映画「どこかに美しい村はないか」それでも、私は人間の進歩と進化に 希望をもちたいのである。 |
しかし実際のところはそれも、
自分ではままならない。
ただ、おかしいと気づいたら修正するしかない。
ところがその修正するということにも
大きな自覚と勇気がいる。
どうしたらいいのか。
このまま自分は充実した人生を終えるのか、
それとも以外なところでつまずいてしまうのか。
今、私が若い頃のように希望に満ちているかというと
そうではない。
コンピューター技術の進歩や、
ウエブ社会の発展には
私なりの希望があった。
それは清潔で利便性のある社会であり、
さらに情報が特定の人間の所有ではなく
広く大きく不特定多数の人間へと解放される社会への期待が
ありました。
そこでは、
いままでとは比べものにならない
大衆の持つ潜在的な可能性が広がるであろうと。
そういうものに私は希望を寄せていた。
しかし、今、それがかなりうかつで
楽天的、ノーテンキなものであったと
反省する。
実際のところ、社会はごった返したような情報に溢れ、
節度や秩序がドンドン泥沼化している。
巷には絶えずノイズが流れ、
人間の集中力がどんどん、
切断されている。
今まででは考えられなかった犯罪も多発している。
また
バーチャルな妄想世界で囲い込まれた
人間の精神の病理が起きている。
更には年金だけではとても暮らしていけない。
そして
AIの時代は、
これまでの人間の手足代用としてのテクノロジーが
いよいよ脳の代用にまでに及んで来ている。
これは人間の進化なのか、
喜ぶべきことなのか、
それとも、危惧すべきことなのか
分からない。
文明の進化は不可避的に
ある混乱や悪をも招くのかもしれない。
それでも、私は人間の進歩と進化に
希望をもちたいのである。
そして希望というのは、
天から降って来るものではないことを
私は知っている。
今ある現象の負の部分を、どうやって乗り越えるかであり、
その糸口、とば口を私は懸命に探している。
皆さんはどうですか。
私ひとりで深刻がっているのだろうか。
私はブログを書きながら、
整理し、考えているのですが。


しかし、また、危機感も感じています。
同時に「選択の意思」を自分の中に強固に持たないと、多量の情報に翻弄され、時間を無為に消費し、同時に、真偽の定かでない情報に振り回されてしまうと危惧を感じています。
今わたしは、ラインをやらず、ネットの時間に限度を設け、閲覧するサイトの趣旨も見極めた上で、できるだけ本を読む、原典に当たる、という習慣を身につけようとしています。
ダライ・ラマセンターにいた友人の話を聞き、僧院の生活は情報というものが限られていますが、それでも、深い叡智に触れていくことはできる、と感じさせられた次第です。
それから、ネットやAIへの擁護になります。
わたしが個人的に感動した例で申し訳ありませんが、特に、文学の研究において、データベースや分類化の部分で、新たな理解が数字という明確な形でもたらされたことは、大きな功績だと感じています。例えば、文学の和歌の研究において、AIのおかげで、和歌の中の往時の男性と女性の使うことばの分類ができ(近藤みゆき『王朝和歌研究の方法』)
わたしはこれを発展させて、上代日本語の万葉集の分類から、民俗学的に、日本人の古い心のふるさとの在りようをもっと知りたいと考えています。
情報のない田舎でとてもつらい子ども時代を過ごしていた私には、ネットのおかげで、自由で拓けた世界、多くの知恵や人とたくさん出会うことができました。
私は、この情報の海を泳ぐ魔法の櫂を与えてもらえたおかげで、幸福になれたと信じています。
しかし、自分が思考の核を強固に持たないと、情報に受動的になったのでは、現代人は肉体ごと知性がますます弱ってしまうと感じています。
若い世代にヨガがブームになっていることも、頭ばかりを使い、ゆとりがなく、仮想空間で時を消費しているため、身体からのアクセスの必要性を、本能的に感じての危機感なのでは、と感じています。
肉体を駆使すること、労苦により手に身につけているもの(文字を書くこと、他言語を実施で身につけること)、それらは人間に長く残り、生かしますが(ご年配の教授の体感からの話です)、そういうものさえも奪う可能性を孕んでいると思います。
結局、いかなる素晴らしい情報という財宝と出会おうとも、軸・信念が自分の中にないと、その財宝は、毒にも薬にもなりうることを、過渡期を育った世代であるわたしは、痛感しています。
情報が当たり前にある世界を生きた子どもたちは、これからどうなっていくのでしょう。
今度、プログラミングの授業義務教育のなかで取り入れられるそうですが、教育の中で、情報に対するHow toのみならず、それを使う人間が、どうあるべきか、ということを、長く生きた大人は、知恵として与えるべきなのではないか、と感じています。
フランスでは、学校で子供たちにスマホを使わせない法案が可決されたそうです。
あれもだめ、これもだめの規則はすきではありませんが、私自身欲に負けて良くない時間の過ごし方をしてやりたいことができなかった時の弱さを痛感しているので、これは、とてもいい法律だと思いました。
初回からの長文、大変失礼いたしました。
未熟者からの一意見と、一笑に付していただければ、と思います。

