2019年 05月 03日
高村智恵子と光太郎、その6、光太郎との芸術的生活とは? |
「巣籠もった二つの魂の祭壇。
こころの道場。並んだ水晶の壺の如く、
よきにせよ不可にせよ、
掩うものなく赤裸で見透しのそこに塵芥をとどむるをゆるさない。
それ故、清らかなるものは、清らかなるものに膏を沃ぎ(そそぎ)
深められ掘り下げられるべき、内の世界
自らの性情と仕事に対し、
血をもつてむかふ。
それ故ここに根ざす歓喜と苦難とは、
さらに新しく恒に無尽に、私達の愛と生命を培う。
またそれ故、
技巧や修辞の幻滅、
所謂交互性の妥協、
打算的の忍従、
強要された貞操、
かかる時代の忌まわしき陰影は、
私達の巣にはかげささない。
牽引されず、自縄しない自由から、
自然と湧き上がるフレッシュな愛に、
十年は一瞬の過去となって、
その使命に炎をなげる。
峻厳にして恵まれたこの無窮への道に、
奮い立ち、そして敬虔に跪く私。
これは智恵子さんが
光太郎との生活について書いたものです。
皆さんの感想はいかがですか?
特に女性の方はどうでしょうか・・・?
●私の分析
まず「巣籠もった二つの魂の祭壇。」
という言葉に注意します。
つまり二人はそれぞれ巣籠り、
孤立している。
交じあってはいない。
さらに魂の祭壇である。
祭壇=神格化した理想世界に、
二人がいるということですね。
ここに自分達を神格化する、
●恐ろしいほどの自我上位意識や
●自分達を絶対化する意識が、
見られます。
ただならない雰囲気です。
「こころの道場。並んだ水晶の壺の如く、
よきにせよ不可にせよ、
掩うものなく赤裸で見透しのそこに塵芥をとどむるをゆるさない。」
これも恐ろしいですね~。
塵芥をとどむるを、
ゆるさない、のですから。
●スゴイ禁止令です。
そして、
並んだ水晶の壺、つまり二人は
水晶のように完成され、ツボに閉じ込められ、
さらに
●夫婦としては飾り雛のように
並んでいる。
ほんとにそうだったんでしょうかね~。
まあ、智恵子としては、そうありたいと
願っていたかもしれませんが。
もともと光太郎と智恵子とは
知性や知能の段差があり、
智恵子は光太郎には、
その知性も教養の上でも、
かなわなかったとおもいますが。
光太郎に賞賛されて
彼の世界にマインドコントロールされてしまった智恵子さんは
ナルシストですから、
自分をまるで光太郎と同質の人間であるかのような
自己幻想をもったかも、しれません。
それが水晶のように透きとおり、
二人の心は赤裸であり、塵やゴミで濁らせない。
つまり
二人の関係は、
常に純粋で透明にすきとおっていなければならない。
嘘や隠し事を許さない、と
強迫化しています。
人間の心の中なんて、ゴミや塵だらけなのに、
不純で偽善だらけなのに、
それを隠すことすら許されない。そして、
自らの性情と仕事の血をもって向かう。
すごい強迫です。恐ろしいです。
「技巧や修辞の幻滅、所謂交互性の妥協、打算的の忍従、
強要された貞操、
かかる時代の忌まわしき陰影は、
私達の巣にはかげささない。」
この中の強要された貞操とは
女達が男から貞操を強要されているが
私は自由だと、いいたいのでしょうが。
じゃ~、光太郎の貞操も自由だったの?というと
●智恵子さんはそれを許容したのかしらね~?
そして。
「かかる時代の忌まわしき陰影は、
私達の巣にはかかげさせない。」
つまり自分たちは新しい時代をつくる前衛的存在である、
という
自負と優越感と自己呪縛です。
「牽引されず、自縄しない自由から、
自然と湧き上がるフレッシュな愛に、
十年は一瞬の過去となって、
その使命に炎をなげる」
このあたりの、
牽引されず、自縄しない自由とは、
自発的でかつ縛らないということを
少なくとも智恵子さんは懸命に守ろうとしたのでしょうか?
