人間ひっかく・・・・高木亮! |
猫が嫌いというより、
動物が嫌いなのです。
だから犬も嫌いです。
先般、漫画家の海山かのんさんから
宮澤賢治は猫が嫌い、それも
短編には、大嫌いと書いていることを教えて貰い
大いに溜飲を下げました。
それまでは
何となく、世の風潮から
猫が嫌いといことを言うのが
はばかれるような気がしていたからです。
それでも、昨日はこんな本を読んでしまいました。
読んでみて
はじめて人間と猫の関係が
分かりました。
この本を読むと
俺とお前、アンタと私というように
つまり、犬のようにご主人様と第一の家来というような
序列意識が猫にはない!
いやいや、むしろ人間を格下に見ているのかもしれません。
絵画分析では猫は、
受け身の女という暗喩がある。
やはり猫は女っぽいのだろうか?
このちいさな本を読んで
ひさしぶりに男の文章を読んだ気がしました。
まあ、今読んでいる本は殆ど男の作家によるものなのに、
今までそれを感じなかったのは
なぜだろう・・・とおもう。
高木さんが男としての自分を
書いておられるからだとは思うが・・・?
高木さんの面白さは、
世の小説の題名をパロディ―化した
ブックカバーの作品で、
例えば「ぱしれメロス」や「長靴をかいだ猫」とか
「罪と獏」など、
皮肉のエッジが効いていている。
先般の池袋ジュンク堂書店では
カベ一面に並んだこのブックカヴァーをみて
ついついふきだしまくった。
そしてこの本でもあきらかに「人間失格」をパロディっている
「人間ひっかく」は、
いきた心地を確かめようとする小説家」と・・・・。
あまりに言い得て妙なるこの例え!
あきらかにこれは太宰でしょう。
その小説家を猫が爪でひっかく。
猫より始末が悪いこの男の世界!
あゝやっと分かってきた・・・苦笑!
つまりどうしようもない観念男で自虐の男を、
それを猫が
チェッ、目を覚ましやがれと
ひっかいているのかあ~・・・・!
実は私も常々太宰のことをそう思って
軽蔑していましたからね~・・・大笑い!
どうも私と猫はおなじ意識らしい!!
なれば、
あの漱石先生も・・・トホホ!
遅まきながら、
やっと
猫の存在価値がわかりました。
面白い本はこちらから買えます!
セロ弾きのゴーシュでも猫は一番意地悪な来客として書かれていますね。 ゴーシュもとびきりの仕返しをしています。最後に謝った相手もカッコウだけ・・・
猫は遠くからじっと人を見ていますが、その視線が心理的に人にプレッシャーを与えるのでしょう。
実はその時って 猫も緊張しているんです。怖いんです。
こちらが両目をゆっくり瞬かせると、人馴れしている猫は瞬きを返してきます。猫の「友好反応」です。近づいてくるときもあります。 瞬かせなければ、その猫は人嫌いです。
猫同士でも、どちらかが視線をそらさないと、最後に戦闘開始となります(笑)。
遠野にはどんな猫がいたでしょうか。
おはようございます。すみません、基本的に私は猫にも、他の動物にも、依存も幻想化も意識投影もしていないので、彼らはただ動物として、それぞれを生きているにすぎないと思っています。だからそもそも私は彼らには関心がないのです。
ただ、猫はその糞の臭さが嫌で、庭に糞をされると頭に来ます・・笑!
それと夜中に哀れな声で鳴かれるとぞっとします。
いずれにしても、動物は動物でしかなく、しかし、もしかしたら、人間は滅びても、彼らは生き残るかもしれません。
人間より彼らの方がずっと自分をわきまえ、そのドメインんの中で生きていると思います。
大変共感いたしましたのでコメントさせていただきます。
私も動物は動物として、彼ららしい生を生きるべきだという考えを持っているので、田下さんのお考えとても嬉しく拝見いたしました。なかなかこの考えに同意してくれる人が少なく…自分の問題に向き合わずにペット依存をすることで、ペットの生をどれだけ搾取しているかということ。飽食や利便性の影でどれだけ他の生物を搾取しているかということに想像力が及ばない人間がどんなに多いかということ。
犬は犬、猫は猫らしく、私も動物を見習って自分らしく生きて行けたらと願うばかりです。