2019年 05月 02日
高村智恵子と光太郎、その5、智恵子さんの絶望! |
智恵子さんの発病については、
それがもともと遺伝的なものなのか、
それとも後天的な原因で発病したのかは、
分かりません。
ただ智恵子さんの子供時代には
ぶつぶつと独り言を言っていたようなので、
もしかしたら先天的な要因があったかもしれません。
ただ、その4でもかきましたが、
実家は大変なお金持ちではありましたが、
内実の知性や教養はとても低い
ものでしたから、
智恵子さんの東京行きと日本女子大学校への入学は
その実家の、
次の勲章として、
つまり上流階級になることを
託されたかもしれませんね。
だから智恵子さんは何がなんでも
有名人の光太郎を手に入れたかったかも・・・?
しかし智恵子さんの実体は、
津田清風氏が証言しているように、
着物の裾から真赤な長橋伴をちらつかせながら
大奥の女中よろしく着物の裾を
白い足に覆いかぶさるように
ゾロびいて、
そろり、そろりとお能がかりのように
歩いて、
道行く人を振り返らせた、というのです。
さらに
男装よろしく、襟をたてたコバルト色の長いマントを
なびかせて歩いたりと
とても深窓の令嬢、両家の子女にはみえません。
むしろ、今でいうヤンキーのように
見えますよ。
智恵子さんは、
とかく目立ちたがりやでもありましたが、
その一方で、言葉はいつも語尾が曖昧で
聴きとりにくく、
人とは話す時は視線を合わせない、という
両極端な人格が同居して
それぞれの局面で顔を出すというふうでも
あったようです。
目立ちたがりで奔放な智恵子さんと仲良しであり、
一部の人達には
同性愛ではないかとも疑われた
田村俊子との関係は、
もしかしたらそうかもしれませんが、
私には
むしろ、智恵子さんの中の
チャイルドが、
東京に来て実家からも解放されて
悪童よろしく俊子さんと遊び歩いて
やりたい放題をやっていたと
思えます。
実家や田舎での
厳しい監視の目もなく、
ハレハレの東京で、
新しい芸術の油絵を描く自分は
先進的な、アーティストのはしくれでもあり、
俊子さんは女流作家のたまごでもあるという
過剰な自意識のもと、
二人ともが、ビンビンに目立つ格好をして
衆目の注目を引く快感の中
やりたい放題で遊んでいたな~と
思います。
港横浜に誰かを見送りにきて
レストランに入り、
その頃はまだ珍しいかったトマトを大量に注文して、
驚いている店員を、
これ見よがしにむしゃむしゃ食べたというエピソードなどは、
まあ、ギャルというか
はじけちゃっている女の子でも
あったのでしょう。
まあ一見大人しそうで、
実は短刀や爆弾を懐に入れている
不思議な女の子。
或るときにはアッというくらい
大胆な言動をする女の子。
夢見がちな瞳と
何とも言えない
妙にはかない色気がある智恵子さんを
今までにはないタイプの女として、
さらに
自分の芸術性を引導してくれる女と
光太郎が大いに勘違いをしたのは
ありうることです。
ただ、
編集者の山本有紀乃さんも書いておられるが、
どうみても、結婚後の智恵子さんは
光太郎の母親的位置で、
光太郎はその大きな愛に包まれたいと、
勘違いをしている。
つまり光太郎は当時の男にしては
家父長的な権利を振りまわさず、
むしろ、女性の人格を尊重する、稀なる男子でありましたが、
光太郎は作品ができると一番に智恵子さんに見せました。
それはまるで幼い子供が、
母親にみせるようでもありますよ。
例えば、光太郎の詩「人類の泉」の中での
智恵子さんへの賛美と依存と密着は、
もう、びっくりするくらい大仰な比喩であり、
この男、なんだろうと
女の私は思います・・・苦笑!・・トホホ!