●ほんとうは光太郎を独占したいのにも関わらず。
さらに
ほんとうは
光太郎に助けてもらいたかったと思いますが、
それができない。
「十年は一瞬の過去となって、
その使命に炎をなげる」
なるほど、
彼らの結婚は
●使命であり、
炎のように激しいかったのですね。
私は読むだけで疲れます。
智恵子さんは、自分達の結婚生活を
上記のように理想に設定し、
思い込み、
少なくとも光太郎の性格からして、
これが表面だけ、口先だけの事とは思えません。
むしろ、智恵子さんは
光太郎の言動から、
本気でこう思い込んだのではないかと
思われます。
その呪縛の中で
懸命にがんばったのではないでしょうか。
しかし、もうここまでくると、それは
狂気です。
こうあらねばならない、という
強迫観念の毒が
彼女の体中に廻り、精神を犯しているとしか
思えません。
生活なんて、さらに家族なんて、
自分の至らない所、弱いところ、さらに
アホで間抜けで、どうしようもなく
だらしないところを共有する場(フィールド)であり、
外で緊張してきた自分が
一気にほどける場です。
こんなに緊張し、肩肘をはっていたら
生きていけませんよ。
続きませんよ。
もう頭(観念)が先行し、
彼女をぐるぐる巻きに縛っています。
まれで呪詛のようです。
もしこういう呪詛をうけていたなら、もう
人間としては、追い詰められるしかない、
です。
これを読むかぎり、
実家は破産しても
また破産した自分の母親や兄弟が彼女に依存しても、
それを光太郎には話せないでしょうね~。
なぜなら、実家の現状は俗悪極まりないのものですから。
でもね、
私から見ると、
光太郎は実はほんとうは、優しいお人よしです。
もし智恵子さんが心を開いて相談したら、
きっと力になってくれたと思います。
しかし、この頃の智恵子さんの手紙には、
光太郎に身内の事がバレることを恐れてはいても、
彼が力になってくれるとは、
まったく考えていません。
なぜだろう?
つまり、この夫婦は
見せかけだけが芸術的理想の夫婦で、
ほんとうの心は通じ合っていないのです。
夫だけが、そこに安住しており、
彼の見えない所で妻の病理が進むという、
その内実は、砂上の楼閣のように危い。
智恵子さんは、
結婚後はほとんど家に
閉じこもっていたという。
もしかしたら智恵子さんは
幸せではなかったのではないでしょうか。
あの俊子さんと遊び歩いていた智恵子さんは
何処に行ったの?
それが光太郎の詩の上では、
いかにも熱烈に愛された女(人)のようであり、
彼を精神の放浪から救った女神のようであり、と
そこには男としての身勝手な
女への依存と幻想が
嫌というほど書いてあります。
おそらく、
光太郎に欠けていたのは、
智恵子さんの未熟さや弱さに対する
深い洞察です。
光太郎が、
自分の理想や幻想の思い込みのフレームで、
彼女をみるのではなく、
素朴にそのまま愛せばいいのにね。
※ただ、発病後の智恵子さんの姿を見て
光太郎さんは、やっと智恵子さんの中にある
素朴で愛らしいものを分かったようですよ。
内向的で自信がなく、
それが反転して勝気になっている智恵子さん、
ほんとうは、背伸びや虚勢ばかりで
反対に実家の没落では
自分の無力感に脅かされている智恵子さんに気づき、
支えてあげないと。
自分ばかりが支えられるのではなくてさ~。
それに、
智恵子が死んだあとに、
あれこれ、詩に書いても、
もうどうしよもないです。
生きている時に、幸せにしてあげないと。
もし智恵子さんが、あの着物の下に赤い襦袢をちらつかせて
周囲の男たちを翻弄する女のままでいたら、
智恵子さんは、ほんとに面白く、愉快に自分を
解放できたかもしれませんね。
そして女性画家としても
なにかできたかもしれない。
でも
光太郎と結婚した智恵子さんは
かしこまり、
自分の自由の翼をたたんでしまいました。
ゼームス坂病院に入院している智恵子さんを
光太郎がお見舞いに来た時、
智恵子さんは、まるで殿様を迎えたように
頭を畳にさげて、
ペコペコと
おじぎをしていたそうです。
そして看護をしている姪の春子さんが
うかつに話すと、
お言葉が悪いと叱りつけたそうです。
つまりまさに智恵子さんの心の深層にある
光太郎のイメージは、
まさしく、自分が仕える殿様、
或は<神>ではなかっかと
思います。
※光太郎はまさか自分がそんな風に思われているなど、
夢にもおもわなかったと思いますが。
でもね、光太郎はほんとうは、そんな人ではないのです。
彼はフェミニストであり、
ただ、女を過剰に幻想化しただけです。
そして彼はたしかに愛情深かった人でもありますよ。
ただ、若く未熟なために
世間知らずで、単純に
●芸術至上主義になっただけだと
思います。
それが、
あまりに極端に生きようとして
どこかでボタンを掛け違え、
二人ともが、
夫婦としての深い行き違いを
してしまった、と
思います。
次回は光太郎の「智恵子抄」と
智恵子の紙絵の世界を通して
書いてみたいと思います。
たぶん最終回になると思います。

この薔薇、シェーラザードと言います。

30年前に書いた本です。
よかったらどうぞ!
by denshinbashira
| 2019-05-03 05:48
| 高村智恵子と光太郎
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