなく
いわゆる成りあがりの成金です・・・苦笑!
※成金とまで書くには訳があり
成金ならでのマイナス行動が
最終期には実家の命とり
なってしまいます。
智恵子のお婆さんとお爺さんが
懸命に働いて、手に入れたのが<米屋>という造り酒屋であり、
<米屋>は花霞というお酒が当たり、
ドンドンお金持ちになってゆきます。
まあ、お爺さんとお婆さんの関係も
お婆さんが茶屋の女中をしていて結ばれたものであり、
越後に妻や子供がいたらしいのですが、
それをお婆さんが・・・・したということです。
智恵子のお母さんはいわゆる私生児ですが、
ことです。
しかしそれでも二人の苦労と努力によつて
<米屋>は大金持になってきました。
お金持ちになったのは良かったのですが、
智恵子のお母さんの代になると
そこに傲慢と不遜なものが生まれ、
特にお母さんの評判はすこぶる悪いです。
威張って君臨しており、
派手な着物を着て見せぶらかしたり、
さらには剥き出しの支配欲や感情で
周囲を睥睨していたようです。
※このお母さんの虚栄心は、
光太郎と結婚する前の智恵子さんにも
若干見え隠れしている気がします。
それが田村俊子と遊び歩いている頃の
それが消えて、
セーターにズボンという風に、
とても慎ましくなっていきました。
お婆さんもお母さんも
女中や子守りなどの下積みのときに
いじめられたり、バカにされたりの反動で
そうなったのかもしれませんが、
しかしその知性のなさや教養のなさが
裏目、裏目にでてしまいました。
特に長男に対しての、
独占欲というか溺愛というか、
そのことが遠からずの原因で
<米屋>は倒産してしまうのです。
結局
長男啓助はグレてしまいます。
母親に全支配されている自分に
絶望したのかもしれませんね~。
更に父親の今朝吉さんが亡くなったあと、
彼が<米屋>を継ぐのですが、
今度は放蕩を始めます。
商売はそっちのけで
二本松中の芸者を集めては、
大宴会で湯水のようにお金を
ばらまきます。
さらに啓助は三度も結婚するのですが。
その結婚は悉く破綻していきます。
そこにも
母親の影が大きく支配しています。
お母さんは、
息子の最初の結婚の時、
その初夜に、
息子とお嫁さんの間に
自分の布団を敷いて寝たという、
ええっ、まさかという
エピソードもあります。
しかしそれがほんとうかどうかは分かりませんが・・・。
恩徳な光太郎も智恵子の母親に対しては、
頭が変なんじゃないか、とつい
口走っています・・・苦笑!
まあ、それくらい専横に
君臨していたと
言えるのでしょう。
しかし当然のごとくお店は傾いていきます。
破産の原因は、二本松銀行が倒産したこと、
さらに支配人が繭の相場に手をだして
店のお金を使いこみました。
<米屋>は、
なにもかもが絵に描いたように
破綻していきました。
そのことがどんなに智恵子さんの肩や心に
重い鎖となってのしかかったかは、
もうお分かりですね。
そして智恵子さんはその実家のことを
どれだけ正直に光太郎に話せたのでしょうか・・・?
実は実家が破産して、
お母さんや兄弟が東京にでてきましたが、
智恵子さんはそういうことを
光太郎には話してはいないふしがあります。
内緒でかれらと手紙やお金のやりとりをしていたふしが
あるのです。
もう皆さんはお分かりだと思いますが
智恵子さんは高い気位の中にいた人です。
負けん気が強く、
おそらく光太郎の妻になったことで
他の女性達の羨望としての自分を
意識していたかもしれません。
多分意識していたと思います。
そして実家のはぶりの良さも
彼女のセレブ意識を支えていたと
思います。
当時は高価であり、
庶民の手に入らなかった自転車に乗り
二本松を颯爽と走っていたという
智恵子女史の姿があります。
その自分の土台であるお金持ちの実家が
破産したのですから。
だからその心中はもう、
荒波に呑まれる破船のように
穏やかではなかったと思います。
さらにもう一つ
その心中で
彼女にとって、
大きな不安となってのではないかと思われるのが
光太郎との結婚生活です。
それはいちおう結婚をしましたが、
それも内妻(同棲)というもので、
籍にいれてもらえたわけでは、
なかったことです。
光太郎と智恵子さんは
お互いを時代の前衛として自己設定しており、
結婚するということを
お互いの自律をベースにした対等のものとし、
それまでの結婚制度ではなく
新しい男女の結びつきとして、
一緒に暮らすのではなく、
それぞれが別々に暮らすという
<別居結婚>という形を取りました。
だから智恵子さんは、高村の籍には
入れてもらえず。。。。
まあ、私はあえて入れてもらえずと書きましたが、
表面的には二人の合意の上で、
そういう結婚の形をとったのでしょうが、
それがほんとうに
智恵子さんの真底の真意であったかは、
はなはだ怪しいと考えています。
例えば、日本女子大学校での同窓、
平塚らいてうさんなら
それは彼女の意志であろうと思いますが、
智恵子さんはどうかな~???
智恵子さんの内面世界は
自分でその理念世界を構築するほどの知性力が
あったかどうかは怪しいです。
むしろ、智恵子さんは
夢見る少女のようであり、
だからこそ、
青鞜の表紙絵は描きましたが、
その後、青鞜には参加しませんでした。
智恵子さんが妻として
高村の籍に入れてもらったのは
彼女の発病後です。
まあ、そこは光太郎が、
さすがに気づき、
誠実であったのだとは
思いますが。
先般も書きましたように、
女ごころに疎く鈍い光太郎さんの
●うかつさではなかったかと
思いますよ・・・・トホホ!
次回は
智恵子さんの本心というか、
新しい女としての限界というか
そのあたりと
智恵子さんの自殺未遂について
書いてみようと
思います。