「人類の泉」 高村光太郎
世界がわかわかしい緑になつて
青い雨がまた降つて来ます
この雨の音が
むらがり起る生物のいのちのあらはれとなつて
いつも私を堪らなくおびやかすのです
そして私のいきり立つ魂は
私を乗り超え私を脱れて
づんづんと私を作つてゆくのです
いま死んで いま生まれるのです
二時が三時になり
青葉のさきから又も若葉の萠え出すやうに
今日もこの魂の加速度を
自分ながら胸一ぱいに感じてゐました
そして極度の静寂をたもつて
ぢつと坐つてゐました
自然と涙が流れ
抱きしめる様にあなたを思ひつめてゐました
あなたは本当に私の半身です
あなたが一番たしかに私の信を握り
あなたこそ私の肉身の痛烈を奥底から分つのです
私にはあなたがある
あなたがある
私はかなり残酷に人間の孤独を味つて来たのです
おそろしい自棄の境にまで飛び込んだのをあなたは知つて居ます
私の生(いのち)を根から見てくれるのは
私を全部に解してくれるのは
ただあなたです
私は自分のゆく道の開路者(ピオニエエ)です
私の正しさは草木の正しさです
ああ あなたは其を生きた眼で見てくれるのです
もとよりあなたはあなたのいのちを持つてゐます
あなたは海水の流動する力を持つてゐます
あなたが私にある事は
微笑が私にある事です
あなたによつて私の生(いのち)は複雑になり 豊富になります
そして孤独を知りつつ 孤独を感じないのです
私は今生きてゐる社会で
もう萬人の通る通路から数歩自分の路に踏み込みました
もう共に手を取る友達はありません
ただ互に或る部分を了解し合ふ友達があるのみです
私は此の孤独を悲しまなくなりました
此は自然であり 又必然であるのですから
そして此の孤独に満足さへしようとするのです
けれども
私にあなたが無いとしたら-
ああ それは想像も出来ません
想像するのも愚かです
私にはあなたがある
あなたがある
そしてあなたの内には大きな愛の世界があります
私は人から離れて孤独になりながら
あなたを通じて再び人類の生きた気息に接します
ヒユウマニテイの中に活躍します
すべてから脱却して
ただあなたに向ふのです
深いとほい人類の泉に肌をひたすのです
あなたは私の為めに生まれたのだ
私にはあなたがある
あなたがある あなたがある
どうですか?
おっかね~!!・・・苦笑!
もう私なら一目散に
こんな甘ったれ男からは
逃げます!…苦笑!!
まあ、結婚前の戀愛絶頂期のことですから
まあ、仕方ないかもしれませんが
スゴイ!
スゴイ激しい思い込み~・・・・!
あゝ智恵子さん、
こんなものを負わされていたのですね。
前回にも書きましたが、
智恵子はあくまでも内妻の位置であり、
籍には入っていません。
そして自分の後ろ盾であった実家は
倒産し、
末の弟は、乞食まがいのクズ拾い屋まで
落ちぶれました。
山本有紀乃さんによると
その時でさえ、
智恵子は自分の窮地を光太郎に
訴えもせず、話もしませんでした。
そして反対に智恵子さんの中に
ふつふつと、経済力のない女の不安が
湧いており、
だからこそ、智恵子さんは、今度こそ、
油絵を描いて、換金しようと、初めて決意する。
この頃実家に出した智恵子さんの手紙には
沸々と自分に経済力がないことの
危機感が書いてあります。
そして、残念ながら智恵子さんには
売れるほどの絵は描けませんでした。
そんな中の一年後に
買ってきた果物を静物画風に配置し、
イーゼルには真新しいキャンバスを架けて、
睡眠薬を飲んで自殺を図ります。
どうですか、
なんとなく智恵子さんの絶望が
わかりませんか・・・。
そして、やっと
智恵子さんという人間の
智恵子さんの心にです。
もう、遅いです。
もう智恵子さんは、どんどん狂気の中へと
入り込んでしまいました。
次回は、
智恵子さんが、思い込み、思いつめた
光太郎との芸術的生活とは
どんなものであったかから
書いていこうと
思います。

咲きこぼれてきた、ナデシコです。
それがもともと遺伝的なものなのか、
それとも後天的な原因で発病したのかは、
分かりません。
ただ智恵子さんの子供時代には
ぶつぶつと独り言を言っていたようなので、
もしかしたら先天的な要因があったかもしれません。
ただ、その4でもかきましたが、
実家は大変なお金持ちではありましたが、
内実の知性や教養はとても低い
ものでしたから、
智恵子さんの東京行きと日本女子大学校への入学は
その実家の、
次の勲章として、
つまり上流階級になることを
託されたかもしれませんね。
だから智恵子さんは何がなんでも
有名人の光太郎を手に入れたかったかも・・・?
しかし智恵子さんの実体は、
津田清風氏が証言しているように、
着物の裾から真赤な長橋伴をちらつかせながら
大奥の女中よろしく着物の裾を
白い足に覆いかぶさるように
ゾロびいて、
そろり、そろりとお能がかりのように
歩いて、
道行く人を振り返らせた、というのです。
さらに
男装よろしく、襟をたてたコバルト色の長いマントを
なびかせて歩いたりと
とても深窓の令嬢、両家の子女にはみえません。
むしろ、今でいうヤンキーのように
見えますよ。
智恵子さんは、
とかく目立ちたがりやでもありましたが、
その一方で、言葉はいつも語尾が曖昧で
聴きとりにくく、
人とは話す時は視線を合わせない、という
両極端な人格が同居して
それぞれの局面で顔を出すというふうでも
あったようです。
目立ちたがりで奔放な智恵子さんと仲良しであり、
一部の人達には
同性愛ではないかとも疑われた
田村俊子との関係は、
もしかしたらそうかもしれませんが、
私には
むしろ、智恵子さんの中の
チャイルドが、
東京に来て実家からも解放されて
悪童よろしく俊子さんと遊び歩いて
やりたい放題をやっていたと
思えます。
実家や田舎での
厳しい監視の目もなく、
ハレハレの東京で、
新しい芸術の油絵を描く自分は
先進的な、アーティストのはしくれでもあり、
俊子さんは女流作家のたまごでもあるという
過剰な自意識のもと、
二人ともが、ビンビンに目立つ格好をして
衆目の注目を引く快感の中
やりたい放題で遊んでいたな~と
思います。
港横浜に誰かを見送りにきて
レストランに入り、
その頃はまだ珍しいかったトマトを大量に注文して、
驚いている店員を、
これ見よがしにむしゃむしゃ食べたというエピソードなどは、
まあ、ギャルというか
はじけちゃっている女の子でも
あったのでしょう。
まあ一見大人しそうで、
実は短刀や爆弾を懐に入れている
不思議な女の子。
或るときにはアッというくらい
大胆な言動をする女の子。
夢見がちな瞳と
何とも言えない
妙にはかない色気がある智恵子さんを
今までにはないタイプの女として、
さらに
自分の芸術性を引導してくれる女と
光太郎が大いに勘違いをしたのは
ありうることです。
ただ、
編集者の山本有紀乃さんも書いておられるが、
どうみても、結婚後の智恵子さんは
光太郎の母親的位置で、
光太郎はその大きな愛に包まれたいと、
勘違いをしている。
つまり光太郎は当時の男にしては
家父長的な権利を振りまわさず、
むしろ、女性の人格を尊重する、稀なる男子でありましたが、
やはり結婚後は、女の包容力に甘えている。
女はそんなに大きくも、強くもないよ、光太郎さん!
光太郎は作品ができると一番に智恵子さんに見せました。
それはまるで幼い子供が、
母親にみせるようでもありますよ。
例えば、光太郎の詩「人類の泉」の中での
智恵子さんへの賛美と依存と密着は、
もう、びっくりするくらい大仰な比喩であり、
この男、なんだろうと
女の私は思います・・・苦笑!・・トホホ!
「人類の泉」 高村光太郎
世界がわかわかしい緑になつて
青い雨がまた降つて来ます
この雨の音が
むらがり起る生物のいのちのあらはれとなつて
いつも私を堪らなくおびやかすのです
そして私のいきり立つ魂は
私を乗り超え私を脱れて
づんづんと私を作つてゆくのです
いま死んで いま生まれるのです
二時が三時になり
青葉のさきから又も若葉の萠え出すやうに
今日もこの魂の加速度を
自分ながら胸一ぱいに感じてゐました
そして極度の静寂をたもつて
ぢつと坐つてゐました
自然と涙が流れ
抱きしめる様にあなたを思ひつめてゐました
あなたは本当に私の半身です
あなたが一番たしかに私の信を握り
あなたこそ私の肉身の痛烈を奥底から分つのです
私にはあなたがある
あなたがある
私はかなり残酷に人間の孤独を味つて来たのです
おそろしい自棄の境にまで飛び込んだのをあなたは知つて居ます
私の生(いのち)を根から見てくれるのは
私を全部に解してくれるのは
ただあなたです
私は自分のゆく道の開路者(ピオニエエ)です
私の正しさは草木の正しさです
ああ あなたは其を生きた眼で見てくれるのです
もとよりあなたはあなたのいのちを持つてゐます
あなたは海水の流動する力を持つてゐます
あなたが私にある事は
微笑が私にある事です
あなたによつて私の生(いのち)は複雑になり 豊富になります
そして孤独を知りつつ 孤独を感じないのです
私は今生きてゐる社会で
もう萬人の通る通路から数歩自分の路に踏み込みました
もう共に手を取る友達はありません
ただ互に或る部分を了解し合ふ友達があるのみです
私は此の孤独を悲しまなくなりました
此は自然であり 又必然であるのですから
そして此の孤独に満足さへしようとするのです
けれども
私にあなたが無いとしたら-
ああ それは想像も出来ません
想像するのも愚かです
私にはあなたがある
あなたがある
そしてあなたの内には大きな愛の世界があります
私は人から離れて孤独になりながら
あなたを通じて再び人類の生きた気息に接します
ヒユウマニテイの中に活躍します
すべてから脱却して
ただあなたに向ふのです
深いとほい人類の泉に肌をひたすのです
あなたは私の為めに生まれたのだ
私にはあなたがある
あなたがある あなたがある
どうですか?
おっかね~!!・・・苦笑!
もう私なら一目散に
こんな甘ったれ男からは
逃げます!…苦笑!!
まあ、結婚前の戀愛絶頂期のことですから
まあ、仕方ないかもしれませんが
スゴイ!
スゴイ激しい思い込み~・・・・!
あゝ智恵子さん、
こんなものを負わされていたのですね。
前回にも書きましたが、
智恵子はあくまでも内妻の位置であり、
籍には入っていません。
そして自分の後ろ盾であった実家は
倒産し、
末の弟は、乞食まがいのクズ拾い屋まで
落ちぶれました。
山本有紀乃さんによると
その時でさえ、
智恵子は自分の窮地を光太郎に
訴えもせず、話もしませんでした。
そして反対に智恵子さんの中に
ふつふつと、経済力のない女の不安が
湧いており、
だからこそ、智恵子さんは、今度こそ、
油絵を描いて、換金しようと、初めて決意する。
この頃実家に出した智恵子さんの手紙には
沸々と自分に経済力がないことの
危機感が書いてあります。
そして、残念ながら智恵子さんには
売れるほどの絵は描けませんでした。
そんな中の一年後に
買ってきた果物を静物画風に配置し、
イーゼルには真新しいキャンバスを架けて、
睡眠薬を飲んで自殺を図ります。
どうですか、
なんとなく智恵子さんの絶望が
わかりませんか・・・。
そして、やっと
やっと光太郎は、気づいたのかな~、
智恵子さんという人間の
深層の心理が。
すなわち
自分の無力感に追い詰められて
自我が瓦解しそうになっている
智恵子さんの心にです。
もう、遅いです。
もう智恵子さんは、どんどん狂気の中へと
入り込んでしまいました。
次回は、
智恵子さんが、思い込み、思いつめた
光太郎との芸術的生活とは
どんなものであったかから
書いていこうと
思います。

智恵子さんを思うと、だんだん筆がにぶってくる私がいます。
by denshinbashira
| 2019-05-02 03:56
| 高村智恵子と光太郎
|
Comments(1)
おはようございます。
かなり前、記念館になっている智恵子の実家を見に行ったことがあります。 中二階の女中部屋も再現されていて、往時の勢いを偲ばせます。 破産してからも「しもたや」として建物が残っていた(昭和30年代)ため、復元が容易だったと思われます。
かつて二人が見た安達太良山と阿武隈川の景色も季節が良かったこともあって、とても美しかったです。
人それぞれ、宝物のような風景があるのだと感じました。 賢治には岩手山。
私には 八甲田山です。
かなり前、記念館になっている智恵子の実家を見に行ったことがあります。 中二階の女中部屋も再現されていて、往時の勢いを偲ばせます。 破産してからも「しもたや」として建物が残っていた(昭和30年代)ため、復元が容易だったと思われます。
かつて二人が見た安達太良山と阿武隈川の景色も季節が良かったこともあって、とても美しかったです。
人それぞれ、宝物のような風景があるのだと感じました。 賢治には岩手山。
私には 八甲田山です。
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